将人の着ていたブランド物のスーツは処分し、かわりに綿パンにトレーナーという目立たない服を
着せて出発する。
車は4人の男を乗せて、市内から山中へ入る。時おりガタガタと車体を揺らしながら山奥へ入って
いく車中では、ほとんど会話らしい会話はかわされない。
途中で一度給油して、さらに車は山奥へ。日が傾き山の端にかかる頃、ようやく車はとまる。

「ちょお、待っとけ」
この辺りは避暑地で、寒いこの時期にめったに人は近づかない。潜伏先にはもってこいと言える。
迅は誰かの別荘であろう丸太造りの山小屋に用心深く近づき、窓ガラスを割って中へ入る。
「大丈夫や。入ってもええで」
中は外観の素朴さとはとはうってかわっての豪華さで、酒も食糧も地下室にたっぷりとある。

迅は将人をソファに座らせると、目かくしを取る。
「ここは?」
「山小屋や。この辺りに人家はない。陸の孤島ってとこやな。それに今度逃げたら、こいつで、」
と、拳銃を見せて、
「撃つ。ええな」
「ああ」
おとなしく将人は頷く。だが、その目はまだあきらめてはいない。

お坊っちゃんタイプのインテリヤクザかと思たら、なかなかどうしてガッツがあるで。
将人の顔を見て、迅は口の端をあげて笑う。
そして、少しだけ将人に親しみ感じる。

「関、暖炉に薪をくべて火ィおこせ。金子は食事の用意や」
テキパキと舎弟に指示を出し、迅は将人の手錠をはずす。
「この家の中やったら自由にしてええ。ただし外に出たり電話をかけたりはアカン」
「ああ」
「便所もフロも監視をつける。ええな」

地下室にある食糧を失敬して、簡単な夕食をとる。
将人は人質にとられているという自覚がないのか、あるいは他の思惑があるのか、まったく食欲の
衰えを見せず、出された食事をすべて平らげる。

食事の後、関にフロを用意させる。将人にも迅の監視つきでフロを使わせてやる。
「ひゃー、ゼータクなフロ」
この山小屋の持ち主はよほどの金持ちなのだろう。フロは一度に5人は入れるくらい広く、湯船は
ひのき造り、天窓からは夜空が見える仕掛けになっている。
将人も木造りのフロが珍しいのか、コンコンと湯船を叩いたり、湯を嗅いだりしている。
先に迅が体を洗い、それから将人が洗い場で頭を洗う。湯船に入っている迅は将人の目が見え
ないのを幸い、じっとその体を観察する。

服の上からはわからなかったが、ガッチリと鍛えられたいい体をしている。その適度に筋肉のついた白い肌には、男の彫り物にしては珍しい弁天様の絵柄が、なまめかしく描かれている。
弁天様は湯気に暖められて、ほんのりと桜色に染まっており、本当に血がかよっているかのようだ。
知らず、迅はごくりと生つばを飲み込む。

「なんや?」
「いや、あんたの背中、それ弁天様か?」
「そうや」
そんな迅の目など知らず、頭を泡だてながら将人は頷く。

「男の彫り物にしては珍しい」
「彫り師が勝手に決めよったんや。出来てびっくりしたけど、今は気にいってる」
「うん。なんやあんたに似合(にお)てるわ。」
湯のなかで、ほほを上気させながら迅はそう言う。

「あんたは?」
ザッと泡を流して、今度は逆に将人が訊く。
「俺は魔利支天や」
立って将人の方に背中を向ける。そのひきしまった背中には、美しい軍神が飛天の姿で描かれて
いる。
「へぇ、見事なもんや」
将人にそう言われるとまんざらでもない。

だが考えてみればおかしな話だ。二人は敵対する組の幹部同士で、しかも誘拐した方とされた
人質だ。
なのに今、一緒にフロに入り、親しみにも似た感情を感じている。
いや、馴れ合うたらアカン。
迅はわざと乱暴に湯をしたたらせながら湯船をでる。
「のぼせる前に出よか」



翌朝早く、迅は寒さで目が覚める。昨夜はフロから出て、居間でそれぞれ毛布にくるまって、男4人でザコ寝した。
「うぅ…」
尿意をおぼえ、寒さに痛む関節をガマンして立ち上がる。
「たっ」
ガシャーン! うす暗い中、テーブルの足につまづき、派手な音をたてて転ぶ。
「な、なんや!」
それでいっぺんに他の3人も目が覚めたようだ。

