僧侶の読経が、底冷えする本堂に響きわたる。
祖父を供養するありがたいお経なのだろうが、真島大樹(まじまだいき)にはさっぱり意味が分からない。大樹だけではなく、祖父の3回忌に集まって、同じように頭を垂れている他の参列者も、またそうだろう。
板の間にかろうじて座布団は敷いてあるが、長時間正座しているこの体勢もつらい。

大樹はこっそり目を開けて、瞳だけで前に座る上久保彬(かみくぼあきら)を見る。
ダークスーツを着ている彬は、背筋を伸ばし微動だにせず座っている。落ち着いたその佇まいに、
大樹は自分もまた背筋を伸ばして、足の痺れをガマンする。

ようやく読経が終われば、次は施主のあいさつだ。施主は祖母が行うが、長患いで体も弱っているため、今回の祖父の3回忌は実質、故人の長女である大樹の母浩子(ひろこ)が取り仕切っている。
あいさつに続いて参列者の焼香、それから僧侶の法話を聞いて、菩提寺での供養は終わる。
「ほな、お斎(とき)を用意してますさかい。タクシーで行きましょか」
そのあとは、祖父も贔屓にしていた近所の寿司屋で会食となる。浩子は参列者を促がして、会場へと向かう。

祖父の3回忌法要は、大樹の他に祖母、母、父、彬それに祖父の弟夫婦、友人と全部で10人程度の参列者となる。自分の死んだあとは、大きな法要は必要ないとの祖父の意向を汲んで、こぢんまりとした集まりだ。体の弱い祖母を、祖父なりに気づかったのだろう。寿司屋の座敷でちょうどいいくらいの人数だ。

座敷に並んで法事用の膳を食べながら、大樹は向かい側に座る彬を見る。彬は大樹の視線に気づいて、笑いかける。
「彬さん」
すぐに大樹は立って、彬の隣に座る。

「久しぶりやな、大樹」
「うん」
彬は大樹の母の弟、つまり大樹の”叔父”にあたる。だが、母とは歳の離れた弟で、小さい頃から自分と兄弟のように育ってきた彬を、大樹は”叔父さん”ではなく名前で呼ぶ。

実際、彬は”叔父さん”と呼ぶには、はばかられる雰囲気の持ち主だ。長身で、学生時代から水泳を続けているので、上半身の発達したバランスのいい体躯の持ち主だ。おまけにメガネをかけた涼しい目元で、端正な容姿をしている。
”叔父さん”という単語の持つくたびれたイメージとは、およそかけ離れた存在だ。

大樹は小さな頃から、落ち着いていて理知的で背の高い彬のそばにいるのが、大好きだった。それは大学生になった今も変わらない。
「スーツ、似合(にお)てるな」
法要なので、めったに着ないダークスーツを着てきた大樹に、彬は優しく声をかける。
「そう? お祖父ちゃんの葬式以来着てへんかったさかい、ネクタイが結べへんで」
「ちゃんと出来てる。立派なモンや」
本当は自分で出来なくて父に手伝ってもらったとバレているだろうが、そう誉めてくれる。

「彬さんは、今日は飲まへんの?」
「ああ。明日、早いさかいな」
「ふうん」
彬は精密機械を作る工場用の機械を設置し、調整設定する仕事に就いている。設置のみならず、定期的な保守点検作業も行っているエンジニアだ。
だから近場から遠方まで忙しく飛び回っている。明日もまた、朝早くから得意先へ行かねばならないのだろう。

真面目で几帳面で冷静な性格をしている彬にはうってつけの仕事だと、大樹は思う。そして、自分もまた彬のように最新技術を駆使した物作りの一端を担いたいと、工業系の学科に籍を置いている。
彬が自分の仕事と技能に誇りを持って働く様子を間近に見て、その姿に憧れて、進路を決めたようなものだ。

「大樹は、今度2年やったな」
「せや」
「実験なんかが始まるさかい、レポートとか大変やろ?」
「それなんやけど、ちょお、お願いしたいコトがあって」
「お願い?」
「実は、」

「彬ちゃん」
その時、母親の浩子が二人の間に割って入ってくる。
「姉ちゃん。今日はご苦労さん」
「”ご苦労さん”とちゃうわよ」
すすめられてビールを飲んだのだろうか。少し赤い顔をしている。

「本来なら、長男のあんたが、お母ちゃんに代わってお父ちゃんの法要を仕切らなアカンのに。仕事が忙しい、て。全部、うちの仕切りやない」
「かんにん」
彬も歳の離れた姉である浩子には、いくつになっても頭があがらないのだろう。愁傷に頭を下げる。
「お母ちゃんは、なんも言えへんけど、早よお嫁さんもろて、安心させてよ」
「ハハ」
気持ちよく笑って、彬は母にビールを注ぐ。

