男が去って、すぐにアンリの声がします。
「ジュリエット、どこにいてんね?」
「ここや。すぐ行く」
答えて、ジュリエットは身軽に手すりを乗り越えて、バルコニーに降り立ちます。

「下で、なにしててん?」
「うん、ちょっと。・・・それより、なんや?」
本当の事は、たとえアンリにも言えません。ジュリエットは服についた芝生をはたいて、動揺を隠します。

「ああ、せやった。さっき聞いたんやけど、あのモンタギューのバカ息子が来てるらし」
可愛い口元を歪めて、憎々しげにつぶやきます。
「ホンマか?」
それは聞き捨てなりません。ジュリエットの家であるキャピレット家とこの街の勢力を二分しているのがモンタギュー家です。

二つの家は家柄や格式、財力においてもほぼ同じなのですが、何故か仲が悪く、家人や親戚、使用人に至るまで出くわしたが最後、気まずい空気が辺りに漂い、口ゲンカに始まり、ついには剣を抜いての騒ぎにまで発展する始末です。
街を治める領主様より仲良くするようきつく言いつかっているにも関わらず、いっこうに両家の仲が改善する兆しは見えません。

「もう帰るで。けたくその悪い」
「ああ」
アンリがおかんむりなのは、お目あての王族とやらに会えなかったせいでしょう。ジュリエットを急き立てて会場をあとにします。

帰りの馬車の中でも、屋敷に帰り着いてばあやから嵐のようなお説教を受けている時も、ジュリエットは自分の指にはめられた指輪に触れています。
初めて出会った自分と同じくらい強い男、名前も知らない男、自分の胸に甘い記憶を刻みつけた男。
指輪に触れるたびに、ジュリエットは男の声を、手を、肌を思い出します。

・・・また逢えるて言うてた。俺が逢いたいて願えば、きっと逢えるて。
ですが、今のジュリエットは外出はおろか、トイレに一人で行くことすら禁止されています。ジュリエットは別れ際の男の言葉を何度も思い出して、我慢しておとなしくしています。
それが功を奏したのか、数日後、ようやく許されて久しぶりに外出します。

さっそくジュリエットは下男を伴って、街に出ます。
「お嬢様、そない買い食いしたら、またばあやさんにお説教だっせ」
「うるさい。おまえにもやるさかい、黙っとけ」
困り顔の下男の頭をひとつ小突いて、ジュリエットは手に持った菓子を口に押し込みます。

いつ来ても活気のある街の雰囲気は、ジュリエットのお気に入りです。市場に並ぶ屋台を冷やかしながら、飴や焼き菓子を買って食べるのが、たまらなく好きなのです。
そうやってジュリエットが上機嫌で歩いていた時です。
「ケンカや!」
「向こうでケンカしてる!」
大きな声が聞こえます。

「ケンカやて」
とたんにジュリエットの目が輝きます。市場の賑わいよりも、買い食いの楽しさよりも、最もジュリエットが好きなのはケンカです。
「行くで!」
言うなり声のする方へ走りだしたジュリエットを、半べそで下男は追いかけます。

早くも現場に到着すれば、すでに物見高いヤジ馬が集まっています。
「はいはい、どいてどいて」
ジュリエットはヤジ馬を押し分けかき分け、最前列へと陣取ります。
「お、やってるわ」
呑気に腕を組みますが、よく見れば騒ぎの中心に知った顔があります。

「ん? あいつ、ティボルト(as真弓信吾)とちゃうか」
多人数を相手に一方的にやられているのは、いとこのティボルトです。
「待て! 待て待て!」
気づいたとたん、ジュリエットは大きく手を上げて、嬉々として割って入ります。
「一人相手によってたかって、おまえらたいがいにせえ」

「ジュリエット!」
「げっ! キャピレット家のジュリエットやて?!」
「またややこしいのが出てきよったで」
突然現れたジュリエットに、ティボルトは嬉しそうな声をあげ、ケンカ相手は顔色をなくします。
「ティボルト、おまえも情けない。なんや、そのザマは」
「こいつらモンタギュー家のヤツらで、急にインネンふっかけてきたんや」
「なんやて!」
それなら話は別です。暴れる口実が出来ました。

「おまえら、この俺が相手や!」
吼えて手近の男に殴りかかります。相手は4、5人いるというのに、ジュリエットの強いこと強いこと。あっという間に蹴散らしてしまいます。
「なんや、もう終わりか」
ヒザをつき息を荒げる相手とは違い、ジュリエットは汗もかいていません。
「雑魚ばっかりやないか。モンタギューの男は、こんな腰抜けぞろいなんか。もっと強いヤツ、呼んで来(き)い」
鼻で笑って、背を向けて立ち去ろうとした時です。

「待て」
後ろから声をかけられます。どこかで聞いたような、涼やかなバリトンの声に足をとめ、振り返れば、人垣の中から一人の男が歩み出ます。

男は長身で、凛とした目元に通った鼻筋、口元には小さなホクロがあって。
「あんた、は」
間違いありません。あの夜、熱く情を交わした、指輪の男です。
「キミ・・・」

男もジュリエットの顔を見て、驚いているようです。ジュリエットもまた、男の顔を見つめるばかりで、動く事もままなりません。
「きさま、ロミオ!(as当然、春日友竹)。ジュリエット、こいつがモンタギュー家のロミオや!」
ですが、ティボルトが憎々しげに口にした名前に、息が詰まります。
「あんた、ロミオて」
「キミが、ジュリエットやなんて」

