小屋の外はまた雨。
「せっかく服も靴も乾いたのに」
「しゃあない」
迅はボヤく将人に笑いかけて、小屋を出る。とにかく山を降りれば、どこかで必ず道にぶつかる
はずだ。
先を歩く迅はケガをしている将人をかばって、なるだけ歩き易いところを通る。将人もまだ足下が
おぼつかないのに、迅に心配をかけまいと、歯をくいしばってついてくる。

「休憩しよか」
1時間ごとの休憩も、小屋を出てからこれで二度目だ。迅は先に将人を座らせ、ポケットから
キャラメルを出す。
「これが最後や」
「おおきに」
しばらくは二人黙ってキャラメルをなめる。

「…あんたには、自分を狙ったヤツ、わかってんねやろ」
「ああ」
小さな雨の粒を髪にのせて、将人は頷く。
「きっと同じヤツが児島組からの宝石も、文珠院組の金もちょろまかしたんや」
「なんのために?」
「そら児島組に動いてほしかったからやろ。金を渡さへんかったらメンツつぶされた児島組は
必ず動く。宝石を隠せば話はこじれる。そういう悪知恵だけは働く男や」

「アキれた話や!」
憤慨して叫ぶ迅に頷いて、将人は続ける。
「俺は先代の妾の子で、兄は本妻の子や。俺は生まれてすぐ母親と離されて、本宅にひきとられた。兄は仲良うしてくれたけど、それでも俺は文珠院の家が嫌で嫌で仕方なかったんや」
嫌だったから、将人にはどこか寂しげなところがあるのかと、迅は思う。

「それで、あんたには極道の匂いがせんのやな」
「そうなんか?」
はにかんだように将人は笑う。
「そうや。きれいすぎる」
「これでも、いろいろと修羅場はくぐってきてんねんで」
「せやな」

将人の言葉は単なるイキがりではないだろう。だが、それでもなお将人には極道の影がない。
「できれば、あんたには四代目を継いで欲しないけど。そういうわけにはいかへんのやろなあ」
迅のつぶやきに、一瞬将人の顔は曇る。
「…兄は先代の長男やさけ三代目を継いだけど、体が丈夫な人とちゃう。いつポックリいくか
わからん自分より俺の方が適任やて、俺に四代目を押しつけるつもりでおってるのや。
せやから、」

「わかってる」
将人の言葉を優しく制して、迅は立ち上がる。
「つまらんことを言うてしもた。さ、遅くならんうちに行こか」
「迅」
慌てて将人も立ち上がる。そして、歩き出す迅の手をつかんで引き止める。

「俺かて、ホンマは極道は嫌や。あんたが一緒に居てくれるんやったら、四代目なんて」
「おおきに」
将人の言葉にウソはないだろう。だが、信じてはいけない。将人は文珠院組の四代目、
自分は児島組の人間。
夢を、見てはいけない。
「さ、行こ」



二人が文珠院組の事務所に辿り着いたのは、日の暮れた頃だ。
ボロボロの姿で帰りついた将人と、一緒についてきた迅に、組員たちは驚いていたようだが、
すぐに奥に通される。

「将人はん」
傷の手当も終わり、自室でフロにはいりヒゲをあたって小ざっぱりとなった将人のところへ、
三代目である文珠院が自ら出向いてくる。
「組長…兄さん」
「無事やったんやな」
今にも泣きそうな表情を見せる文珠院に、将人は頷いて、
「どうぞ、座ってください」
ソファをすすめる。右腕と呼ばれる西脇も一緒だ。

「…あんたは?」
さすがに西脇は面識のない迅をみとがめ、鋭い目つきできいてくる。
迅は気をつけの姿勢をとって挨拶する。
「お初にお目もじします。私は児島組若頭、黒田迅いいます」

「児島組やて」
「西脇、今説明するさけ」
気色(けしき)ばむ西脇を制して、将人はこれまでのことをかいつまんで説明する。

その間、迅は将人の話に聞きいっている文珠院をじっと見る。
こんなに近くで三代目である文珠院を見たのは初めてだが、どことなく将人に面ざしが似ている。
それに、極道らしからぬ雰囲気も。

