「う、」
慌てて丈吉は態をかわし、”正丈”に手を伸ばす。
鯉口を切って、続けて斬りかかる琰の脛を狙って、大きくなぎ払う。

「っ」
琰は軽く飛び上がり、丈吉の肩に手をついて、後ろに着地する。
長身で、しかもこんなに身の軽い男を、丈吉は知らない。やはり堀口が危惧したとおりの、
相当な使い手だ。本気にならねば、自分がやられる。

丈吉はうなじの毛を逆だたせる。
「おまえ、名前は?」
「琰や」
「修羅道の名や」
「…女郎蜘蛛」

言ったとたん砂煙がたち、琰の体が宙に舞う。
頭上からの鋭い一太刀を”正丈”で払い、着地点を狙って一歩踏みだす。

が、”正丈”よりも早く、琰は横っとびに逃げる。こんなひらけた場所では、間合いの大きい
”正丈”の方が絶対に有利だ。
琰は小走りに林へ逃げ込む。丈吉も後を追う。

”女郎蜘蛛”の名に聞き覚えはない。しかし、自分と互角の使い手だ。
それに、なんとも琰に相応しい名前ではないか。
丈吉は、琰の姿を見失わないように追いかけながら、そんな事を考える。

海からの強風にあおられ続け、地を這うように生えた松の林を、奥へ奥へと琰は走る。
仕掛けてこないのか。そう思った瞬間、琰の姿は消える。
「う、」
立ち止まれば、上から苔のかけらが落ちてくる。

上か。見上げれば、大きな鳥のように琰が舞いおりてくる。間一髪、丈吉は横にころがって
避ける。
ザクッと、琰の刀は丈吉のいた場所をえぐって、すぐに追いかけてくる。
振りかざそうにも、払おうにも、松の枝が邪魔になって、充分に”正丈”が使えない。
そして、琰からの鋭い攻撃が、やむこともなくとんでくる。

なんとか避けたりいなしたりするうちに、圧されて足場の悪い方へと追われる。
刀をくりだす琰、いや”女郎蜘蛛”は、髪をたなびかせ、まなじりをつり上げ追ってくる。確かな
太刀筋、キリリとした眉、炎を宿して紅く輝く目、上気した肌、流れてはねる汗。
美しいと思う。このまま、殺されてもいい、と。

ガツッ!
「あっ」
とうとう、丈吉は木の根に足をとられ、地面に倒れこむ。

琰はすぐさま、短刀を降りおろす。自分のノドを狙っている鈍い光を、丈吉は目のすみに捕らえる。
…このまま死ぬんか。
あきらめにも似た感情がおきる。その時、唐突に伝助の言葉がよみがえる。琰を頼む、と。

「ガッ!」
丈吉は満身の力をこめて、琰の短刀を払う。
ガッキとふたつの刀はぶつかり、火花を散らし、そして鈍い音をたてて折れる。
「く、」
折れたのは、琰の短刀だ。さすがに業物(わざもの)だけあって、”正丈”は刃こぼれひとつして
いない。

おまけに琰は右腕にケガをしたようだ。下になった丈吉の顔に、一滴、血をおとし、琰は即座に
距離をとる。

しばらくは、男二人の忙しく呼吸をする音や、遠くの波の音しかしない。
呼吸が整うのを待って、丈吉は起きあがる。琰は背中を向けて、アグラをかいている。
ゆっくりと、琰に近づいていく。
「殺せ」
低い声で言う。

それには答えず、前にまわる。血が、右腕を伝わって、何滴も地面に落ちている。このケガでは、
刀はつかえない。
「殺せ」
もう一度、ハッキリ言う琰の前に片ヒザをつくと、丈吉は着物の衿に手をかけ、左右に大きく開く。
「なにを、」
「じっとしてるんや」
弱々しく動こうとする琰に一喝して、ケガの具合を診る。
出血のわりに、たいした傷ではない。血が止まれば放っておいても大丈夫だろう。