「なんです、今の? 大丈夫でっか?」
寝起きのいい金子が、立ち上がりそばに寄ってくる。
「ああ。便所に行こ思たら、このザマや」
「気ぃつけてくださいよ」
「うるさいで」
ぶつけた足をさすりながら、迅は立ち上がる。

ふと見れば、将人が寝起きのボーッとした目でこちらを見ている。
「よぉ。よく眠れたか?」
「…いや。体がいたい」
「大丈夫か?」
「大丈夫や」
ろくな夜具もなく、しかも捕われの身で体が消耗していないわけはないのに、将人は努めて平気な
顔をしている。
そんな将人の態度を生意気に思う反面、弱みを見せようとしないタフな精神力に感心する。

迅の言外の気持ちを、関は敏感に感じ取ったのかもしれない。
「アニキ、ちょお」
簡単な朝食の後、戸の影に迅を呼ぶ。迅は頷いて立ち上がると、関の隣に行く。
「銭の受けとりのことでっけど」
「せやったな」

昨日の電話では、将人の身代金の受けとり場所や時間までは言っていない。
今日山を降りて、さんざ文珠院組の連中をひっぱりまわしたあげく、金と将人を交換するつもりだったからだ。
「今日にするか、明日にするか。どっちです?」

「う〜ん」
迅はこめかみのひっつれキズを触る。昔のケンカで出来た古いキズだ。考えごとする時、このキズを触るのが、迅の癖だ。
キズを触りながら迅は考える。一日実行が遅れれば、それだけ成功の確立は低くなる。失敗は即ち
自分たちだけでなく、児島組の破滅をも意味する。

考えこむ迅の横顔を見上げて、
「アニキ、あいつは文珠院組の四代目や。妙な情けをかけたらあきまへんで」
ギクリ、とくるようなことを関は言う。
顔を見ればこめかみに血管がういている。怒っているのだろう。

無理もない。将人に対して憎しみではなく、親しみともいえる感情を抱いているのは何故か、迅自身
わからないのだ。
だが、今は関の方が正しい。将人は敵対する文珠院組の四代目で、人質なのだ。
迅はそんな自分の思いを打ち消すように、半ば意地になって、大声で言う。
「計画どおり実行する!」



痕跡(あし)がつかないよう室内をキチンと片付けて、出発の準備をする。
「今から出たら、ちょうど夕方やな」
ポロリともらした金子を、関はシッ!と軽く叱責する。将人の耳があるところでめったな事を言っては
いけないと、言いたいのだろう。
「…チッ。雨や」
そんな関と金子を横目で見て、迅はしとしとと降りそぼる雨に舌打ちする。

「よぉ、あいにくの雨やで」
「ずっと雨やないか」
食べて少しは楽になったのだろう。目に強さが戻ってきている。
これから身代金の受けとりに行くことをうすうす感じているのだろうが、将人は緊張を毛ほども
見せない。

今日の取り引き如何によっては自分の命すら危ういことがわかっていて、それでもこれだけ
落ち着いていられるとは、本当に根性がすわっている。
ほとんど感情をみせない冷徹な顔をしているかと思えば、子供のような顔をして眠っている。
どちらが本当の将人なのか、迅は不思議に思う。

だが、そんな将人とも今日でお別れだ。
「手を」
迅はくるりと将人の目の前で手錠を回す。そして将人の手を背後で合わせて、手錠をかける。
「アニキ、車まわしときまっせ」
「オウ」
呼びにきた関を先に外へ出して、迅は将人に耳栓をする。そして目かくしをとりだし手振りで
目を閉じるよう指示する。

将人は頷いて目を閉じる。迅はメガネをはずして、きつめに目かくしをする。
今日こいつと別れたら、もう二度と会うこともないんや。
ふいに、そんな思いが胸をよぎる。

「さ、行こか。黒田はん」
何故か、本当にどうしてだか分からない。が、迅は将人の肩に手をかけ、
「…」
唇を重ねる。

一秒にも満たぬ、しかし、はっきりそれと分かる口づけに驚いた将人を、迅は乱暴に突き放し、
力まかせに腕をひっぱって車へ押しこむ。
「よし、出発や!」




  2011.07.13(水)


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