あの夜以来、片時も忘れた事のない相手です。もう一度逢いたいと、熱望していた相手です。それなのに、敵同士といがみ合う家の子で、出会ってはならない、好き合ってはならない運命の二人だったとは。

「きさま! なにしに出てきたんや!」
ティボルトの声に、ジュリエットは正気づきます。前へ出ようとするティボルトを手で制すと、
「ティボルト。剣、持ってるか?」
低い声で訊きます。ティボルトが頷くや、その腰の剣を取って、棒立ちのロミオの胸元に鞘ごと投げつけます。

「拾え。拾て抜け」
「ちょ、待て」
「早(は)よ!」
お供の下男に持たせていた自分の剣をスラリと抜いて、ジュリエットはまなじりを吊り上げます。

「あんたがロミオやて。モンタギュー家の総領息子やて。冗談もたいがいにせえ!」
「ジュリエット、聞いて」
「黙れ!」
困惑したロミオの声も、頭に血が昇ってしまったジュリエットには届きません。本気のひと振りが、ロミオのほほをかすめます。

初めて胸をときめかせた男が敵同士の家の息子で、そうとわかっても男に逢えて嬉しくて、そんな自分が腹立たしくて、ジュリエットは剣を振り続けます。
ジュリエットの鋭い剣筋に、たまらずロミオも剣を抜いて応戦します。格闘技だけではなく、剣術においても二人の実力は伯仲しています。

ジュリエットとロミオの高度な剣技の応酬は、ぐるりを取り巻くヤジ馬を熱狂させます。口々にジュリエットを応援したり、かと思えばロミオを応援したり。なかにはどちらが勝つか、カケをする者まで出てくる始末です。

「コラーッ! なにやっとんのや!」
とうとう騒ぎを聞きつけた憲兵が出てきます。数人の憲兵が走ってくるのを見たとたん、ヤジ馬はクモの子を散らすように逃げていきます。
「ジュリエット! ヤバい! 憲兵や!」
「ロミオ様!」
騒ぎの中心にいた二人も逃げなければなりません。その場に仁王立ちになり、ロミオをにらみつけるジュリエットは、何度もティボルトに促されようやく剣を鞘に収めると、その場から立ち去っていきました。



月の光がさえざえと眼下の庭園を照らしています。あるかないかの微風になぶられながら、ジュリエットはバルコニーに立っています。そして、思い出すのは昼間の事です。
「ヤツが、ロミオやったなんて。モンタギューの、総領息子やったなんて」
つぶやいて、指輪を月にかざしてみます。
・・・ヤツは、俺がキャピレット家のジュリエットやと知ってて、近づいたんやろか。近づいて、からかって、もてあそんで、ポイ。
「くっ」
胸が痛みます。男の正体が、よりによってモンタギュー家のロミオと分かっても、ジュリエットの想いは変わりません。変わるどころか、ますますいとしさが募ります。

ジュリエットは強く、指輪をはめた手を胸の前で握ります。と、小さな音が聞こえます。
「誰や!」
辺りを見回しても、誰もいません。空耳かと、きびすを返して部屋へ戻ろうとします。
「ジュリエット」
背中で自分の名前をよぶバリトンの声がします。間違いありません。ロミオの声です。
「そのまま、聞いて欲し」
振り向こうとしたジュリエットは、動きを止めます。
「わざわざ、なにしに来た! 笑いに来たんか!」

「・・・知らんかったんや。キミが、ジュリエットやったなんて」
「へえ。で、知ったらケツまくるんか」
拳を握りしめ、ロミオの言葉を待ちます。決定的な別離の言葉を聞いて、平静でいられる自信はありません。

「違う! キミが、好きなんや」
ですがロミオの言葉は、ジュリエットが恐れていたのとは間逆の、愛の告白です。
「キミがキャピレット家のひとり娘やと知っても、好きになってはアカン相手やと分かっていても、なおキミがいとしい」

「アホか」
ゆっくり振り向けば、そこには昼間のキズ痕も痛々しいロミオが立っています。たまらず、ジュリエットはロミオに駆け寄って、抱きしめます。ロミオもまた、ジュリエットをきつく抱きしめます。
「ロミオ。なんでおまえはロミオなんやろ。どうして俺ら、好き合(お)うたらアカンのやろ」
いとしいロミオの腕に抱かれながら、ジュリエットは悔しそうにつぶやきます。

「名前なんか、どうでもええ。犬にくれたる。俺はキミとこうして、ずっと一緒にいたい」
「俺も」
月の光が抱き合う二人の姿を照らし出し、雲にさえぎられます。

「なあ、これから、どうする?」
「うん。教会の、司祭様(as篠田春樹)に相談してみよかと思てる」
ジュリエットの脳裏に、いつも穏やかな微笑をうかべる司祭の顔がうかびます。キャピレット家にもモンタギュー家にも肩入れせず、両家のいがみ合いに心を痛めている司祭なら、何か良い知恵を授けてくれるに違いありません。

「せやな」
「ほな、明日の昼、一緒に行こか」
頷いて顔を上げれば、すぐ近くにロミオの顔があります。二人は引き寄せられるように、ごく自然に唇を重ねます。

「ほな」
名残惜しげにもう一度キスをして、ロミオはバルコニーから去ります。ロミオの姿を見送りながら、ジュリエットは指輪をそっと握りしめていました。




  2013.09.14(土)


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