「天さん、ちょお」
その日の晩、夕食の後片づけも終わって風呂を使った天照を呼び止める。
「なんや? 俺、自分の部屋に行きたいんやけど」
「ええから。コッチ来て」
有無を言わさず、リビングのソファに座らせる。

「右足首、筋痛めたんやてな」
座るなりそう訊けば一瞬、驚いた表情を見せる。
「菊池から聞いた」
「・・・そうか」
言い訳しようとしていたが、観念して認める。

「見して」
短く言えば、素直に右足を出す。目で見て確かめる分には左足と変わりなく見えるが、手でゆっくりねじると、痛みに眉をしかめる。
友竹は菊池に借りたノートを開いて、テーピングの方法を確認する。

「友竹。そのノートは?」
「菊池のや」
顔も上げずに答える。
「昼間、菊池に呼び止められて、このノート渡された。足首をテープで固定する方法が書いてある」
伸縮性に富んだ肌色のテープを手順どおりに貼って行く。詳しく図入りで書いてあるので、初めてテーピングする友竹でもそれなりの形になる。

「キツないか?」
「うん」
天照には自分が不機嫌であるのが伝わっているはずだ。声が固い。だが不機嫌なのは、天照が原因ではない。菊池が原因だが、それをイチイチ説明する気はない。

「黙ってたコト、怒ってんのか?」
友竹の気持ちを刺激しないよう、やわらかい声で訊く。だが、それにも硬い声で答える。
「せやない」
「なあ。怒ってる理由、教えてんか」
「それは、」
顔を上げる。心配そうに、天照が見つめている。白状するしかない。

「菊池がこのノート渡す時、自分より一番身近におる俺が憶えてテーピングした方がええて、言うてた」
「へえ」
あの菊池にそんな気づかいができるのかと、天照は感心したように相槌を打つ。
「けど、そのあと」
言葉を切る。気持ちを落ち着かせてからでないと、ここから先の菊池の言葉は伝えられない。
「あと? なんぞ言うたんか?」
「あいつ、自分も”天さん”て呼んでええか、俺に訊いてきた」

天照が息を詰めるのが分かる。
「おまえ、まさか、殴って」
「殴ってへん」
友竹の答えに、天照はホッとした顔を見せる。

「あいつ、ホンマいちびりやな。命知らずなヤッちゃ」
天照は菊池の言葉を、冗談にしたいようだ。からかっているだけだと。しかし、友竹にはどうしても冗談とは思えない。
「菊池は天さんにも同じコト訊いたて、言うてた。天さんも、訊かれたんか?」
「ああ。あんまり腹が立ったさかい、ムカつくて言うてしもた」
菊池から聞いた通りだ。

「そん時、菊池が言うたのは、それだけか?」
天照の目に動揺がはしる。その変化が百の言葉を重ねるよりも雄弁に、真実を物語っている。
「やっぱり」
天照の手首を掴む。
「菊池に、好きて、告げられたんやな」
強く、掴む。

「と、友竹」
弱く抗うが、友竹は許さない。天照に想いを告げた菊池も、想いを告げられた事を黙っていた天照も、ただ想いを告げられただけの事にこれ程動揺している自分も、何もかもが許せなくて、天照に跨ってますます強く手首を掴む。

ミャア。
その時、部屋のすみでミケが鳴く。ハッと自分の手を見れば、指の間接が白くうきたつほど力が入っているのに気づく。
「あ」
手を離す。天照の手首には、友竹の指の痕が明確に残っている。

「痛かった?」
「痛かった」
「そうか」
短く言葉を交わす二人に、もう一度ミケが鳴く。

「ミケ。大丈夫や」
ソファから離れ、ミケのもとへ。自分を見上げるミケを優しく抱き上げる。
「ケンカと違う」
パタンと小さく音がして、リビングのドアが閉まる。天照は何も言わず、自分の部屋へ戻ったようだ。

「俺が一人で、怒っとるだけや」
つぶやいて、ミケの頭にほほをすり寄せる。温かな感触に、何故だか涙が出そうになっていた。



友竹に知られた。
菊池に想いを告げられたのかと訊かれた時、言葉では認めなかったが、とっさに平気な顔ができなかった。一番知られてはならない菊池の自分に対する想いを、友竹に知られてしまった。
その事がどれだけ友竹を傷つけたか。その場の空気を思い出すだけで、胸が痛む。どう言葉をかけていいか分からず、いたたまれなくて、友竹一人を残して自分の部屋に逃げ込んだ。

以来、友竹との仲はギクシャクしている。同じ部屋にいながら、言葉を交わすのは必要最小限。目も合わさない。
・・・もっと、上手に隠したら良かったんやろか。
何度も考える。