「仕事で出張ばっかりしてるさかいな。なかなか出会う機会がないねん」
「いや、笑いゴトとちゃうでしょ」
注がれたビールをひと息で飲んで、さらに捲くしたてる。
「あんた今、34やろ。そろそろ本気で婚活せなアカン」
「姉ちゃん、僕、35や」
「なら、なおのコトやないの」

「まあまあ」
彬は困ったような笑顔を見せて、さらにビールを注ぐ。
「それより、大樹。なんぞ僕に話があったんとちゃうか?」
「う、うん」
結婚の話は、彬にとって鬼門なのだろう。突然割って入ってきた浩子に話の腰を折られて言いあぐねていた大樹に、それとなく水を向ける。

「あんた、まだ話してへんかったの?」
「話そうと思てたところに、姉ちゃんが来たんや」
お説教に入りそうな浩子をやんわり制して、
「で、どんな話?」
彬は先を促がす。

どうも母親である浩子相手だと分が悪い。彬の助けを借りて、ようやく落ち着いて話し始める。
「俺、この春2年に進級して専門課程が始まるんやけど、今通てるキャンパスとは違うキャンパスに通わなアカンようになってん」
「うん」
「ほんで、家より彬さんのマンションから通う方が近くなるさかい、もし良かったら、彬さんトコから通わせてくれへんかなあ、と思うて」

「僕と、同居するてコトか?」
頷いて、彬の反応を見る。彬はアゴに手をあてて同居の是非を考えているようだが、頭から拒否はしていない。
「彬ちゃんは仕事で何日もおれへんコトが多いやろ? 部屋かて、空いてんのがあるし。それに、大樹はこう見えて家事はひと通り仕込んであるさかい、安心して留守番は任せられる」

彬の住むマンションは、元は祖父母と浩子それに彬で住んでいたが、浩子が嫁ぎ、体を患った祖父母が施設に入所して以降、彬の一人住まいだ。築年数は経っているものの周りの環境も良く、間取りも3LDKと余裕がある。
「…せやな」
少し考えて、彬は大樹の申し出を承諾する。

「おおきに、彬さん」
敬愛する彬と同居できる事に、大樹はパッと顔を輝かせる。
「なんや、その嬉しそうな顔」
浩子に揶揄されるほどの満面の笑みだ。
「ホンマに、あんたは小(こ)んまい頃から、彬ちゃん彬ちゃんて」
「せやったな」
彬と浩子に言われた通り、大樹は彬のあとをついて回り、少しでも彬の姿が見えないと泣き出す子どもだった。

「けど、あんた達、よう似てるわ。体格もそうやけど、性格も几帳面で細かいトコなんか、そっくりやわ」
「せやろ」
彬に似ていると言われるのは、大樹にとって誉め言葉だ。鼻の穴をふくらませて頷く。

実際、二人は背格好や顔立ちなどの見た目も、真面目で几帳面な性格も、声までよく似ている。母親の浩子ですら、電話の声を間違うほどだ。
「大樹」
「うん」
「男の一人暮らしで、おまけに僕は出張が多いさかい、充分に面倒を見てやれへんと思うけど、勉強をするにはええ環境やさかい、いつでも大樹の都合ええ時に越して来たらええわ」

「うん。よろしく、お願いします」
「こちらこそ」
わざわざ座りなおして頭を下げあう二人の姿に、浩子は小さく笑う。

「おい、彬くん」
そこに年配の参列者から声がかかる。彬は返事をして、立って行く。
「大樹、良かったな」
「うん」
浩子に言われるまでもない。優しい彬の事、自分の願いは聞き届けてくれると思ってはいたものの、
あっさり承諾してもらったのがたまらなく嬉しい。

「それとあんた、例の件、忘れてへんやろな」
声をひそめて浩子は言う。
「わかってるて。彬さんにつき合(お)うてる人がいてないか、探るんやろ」
「そうや。お父ちゃんの3回忌も無事に終わって、お母ちゃんも今は落ち着いてる。あとは彬ちゃんのお嫁さんだけや、気がかりなんは」
手酌でビールを注いで、ひと息に飲む。
姉である浩子が、歳が離れた弟で独身の彬の結婚問題を心配する気持ちも分からないではないが、大樹から見て、当の彬はそれほど結婚願望があるとは思えない。

それに彬が結婚してしまうと、今までのように気安く行き来できなくなりそうで、正直寂しい。だから彬には結婚はして欲しくない。
「わかった」
だが、そんな自分の考えを言えば、機関銃のように浩子に捲くしたてられそうで、大樹はただ小さく頷いた。




  2012.11.11(日)


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