丈吉は懐から手ぬぐいを出すと、二つに裂いて、きつく傷のうえから結んで止血する。
「痛むか?」
「少し。…なんで、手当を?」
「もうひとつだけ、訊きたいコトがある」

琰の目を見れば、観念してしまったかのように空虚だ。
「どうして、俺に仕事を?」
「ああ」
琰は小さく笑って、
「仕事人に仕事を頼むのは、難しい。せやさけ、あんたを頼った」
「10年前、おまえを助けた俺が仕事人やったさかい、こんな手のこんだコトを?」

「…せや」
否定しなかったら、その場で殺してしまうだろうと、確信にも似た予感があったのに、丈吉は
小指ひとつ動かさない。

「最初はそう思てた。人のええ、甘い仕事人を手玉にとって、寝首をかくくらい、なんでもない、て。
そのつもりで丈さんのトコに来た。けど、」
琰は大きく息を吐いて、丈吉を見つめる、その目には、例えようのない哀しみがあふれている。

「あんた、ええ人すぎる。俺は、…俺は、あんたと一緒にいるのが、楽しかったんや。出来れば、
ずっとこのまま一緒にいられたら、て」
「おまえ…」
「女郎蜘蛛の琰さんは、自分のはった網に、自分でかかってしもたんや。ハハ、親父の言うとおり、
大事なトコでドジを踏むアホや、俺は」
琰は顔を伏せる。その肩は、細かく震えている。

「丈さんは信じてくれへんと思うけど、俺ホンマに10年前のお兄ちゃんに会いたかったんや。
冷たい水の中で俺を助けてくれた強い腕や広い胸が、ずっと忘れられへんかった」
「……」
「初めて抱かれた時、覚えていた通りの腕と胸につつまれて、俺は幸せやった」
だんだんと、声は小さくなっていく。

丈吉は懐から紙包みを取り出し、琰に差し出す。
「開けて見ィや」
不思議そうに自分と包みとを交互に見る琰にそう言えば、素直に開けて見る。
中にはひと房の髪がある。白髪の交じった、初老の男のものだ。

「伝助の、髪や」
「え」
琰の手は震え、あやうく紙包みを落としそうになる。

「伝助は、最期までおまえのコトを思てた。…今なら、わかるやろ」
「…うん、うん」
2度3度頷いて、琰は低く嗚咽をもらし始める。

「おおきに、丈さん」
しばらくして顔をあげた琰のほほには、何条もの涙のあとがある。その割には、ふっきれた目を
している。
丈吉は手を上げ、優しく親指の腹で涙のあとをぬぐってやる。琰はされるがまま、じっとしている。

そのまま、顔を寄せて唇を重ねる。ひくりと睫毛を震わせたものの、琰はゆっくり口を開け、丈吉の
舌を待つ。
丈吉の舌は琰の口中を動き、琰の舌を探りだし、絡め、強く吸う。

「…」
「おおきに」
唇が離れて、ひと呼吸おいて、琰は声に出さずに礼を言う。
ギュッと胸が締めつけられる。甘く苦い感情があふれる。琰の温かみが、腕の中によみがえる。

…そうや。俺も”女郎蜘蛛”の甘美な網に、かかってしもたんや。

丈吉はゆっくり立ちあがり、”正丈”を構える。
琰はキチンと正座して、伝助の遺髪をおし抱く。
「覚悟は、ええな」
「ああ」
落ち着いた声で、琰は答える。

丈吉は後ろに回ると、琰の長い髪をむんずとひとつに束ね持つ。
「惚れた男に殺(や)られるんや。俺は本望やで」
”正丈”を振りかざす。
「本当に、楽しかった」

「…もう、黙れ」
ザシュッ!!
その瞬間、一羽の鳥が大きな羽音を残して、遠くの空へ飛んでいった。




  2011.11.02(水)


    次回、完結
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