風呂を使って、台所へ行く。冷蔵庫を開けて水を取り出し、先に風呂を使ってリビングで雑誌を読んでいた友竹の足元に座る。
フタを取って、直接ペットボトルから水を飲む。友竹は雑誌から目を離さず、手を伸ばして天照の髪に触れる。
「まだ、濡れてる」
「うん」

ドライヤーを長時間使うのが暑くて、生乾きのまま出てきた。
「乾かしたろか?」
「ええわ。暑いし」
「さよか。ちょお、ココ座って」
読んでいた雑誌をテーブルに置いて、自分の足の間に天照を座らせると、タオルで丁寧に髪の水気を取る。

「気イつけな。カゼひくで」
「うん」
ペットボトルの水を飲みながら、友竹のされるがままになっている。こんな時間が天照は好きだ。
「せや。こないだ、俺に声かけてきて、おまえに伸されたヤツ、おったやろ」
言えば少し考えて、
「ああ。おったな」
思い出す。

「あいつ、菊池いうねんて」
「なんで天さんが知ってんね?」
そう訊く友竹に、高校の後輩だった多古に紹介された事や自分に声をかけたのは罰ゲームだった事を説明する。

「罰ゲームで?」
「せや。話してみたら、なかなか楽しいヤツやし、罰ゲームで声かけたコトもちゃんと謝ったさかい、おまえも次会(お)うたら、ちゃんと謝っとけ」
「天さん」
タオルを動かす友竹の手が、ピタリと止まる。

「そいつと話したんか?」
声が低くなる。背中を向けているので表情は見えないが、険しい雰囲気が漂ってくる。
「いつ?」
「いつ、て。一昨日(おとつい)かいな」
「そんな大事なコト、早(は)よ言うてくれなアカン」

「大事なコト?」
天照には友竹の心配の理由が分からない。
「偶然会(お)うて、ちょっと話しただけや」
「天さんは甘い。冗談でも自分をナンパしてきた相手やで。下心があるに決まってる」
「アホな」
明るく笑いとばす。

「そいつ、ナンパした女の子と一緒やったんや。それに、缶コーヒーオゴってくれたさかいな。ええヤツやで」
「また、天さんは缶コーヒーひとつで簡単に懐柔されて」
背中から腕を回して首を抱く。
「俺は、心配で心配で、たまらんのや」

「友竹」
きつく自分の首を抱く友竹の腕を、やわらかく撫でる。
「なんの心配してんのか知らんけど、」
ヒジの内側にキスする。
「なんも、心配いらんのに」

首を巡らして、友竹の顔を見る。いつもは冷静な表情の友竹が、今はほほを赤く染めている。
「天さんはズルい」
「ん?」
口の端をあげた天照の首を元に戻して、後頭部に自分の額を押し当てる。
「俺を喜ばせて、なんも言わせんようにしてる」

「そう言いな」
腕を伸ばし、友竹の髪に指をもぐらせて頭を引き寄せる。引き寄せた友竹の唇に、自分の唇を重ねる。
「これで、機嫌なおしてんか」
「キスひとつで?」
「なんぼでも」
もう一度、キスする。それでようやく、友竹は笑顔になった。



それから数週間後のラグビー同好会の練習日。入部希望者として多古と菊池が紹介される。
「なんで?」
並んでウォーミングアップをしながら、天照は菊池に訊く。中学高校とラグビーをしてきた菊池だが、大学ではしないと言っていたはずだ。その時の様子から、複雑な事情があるに違いないと思っていたので、菊池の心変わりが不思議でならない。

「多古が真弓さんから熱心な勧誘受けて」
天照の顔を見て、菊池は言う。重量級フォワードの不在を嘆いていた真弓が、大きな体の多古を勧誘するのは想像に難くない。
「一人じゃイヤやて、俺も誘たんや」
「けどおまえ、もう大学ではラグビーはせえへんて」
「ああ」
大きく腕を伸ばして、菊池は頷く。

