菊池は自分を見ている。そう自覚して以来、菊池の視線が気になり始める。校内で図書館で学食で、ラグビーの練習に参加している時には特に、視線を感じる。顔を巡らせて視線が合えば、菊池はとたんに嬉しそうな笑顔を見せる。寄ってきて二言三言、言葉を交わす時もあれば、そのまま軽く手を上げて行ってしまう時もある。

とにかく、直線的な好意を自分に向けて発信している。いかに天照が鈍いといっても、菊池のようにあからさまな態度をとられれば、自分に好意を持っている事くらい分かる。
・・・問題は菊池の好意が友情かそれとも恋慕か、や。
入念に体をほぐしながら、天照は考える。
・・・友情ならええ。菊池はラグビーの後輩で、頼りになるスタンドオフや。友だちづき合いやったら、ちっとも構へん。けど万が一、恋慕の情やったら。

少し考えて、すぐに頭を振って否定する。いつも違う女を連れている菊池には、派手な噂や憶測が飛び交っている。その菊池が、同性で年上の自分を”そういう風に”好きになるわけがない。
天照は自分のとんでもない思い違いをにがく笑う。
「天さん、どうかしたんか?」
「あ、ああ。なんでもない」
心配そうな友竹の声に、我に返る。

今日はラグビーの練習試合に来ていて、今は試合を始める前のミーティングをしているところだ。それなのに、キャプテンの話を半分も聞いていなかった。
「とにかく暑いさかい、脱水とケガには十分注意してや」
締めの言葉にはしっかり返事して、グラウンド脇にあるベンチへと向かう。今日の練習試合の目的は、菊池や多古など新入部員を交えたチームで試合を経験する事と、問題点や課題を洗い出す事だ。

純粋に勝ち負けが目的ではないので、相手チームや試合会場の選択は二の次になった。指定された試合会場はラグビーをする体を要してはいるものの、整備は不十分であちこちに草や石ころがある。
「お粗末なラグビー場やな」
誰もがそう思いながら口に出すのをはばかっていた言葉を、サラリと言ってのけるのが菊池だ。
「こんなん、1回タックルされるだけで、ケガしてまうで。もっとええトコ、なかったんかいな」

菊池の言葉に、場所を提供している相手チームの面々は敏感に反応する。
「ま、俺はそんなヘマせえへんけど」
自信たっぷりな顔で高笑いする菊池に、相手だけでなく味方も渋い顔をする。ただ天照だけは、菊池らしいもの言いに靴ヒモを結びながら笑う。

「菊池イ、おまえなあ。口は災いの元て言葉、知ってるか?」
呆れたよう言う真弓を鼻で笑って、
「せやかて、国立さんは同意して笑(わろ)てたで」
相変わらず、よく見ている。
「アホか」
つぶやいたところで、友竹が肩に触れて立つように促す。立てば靴ヒモに緩みがないか確認して、自分も立ち上がる。

言葉を交わさなくてもよどみのない二人の動きも、菊池は見ている。
「今日、俺、国立さん中心にパス回していこかな」
わざと大きな声で、交代に友竹の足元にヒザまづいて靴ヒモを見る天照に聞かせる。誰を中心にゲームメイクしていくか、初めて対戦する相手には伏せておきたい作戦を、菊池は冗談めかした口調で口にする。

「ええよ。俺、今日絶好調やし」
周りのチームメイトは顔をこわばらせるなか、友竹の靴に軽く触れて天照は立ち上がる。
「どんどんパス回したらええ」
「よっしゃ。ほな期待してまっせ」
菊池がにんまり笑ったところで、集合がかかる。並んでグラウンドに入りながら友竹の顔を見ると、まっすぐ前を見ている。その表情は固い。

友竹に限って、試合前に緊張しているわけではないだろうが、楽しむという雰囲気でもない。大丈夫かという意味をこめて、腕に触れる。友竹は少し息を詰めて、天照の顔を見て小さく頷く。大丈夫、落ち着いている。安心して、天照も頷く。
二人が右と左のウィングの位置に収まった頃、試合が始まる。

グラウンドの中央に置かれた楕円形のボールが相手チームの選手に蹴られ、大きく弧を描いて味方にキャッチされる。試合が進む中で、スクラムを組む場面が出てくる。奨学院チームは1年生を交えたフォワードだが、力では負けていない。相手チームの弱い箇所を見つけて、潰してボールを奪う。

