8月に誕生日を迎えて、国立天照(くにたちあまてらす)は二十歳になった。
二十歳は大人と認められる歳だ。選挙権が与えられ、飲酒喫煙も許される。保護者の許可を得ずに結婚や財産の処分が出来るなど権利が拡張される一方で、犯罪を犯せば実名報道されるなど、社会的責任も重くなる。

一つ歳を重ねただけなのに、天照が二十歳の誕生日を特別な気持ちで迎えたのは、未成年ではなく大人として扱われる嬉しさや責任の重さを感じているからだ。
そして、もう一つ。

「友竹」
隣に眠る春日友竹(かすがともたけ)の名前を、小さく呼ぶ。カーテンごしのやわらかな朝日の中、無防備に眠る友竹の顔は穏かだ。安らかな寝息とともに、長いまつ毛が細かく揺れている。

手を伸ばし、髪に触れる。やや明るめの色でクセのある髪は、やわらかい感触を指に伝える。それが気持ちよくて、ゆっくり何度も指先で梳く。
「う・・・」
梳くうちに、少しだけ眉をしかめて頭を振る。が、起きる気配はない。寝返りを打って背中を向けると、再び寝息をたてる。

冷静で誰からも一目置かれ憧憬の眼差しで見られる友竹の寝姿が、こんなにも可愛らしいのを知っているのは、自分だけだ。
寝姿だけではない。友竹の目がどれだけ情熱的に輝くか、友竹の声がどれだけ甘く響くか、友竹の手がどれだけ強く抱きしめるか。そして、友竹がどれだけ熱く官能的に包み込んでくれるか。自分しか知らない。
天照は友竹の裸の肩に、そっと手を置く。

二十歳の誕生日プレゼントにと、友竹は身も心も捧げてくれた。自分相手とはいえ、男性を受け入れる不安は大きかっただろうが、友竹はその不安に耐えてくれた。
友竹と同じように、優しく快感を導くような触れ方は出来なかったが、友竹は許してくれた。
「友竹」
いとしさがこみあげて、名前となって口から出る。いとしくて幸せで、感謝の気持ちを伝えようと友竹の髪にキスする。

白いうなじにキスして、裸の肩にもキスする。
薄い綿毛布の中で隙間なく背中に身を寄せれば、
「ん・・・」
小さく声をあげて、天照の方に向き直る。

「朝か?」
低くかすれた声が、甘く耳を刺激する。
「せや。朝ご飯、なにがええ?」
「パンとコーヒーとハムエッグ」
半覚醒の声で答える友竹に微笑む。

「わかった。用意してくるさかい、まだ寝とき」
「うん」
素直に頷いた友竹の額にキスして、天照は静かにベッドからおりる。
続けて受け入れるのは最初のうちは体の負担が大きいからと遠慮する天照に、早よ慣れたいさかい天さんの思うままにしてと、友竹は魅惑的な目で言った。
抗えず無茶をさせてしまったので、体が重だるいはずだ。せめて朝ご飯は美味しいものを用意してあげたい。

天照は脱ぎ散らかした下着とTシャツと短パンを身に着け、キッチンへと向かう。
朝ご飯の用意ができた頃、友竹が起きてくる。
「お早う」
欠伸をしながらの挨拶に、天照は笑う。
「今、起こしに行こて思てたトコや」

「ええ匂いで目エが覚めた」
「とりあえず、顔洗(あろ)てき」
「うん」
頷いて、天照のほほにキスして浴室に消える。何気ない行為の中に友竹の想いを感じて、ほほが緩む。

ほほの緩みは、顔を洗って朝の支度を終えた友竹がテーブルについても続いている。
「ほな、いただきます」
手を合わせて、コーヒーをひと口。
音をたてずにコーヒーを飲み、パンを小さくちぎって口に運ぶ友竹の優雅な動きに見とれていると、
「天さんは、食べへんの?」
訊かれる。

「あ、うん、食べる。いただきます」
大きく口を開けて、パンにかぶりつく。パンの粉が残ったのだろうか。友竹は微笑んで、ティッシュを1枚取ると、天照の口元をぬぐう。
「おおきに」
友竹の気づかいはいつもの事なのに、何ともくすぐったい気分だ。

こんなにも一人の人間が自分の心を占めるなんて、以前の天照には想像もつかなかった。誰かを好きになって、その相手も自分を好きになってくれる事を夢想していた時期もあったが、まさかこれほど強く熱い想いを抱くとは。
友竹に出会って、恋をして、想いを遂げて。本当に幸せだと、あらためて思う。

「なんや。笑(わろ)て」
「いや、なんも。ああ、せや」
気恥ずかしいほどの甘い空気に、天照は話題を変える。
「今度の土曜、飲み会があるて真弓(まゆみ)から連絡きてたな」
奨学院大学のラグビー同好会に所属する二人に、同級生でチームメイトの真弓信吾(まゆみしんご)から夏合宿の打ち上げも兼ねた飲み会をすると、先日連絡があった。