「そのつもりやってんけど、国立さんもラグビー同好会やったの思い出したんや。あんたがおるんやったら、またラグビーしてもええかな、て」
言って、ニヤリと笑う。どこまでが冗談でどこまでが本気か、分かりづらい。菊池の真意を探ろうと、じっと見つめる。

「天さん。遅れてかんにん」
そこに、遅れてきた友竹が声をかける。天照の隣に立つ菊池をひと目見て、友竹は思い出したようだ。
「天さん、こいつがなんで?」
とたんに低い声になった友竹に、菊池は一歩あとずさる。

「友竹。こいつと違う、菊池や。こないだ話したやろ。冗談やったし謝ってるさかい、あれはもうチャラやて。おまえもちゃんと謝ってや」
「菊池壮です」
天照の言葉と先に名乗った菊池に促されて、
「春日友竹や。せんだっては、どうも」
しぶしぶ言う。

友竹と菊池と、相対する場の雰囲気は重苦しい。が、天照自身は一向に気にしない。
「菊池は中学高校とバックスをしてたらし」
呑気にそう言う。
「国立さんは? ポジションどこ?」
「俺も友竹も、ウィングや」
「へえ」
腕を組んで、アゴを撫でる。

「お互い名前で呼び合(お)うてんのやな」
ポジションの話をしていたはずなのに、妙なところに気がつく。
「先輩にタメ口は、感心せえへんな」
友竹もそうだ。

「あ、真弓が呼んでる。集合やて」
その場の重苦しい雰囲気も意に介せず、天照は真弓のもとへと駆け出す。友竹も菊池も、そのあとを追う。
中心的役割を担っていた先輩が引退して、奨学院ラグビー同好会は新しいチームで練習を始めたばかりだ。なかには多古のように、まったくの素人もいる。ボールを使う前に、まずは基礎体力をつける事から始める。

笛の合図で走って止まって反転してジグザグに動いて。細かく足を動かす事を要求される動きだが、慣れないうちは足がもつれがちになる。
もちろん、天照や友竹、真弓はよどみなく足を動かす。そして菊池も平気な顔でついてくる。
練習時間の最後に少しだけ、ボールを使ってパス回しをした時もそうだ。楕円形で扱いづらいはずのラグビーボールを、菊池は簡単にコントロールする。
菊池からのパスは、正確にしかもやわらかく相手の手元に来る。

「菊池、おまえスゴい!」
菊池の巧妙なパスは、真弓を歓喜させる。
「花園に行ったて聞いてたけど、これなら即スタメンや」
全開の笑顔で、菊池の肩を叩く。”花園”とは”高校ラガーマンの甲子園”とも言われる全国高等学校ラグビーフットボール大会の俗称だ。
菊池のいたチームは花園の常連で、いつもいいところまで勝ち進む強豪校だそうだ。

「はあ。そら、どうも」
だが、誉められて菊池はあまり嬉しそうではない。
「なんや? 無理に誘たけど、やっぱりラグビー続ける気にはなれへんか?」
真弓の近くで、友竹と交互に水を飲みながら聞くとはなしに聞いている。

「え、いや。そうと違う」
自分も水を飲みながら、菊池は言う。
「もっと厳しいと思てたさかい、大学でもラグビーをするのイヤやってんけど、まあこの程度なら」
鼻で笑う。
「こんなヌルいレベルやったら、続けてもええ」

真弓の笑顔がこわばる。
「真弓さん、次の練習日は? 週1やったな?」
「もう、来んでええ」
ニヤけた顔の菊池に、真弓は低い声でそう言うと背中を向ける。

「え? ちょお」
そのまま行こうとする真弓の肩を掴んで、強引に振り向かせる。
「もう来んでええて、どういうコトや?」
「どうもこうもない。ちょっとぐらい上手いからて、うちのチーム鼻で笑(わろ)てるヤツに、入って欲しないわ」
自分の肩に置かれた菊池の手を振りほどいて、行ってしまう。

「おい。ちょお」
真弓を見送った菊池と目が合う。
「国立さ・・・」
呼ぼうとした声は途中で止まる。
天照もまた、厳しい目をして菊池を見ていた。




  2014.02.08(土)


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