なかなかトライには至らないが、ほとんど相手の陣でプレーしている。相手も攻め込もうとパスやキックをするが、バックスの素早い動きに封じられて前に進めない。
奨学院チームのバックスの中心で活躍しているのが天照だ。ボールを持って走ったら誰も追いつけない俊足と、タックルに当たり負けしないタフな体に、相手チームは翻弄されている。

前半はお互いトライを許す事なく、0対0で終わる。後半になり暑さと疲労で体力勝負になると、1、2年生の多い奨学院チームに分がある。十分に勝機はある。
後半が始まると、奨学院チームの攻めの中心である天照への当たりがきつくなる。天照を自由に走らせていたら、早晩トライを決められる。そうならないためにも、天照の動きを止める作戦にでたのだろう。

「あっ」
今も、左右ほぼ同時にタックルしてくる。一歩間違えば反則となる、危険なプレーだ。
「国立さん。大丈夫か?」
天照から離れていく相手チームの選手をひと睨みして、菊池が駆け寄ってくる。
「大丈夫や」
手を貸して立たせ、ついでにヒザについた土を手で払う。

「あいつら、国立さんばっか狙(ねろ)て」
「おまえが試合前に、俺にボール集めるてバラしたからやろ」
「せやかて」
「カリカリしいな。とにかく。そろそろ決めるで」
相手チームからの当たりはきついが、どんな状況の中でもトライを決めるのがウィングの仕事だ。天照は力強く言う。

試合は再開する。相手の陣深くで天照にパスが通りる。このまま俊足の天照を放っておいたら確実にトライが決まる。そう判断した相手チームは執拗にタックルをしかける。
ギリギリまで我慢してボールを運んだ天照は、相手を十分に引きつけておいて、
「友竹」
走りこんできた友竹にパスしようとする。

その瞬間、
「うっ!」
タックルされる。低い体勢で突破しようとした天照の首に相手チームの選手が腕を引っ掛け、たまらず天照は転倒する。

上半身へのタックルは反則となる。特に首へのタックルは危険な行為で、故意であろうと偶然であろうと重いペナルティが課される。
試合を止めた審判は、反則を犯した選手にシンビン(=10分間の退場処分)を言い渡す。

「国立さん!」
ようやく起き上がった天照に一直線に駆け寄って、菊池は呼びかける。
「大丈夫か? 立てるか?」
「ああ」
まだ少しクラクラするが、意識はハッキリしている。天照は差し出された菊池の手を掴んで、立ち上がる。

「おっ」
よろけるが、すかさず菊池が支える。
「ホンマに大丈夫か? くそっ。俺の国立さんに危険なプレーしくさって」
そこに駆け寄ってきた友竹の耳に、憎々しげに吐き出される菊池の言葉が届く。菊池は今、天照に対して”俺の国立さん”と言わなかったか。
口を真一文字に結んで厳しい表情をうかべる菊池の顔を、友竹は凝視する。

「天さん」
声をかければ、顔を上げて笑う。
「大丈夫か? 交替せんでもええか?」
「せや。いっぺん出た方がええ」
両側から言われるのに、口を歪めて笑う。
「落ち着け」
低い声で言って、交互に友竹と菊池の顔を見る。
「おまえも菊池も、心配しすぎや。それより、一人少ない今が得点のチャンスや。ガンガンいくで」



強い目の光で天照が言った通り、その後奨学院チームはたて続けにトライとキックを決め、試合に勝つ。試合が終わって帰り支度をする頃には、天照はすっかり回復している。
「天さん、気分どうや?」
それでも友竹は天照の傍から離れず、細かいケガの手当てをしたり水を飲ませたり、甲斐甲斐しく世話をする。

「ああ。もうなんともない」
天照も大人しく世話をされている。
「大丈夫か、国立さん」
そこに菊池が来る。友竹は瞳だけで菊池を見上げて、すぐに天照へ視線を戻す。
「気分は? 吐き気とか、ないか? なんなら病院行こか?」

座ったままの天照に矢継ぎ早に訊く。普段の菊池からは想像できないくらい真剣な表情に、天照は笑う。
「おまえも案外、心配しいやな」
「いや、首へのタックルを甘くみたらアカンて」

「心配なんは、わかるけど」
放っておけば腕をとって連れていきかねない菊池に、友竹は立ってまっすぐ顔を見て言う。
「様子を見て、必要やったら俺が病院に連れていくさかい」
有無を言わさぬ声だ。穏やかなのに、逆らえない。

「ほな帰ろか、天さん」
「せやな」
天照に手を貸して立ち上がらせる。二人分の荷物を持って、天照の歩みに併せてゆっくりと歩く。背中に痛いほどの菊池の視線を感じながら。




  2014.02.19(水)


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