「けど、その日はオヤジさんの用事があって、参加できひんのやろ」
「ああ」
確認すれば、渋い顔で頷く。
「どうしても行かなアカンね」
「ほな、俺から真弓にそう伝えとくわ」
天照は立って行って、冷蔵庫にかけてある大きなカレンダーに土曜日の予定を書き込む。

戻って席についても、友竹はまだ渋い顔をしている。
「なんや? そない参加したかったんか?」
大人数でワイワイ過ごすよりも、天照と二人きりで過ごすのが好きな友竹にしては珍しい反応だ。
「いや、そうとちゃうねん」
「ん? ほな、なに?」
訊けば真剣な顔で、
「俺が行けへんかったら、天さんアチコチから誘惑されるに決まってる。それが心配や」

「は? 誘惑?」
友竹の心配に、天照は思わず吹き出す。
「笑いゴトとちゃう。本気で心配してんねんで。ええか、天さん」
テーブルごしに天照の手を握る。
「美味しいモノ食べさせてくれるて言うても、付いて行ったらアカンで」

大げさな心配に半分呆れて半分感謝しながら、天照は大きく頷く。
「わかった。ゲンマンしとこか?」
「うん」
指きりゲンマンをして、それでようやく安心したように笑った友竹に、天照も明るく笑っていた。



土曜日の飲み会は、真弓と待ち合わせをして行く。待ち合わせ場所である駅前に時間より早く着いたにもかかわらず、真弓はすでに来て待っている。
「かんにん、真弓。長(な)ご待ったか?」
「いや。俺も今来たトコや。それより、国立」
肩からかけていたカバンを斜めがけにして、真弓は言う。

「春日から、国立に悪い虫がつかんようくれぐれも用心してくれて、わっざわざ連絡があったで」
「は?」
友竹だったら、言いかねない。
「”は?”やあれへんわ、ホンマに。おまえのダンナ、どないなってんね?」
呆れたような揶揄するような真弓の声音に、天照はにが笑いする。

「ホンマ、アホやな」
真弓には、二人がただの友だちではなく恋人同士だと告げている。遠慮なく惚気られる、数少ない相手だ。
「春日て、普段は冷静で落ち着いてるけど、なんで国立のコトになるとアホみたいになんね?」
心底不思議そうに言う真弓を一瞥して、
「そら、俺にベタ惚れやからや」
サラリと言ってのける。

「な、」
聞いた真弓は絶句して、みるみるうちに耳まで赤くなる。
「おまえら、二人揃ってホンマモンのアホや」
「おおきに」
”二人揃ってアホ”と言われたのが嬉しくて、天照はにっこり笑う。

「あ、国立さん」
そこで前の方から声をかけられる。見れば、後輩の菊池壮(きくちそう)がこちらを向いて立っている。見知らぬ女の子と一緒だ。
「な、待ち合わせしてるて、ウソちゃうやろ」
「えーっ、男の人やない。それより、うちと遊びに行こオ」
「また今度、誘てな。ほな」
スルリと逃げて、天照の前に来る。

「国立さんも、早(は)よ着きすぎたん?」
「俺もおんのやけど」
下がりぎみの目じりをますます下げて、ニコニコと天照に話しかける菊池に、真弓はひとつセキばらいする。
「ああ、真弓さん。あんまり小(こ)まいさかい、気づかへんかったわ」
「失礼なヤっちゃ」
菊池の先輩を先輩とも思わない口のききかたには、ラグビー同好会の皆は慣れている。天照や菊池に比べて小柄な自分に対する冗談めかした言葉も、真弓は軽く殴る真似をして受け流す。

「それより菊池、今の子オ、知り合いか?」
さっきまで菊池と一緒にいた女の子から、きつい目で睨まれている。
「ええ!? ちゃうちゃう。ここで一人で待っとったら、向こうから声かけてきたんや」
女連れの菊池と遭遇するのは、珍しい事ではない。それもいつも違う女の子だ。だが天照の姿を見つけた菊池は、連れていた子を放って天照に寄ってくる。その結果、天照はその子からきつい目で睨まれる。

その都度やんわり諌めるのだが、菊池はいっこうに改めようとしない。
「ところで、今日は春日さんは?」
その菊池も、友竹は苦手なようだ。出会い方が出会い方だっただけに仕方がない。
「友竹はオヤジさんの用事があって、来(こ)れへんね」

「ホンマか?」
とたんにパッと顔を輝かせる。分かりやい性格だ。
「ほな今夜は怖い保護者のおらんさかい、トコトン羽根伸ばせるな」
嬉しそうな声で、今にも天照の肩を抱かんばかりの勢いだ。

「あいにく、国立の監視は俺がおおせつかってんね」
そんな天照と菊池の間に、真弓は割り込む。
「はあ? なんやそれ?」
不満げな声をあげる菊池の肩を軽く叩いて、
「ま、そういうこっちゃ」
天照はにっこり笑った。




  2014.03.01(土)


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