「…だいたいの事情はわかった」
将人の話を聞き終えた文珠院は、座っていたソファを立ち、床に直接正座する。うしろで控えて
いた西脇も一緒だ。
「黒田はん。ホンマにありがとうございました」
そして深々と頭を下げる。

「く、組長さんっ!」
慌てて迅も床の上に正座する。
「どうかお手をお上げんなってください。お願いですさけ」
文珠院は名だたる文珠院組の現組長だ。その男が頭を下げるなんて、考えられないことだ。
「いえ、それでは筋が通りまへん」
「どうか、恐縮しますさけ、どうか」
「ほな、どうお礼を言うたらええのや。黒田はん、私が出来ることやったらなんでもする。遠慮せず
言うてください」
「そんな…」

迅は困って将人の顔を見る。将人は優しく笑って、何でもねだったらええと頷く。
「さ、なにがええ?」
「ほな、手打ちを」
「手打ち?」
「はい。文珠院組と児島組と、なんの遺恨も残さんいう約束で、手打ちをしてもらえまへんか。
ムシのええお願いやと思いますけど」

「ムシがええやなんて」
文珠院は本当にそんなことでいいのかという目で、迅を見つめる。
「あきまへんやろか?」
「いや。本当にそんなあたり前のことでええんか? 今度のことは私どもの内輪のハジがおこした
不始末。なんと言われたかてしゃあないのに」
「ほな、していただけるんですね」
「ああ、喜んで」

迅はホッと胸をなでおろし、ホンマは児島の姐さんが決めなアカンのでっけどと、照れて笑う。
そんな迅を将人はニコニコと見ている。
「そうと決まれば、早いほうがええですね」
西脇の言葉に文珠院は大きく頷いて、
「せやな。西脇、すぐに手打ちの準備を。児島の姐さんに連絡してや。それと、あっちの方、頼むで」

あっちの方とは、将人を殺(と)ろうとした男の処分だ。きっとその男には厳しい処分が下されるの
だろうが、それをまるで食卓で塩を取ってくれと言う同じトーンで文珠院は命じる。
いくら見てくれは弱々しくても、間違いなく文珠院組の三代目だった。



それから1日おいて、手打ち式が行われる。
思った通り、向こう側にズラリと並ぶ文珠院組の幹部の数が一人減っている。

居並ぶ幹部の顔を順に見てけば、上座に座る将人と目が合う。
「あ」
穏やかな表情で自分を見つめる将人から慌てて目をそらし、結局式の間中ずっと下を向いている。

「アニキ」
堅苦しい式も終わり、幹部連中を送り出したあと、迅は駐車場へ向かう。駐車場では待っていた
関と金子が、迅の車からおりてくる。
「終わったんでっか?」
「ああ」
「お疲れさんでした。…乗って帰らへんのでっか?」
ドアを開けても車に乗ろうとしない迅に、金子は訊く。

「ああ。ぶらぶら歩いて帰る。おまえらはコレで遊んで帰れ」
と、ポケットから無造作に万札を何枚か出して、金子のポケットにねじこむ。
「おおきに」
「おおきに。ええんでっか?」
パッと顔を輝かせた舎弟に、
「おまえらも疲れたやろ」
言って、ニッと笑う。

「ほな、お先に失礼します」
「オウ」
金子の運転する車のテールランプが見えなくなるまで見送って、ぶらぶら迅は道へ出る。
その顔にポツリと雨が降りかかる。
「チッ。また雨か」

震えるようにポツリポツリとおちてきた雨は、やがてサラサラと霧のように降りはじめる。
迅はコートの襟をたて、ポケットに手をつっこんで石畳の道を歩いていく。
そして、考えるともなしに将人のことを考える。

今夜の将人は外国製の、きっと値段を聞いたら目玉が飛びでるくらい上等のスーツに身を包み、
大勢の幹部を従えて文珠院組の組長の隣に座っていた。
これが、現実や。
迅は思う。将人はああして文珠院組のトップでいるのが一番似つかわしい、と。そんな将人を、
ほんの一瞬でも手の届く存在だと思ったなんて…。
「とうとう、いっぺんも晴れんやったな」
靴音が雨の間に消えていく。
…もう会うこともない相手や。きっぱりと忘れてまえ。