だが、そういう状態が続くうちに、天照もだんだん腹が立ってくる。自分は菊池から想いを告げられただけだ。決して応じたわけではない。拒んでもいないが、それは自分が菊池相手に気持ちを揺らす事はないと断言できるからだ。
・・・友竹のヤツ。自分はモテモテで、女の子からの告白なんかしょっちゅうのクセに、俺がモテると気にくわんのか。

それに、告白してきた相手は菊池だ。菊池はナンパで、女の子との派手な噂にこと欠かない男だ。年上で、しかも同性の自分を好きになるなんて、気の迷いとしか思えない。案外すぐに熱が冷めるような気がする。

・・・けど、俺を好きやて告げた顔は、本気の、男の顔やったな。
その時の菊池の顔を思い出す。ほほを上気させ真剣な目で、ひと言ひと言噛みしめるように好きだと告げた。あんなに真剣な顔を見せられて、不覚にも心に波がたった。
・・・あれが、気持ちが揺れるてコトやろか?

天照は自分の左胸を押さえる。規則正しい鼓動を手に感じる。今はもう凪いでいる、さざ波ひとつたっていない。
と、背後でドアの開く音がする。
「国立さん、おったんか」
菊池だ。菊池の声を聞いたとたん、心臓がはねる。

「驚かしなや」
告白されてからは、菊池をさけている。妙に意識してしまって、ラグビーの練習や試合の時はともかく、それ以外は近寄らせてもいない。その菊池が、天照が一人残っていた部室のドアを開けてまっすぐに近づいてくる。
「驚かしてへんわ。もう帰ったかと思てた。なにしてんね?」
「ああ。足首のテープ、はがしとこと思うて」
試合が終わって、皆が帰るのを待って足首のテープをはがすところだ。自分が右足首を傷めている事は、友竹と菊池しか知らないし、他のチームメイトに知られてはならない。

「俺がしたるわ」
言って、菊池は天照の前にヒザをつく。
「ほら。足、出して」
そして自分のヒザを軽く叩いて、足を乗せるよう促す。

一瞬、躊躇するが、意識しすぎるのも変だと思いなおして、菊池のヒザに足を乗せる。菊池はニヤリと笑って、天照の足首に触れる。テープをはがす高い音が、日の暮れかけた部室に高く響く。
「春日さんは?」
顔を下に向けたまま、菊池が訊く。
「先に帰った」
低い天照の返事に、意外そうな声をあげる。

「へえ。・・・あんたと春日さん、今日の試合まるでアカンかったな」
リーグ優勝をかけた大事な試合だというのに、肝心の天照と友竹の動きが冴えず、トライできなかった。結果は引き分け。まだ優勝できる可能性は残っているものの、微妙な状況だ。
「ケンカでもしたんか?」

おまえの所為だと、言いたい。おまえが告白などするから、自分の気持ちは乱れ友竹も不機嫌になったのだと。
しかし、菊池の顔を見て止める。
「なんで嬉しそうやねん」
菊池は嬉しそうに目を輝かせて、天照を見上げている。

「せやかて。あんたと春日さんが仲たがいしてんの、俺には好都合やん」
「はあ?」
「この機会に、真剣に俺とつき合うコト、考えてくれへん?」
「アホか」
菊池の言葉を鼻で笑う。

「おまえ、女の子相手でも酔わせて部屋に連れて来るんか?」
「国立さん」
強い口調だ。声に不快な気持ちが現れている。
「んなワケ、ないやろ。俺は女はもちろん、誰も部屋には入れん主義や」
菊池の言葉にウソはないだろう。ならば、天照は菊池の部屋に入った特別な人という事になる。
「茶化さんと。真面目に考えてんか」
強い口調で、真剣な目で、菊池は見つめる。

「・・・菊池。なんで、俺やねん?」
訊けば、口元を歪めてにが笑いする。
「あんたは? なんで春日さんなん?」
「それは・・・」
高校2年の時、強制的に転校させられた先で友竹と出会った。同じくらい足が速くてケンカが強くて、凛としていて。気がつけば友竹だけを見ていた。運命としか、言いようがない。

だが天照には妥当な言葉が見つからず、口をつぐんで菊池を見つめる。
「せやろ。・・・俺も、説明でけへん」
目を伏せて、なんでやろなと歌うように言うと、菊池は天照の足首をそっと両手で包み込む。
「理由は説明でけへん。けど、俺はあんたが好きなんや」
つぶやいて、天照のヒザに唇を寄せる。

唇が触れた瞬間、確かに自分の気持ちが揺れるのを、天照は感じていた。




  2014.04.02(水)


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