「くそっ」
ポケットからタバコを取り出し、くわえる。カチッ、カチッ。だが、百円ライターでは火がつかない。
「チッ」
小さく舌打ちしてタバコを捨てる。
こんな気分のムシャクシャした夜は、酒でも飲んで、女でも抱いて、クタクタにボロボロになって
眠るしかない。

「ん」
と、ふと、足下に影がおちる。
影をたどって視線を上げれば、
「…」
将人が、立っている。
ポゥッとけぶる街灯の下、カサもささずに雨に降られている。

顔色ひとつ変えずに、立ち止まって将人を見ていた迅だったが、すぐまた視線をおとして、
将人の横を通り過ぎる。
「なんで、顔を見ィひんね」
ギクリ、とするような声音で、すれちがいざまにそう言われる。

迅は大きく息を吸って、それでも無視して大股に歩いて行く。
「待ってや、迅」
「俺を呼ぶな!」
追いかけてこようとする将人を、背中で拒絶する。

「なんで!」
それでも将人はあきらめない。
「なんでもや!」
「こっち向け!」
肩をつかまれ、ぐいっと体をひっぱられる。

将人は真剣な表情をしている。
「さっき、どうして俺を無視したんや」
「…」
「なんで俺を避けんね。俺に惚れたて言葉は、あれはウソやったんか?」

「ウソやない」
ウソだと言ってしまえばよかったのに、迅は正直に答える。
将人に見つめられて、惚れてないとウソがつけるほど、迅は狡猾ではない。
「けど、一緒にはおれんのや」

「なんで?」
痛いほど肩をつかまれる。その力の強さに将人の本気を感じとる。だから余計につらいのだ。
自分も将人も本気だからこそ、この気持ちはあきらめなくてはならない。迅は大きく吐息をついて、
キッと将人をにらみつける。

「わかってるやろ、あんたと俺とはしょせん住む世界が違うんや。せやから、」
「もう会わへんて言うんか!」
「そうや!」
はっきり肯定する。将人の表情がみるみる苦し気に変わっていく。

ズキリと、胸が痛む。

「…同じ極道やないか。ひとつ穴のムジナや。なのに、会わへんて言うんか」
今はまだいい。だが近い将来、きっと将人は自分と一緒に居ることを後悔するに違いない。
そんな惨めな思いをするくらいなら、今のうちに忘れた方がいい。
迅は将人に言うべきなのだ、男同士で惚れあうなんて非常識だから、もう二度と会わないと。
そして、肩におかれた手をふりほどき、このまま走り去って一生将人の前に姿を現すべき
ではないのだ。
「まさ…笠原はん…」

だが、どうしても、迅にはできない。

将人は、つっ立ったままピクリとも動かない迅の肩からそっと自分の手を離し、一歩後ろへ下がる。
そしてじっと迅を見つめる。例えようのないほど、哀しい目だ。

「俺は、迅が好きや」
雨がサラサラとその髪に降りかかり、ほほをつたって流れていく。
「ずっとあんたと居たい。…ほんの一週間前までは、あんたの顔も名前も知らんかった。
けど、もう離れられへん」
雨粒が、いくつも将人のほほをつたっていく。
「迅は、離れられるんか? 俺を知らんかった一週間前の自分に、戻れるんか?」

ぬれそぼる将人の姿は、文珠院組の四代目ではなく、どこか寂しげなただの青年でしかない。
そして、迅はそんな将人を好きになったのだ。

もうこれ以上、自分にウソはつけない。

迅はゆっくり頭を左右にふると、
「戻れるわけ、ない」
大きく両手を広げて、ゆっくり将人の体を抱きしめる。

ほんの一週間だ、二人が知り合って。
それなのに、生涯のうちのほんの一週間で、二人の運命は大きく変わってしまった。
「離れられるわけ、ないんや」
「迅」
自分の名前を呼ぶ将人を抱きしめながら、迅はこの一週間を信じてみようと思う。

サラサラと、11月の雨が抱き合う二人に降りかかる。
秋の名残りの雨だった。


                                              ―おわり

  2011.07.28(木)


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