鬱蒼とした杉木立ちの中を二人は歩く。とにかく下へ下へ。麓まで行けばバスでも電車でも、
何かあるはずだ。それまでは二本の足で歩くしかない。
日も暮れて、辺りは真っ暗闇。自分の足下すらおぼつかない。

「…疲れたやろ」
「少し」
将人の白い顔は疲労のためか、ますます白く見える。
「座ろ」
山歩きには二人とも不慣れなうえ、雨でぬかった道ともなれば、疲労は倍だ。
迅は大きな倒木に座り、隣に将人を座らせる。

そして、いつものクセでポケットからタバコを出して、一本口に持っていく。百円ライターで火を
つけかけて、
「あ、」
ようやく将人のタバコ嫌いを思い出す。
「すまん。いつものクセで」

「かまへんで」
将人は額にはりついた前髪をかきあげながら、うすく笑う。メガネは逃げるうちにどこかへいって
しまったようだ。今の将人にはいつもの恐ろしいほどの迫力はなく、年相応の疲れた青年の顔を
している。

こいつを守らなアカン。
迅は突然強くそう思う。理由も何もない。ただ母親が子供を守ろうとするような、自然な感情だ。

「…いや。やっぱりやめとくわ」
迅とて、もう立ち上がりたくないほど疲れている。それでもなお将人を気づかってタバコを捨てる。
「気ィ使わんといてもええのに」
「欲しくないんや。走ったらアゴでるし。…せや」
上着のポケットにパチンコのおまけで貰ったキャラメルがあったのを思い出し、箱をあけて一つ
口に放りこんで、将人にもすすめる。

「おおきに」
将人は素直に礼を言い、一粒口にいれる。
その青白い横顔を見ながら迅は考える。
さっき将人は命を狙われていると言った。実際、グレーの車に乗った男たちは、将人がいるのに
かまわず撃ってきた。だから、その話は本当だろう。

ただ理由がわからない。将人は文珠院組の四代目だ。その将人の命を狙おうなんてバカは
そうそういまい。
ならば、よほどの理由があるに違いない。

もう一度、迅は将人の顔を見る。
ちょうど顔をあげた将人と目が合う。
「黒田はん、あんたも大変やな」
「なにが?」
「俺を誘拐したばっかりに、マシンガンに狙われるやなんて。ついてへんな」
「それは覚悟のうえや」
迅はじっと将人の目を見つめる。
「俺の命はないもんと、この計画たてた時から思てる。まさか山の中でマラソンやらされるハメに
なろうとは思わへんかったけど」

「アホやな」
将人は鼻で笑って、すぐに真顔になると、手元に視線をおとす。
「狙われてるの俺一人なんやさかい、放っといて逃げたらええのに」
つぶやく横顔がやけに寂しげだ。
「アホなこと、言いな」
迅はそんな将人の言葉をうち消すように、しっかりとした声で言う。
「そんな無責任なこと、できるわけないやろ。あんたは大事な人質やさけな。さ、食ったら行こか」



鉛のつまったような足をひきずり、さらに山をおりる。雨はやんでいたが、空には厚く雲がかかって
いる。その間から差すわずかな月明りを頼りに、二人は林を抜けていく。
そしてようやく林道や獣道ではない、舗装された道にでる。運がよければ長距離のトラックか
何かがつかまえられるかもしれない。

しばらく行くと道路標識がたっている。あと4qも行けば村に出るらしい。
「もうしばらくの辛抱やな」
「ああ」
かすれた声で頷きあえば、後ろから微かなエンジン音が聞こえてくる。

「車や」
「ついてるで」
ほどなく遠くにポツリと車のライトが見えてくる。普通乗用車らしいが、この際ぜいたくは言って
いられない。
「おーい!」
「止まれ!」
道の真ん中に立ち、大きく手を振る。と、車の方もこちらに気づいたようで、スピードをおとして
近づいてくる。

「お、やった」
が、喜びも束の間、ゆっくりと近づいてきた車は、急にスピードをあげて迫ってくる。
「く、黒田はん!」
将人が力まかせに迅の腕を引いてよけたところを、車が走りすぎていく。
「追っ手や!」
じっとしていれば、車はタイヤをきしませて反転し、再びむかってくる。

「くそっ!」
またマシンガンのような銃器で撃たれれば、走って逃げきれる自信はない。
「黒田はん! 上へ!」
将人も同じことを考えていたらしく、自分から林の中へ入っていく。
「ええか、奴ら必ず撃ってくる。かまへんさけ、撃つんやで」
「…わかった」

少し斜面を登って、木の幹に隠れる。汗と雨とでぬれた手の平をジーパンの尻でふいて、
迅は深呼吸する。
車は道の端にライトをつけっぱなしでとまり、中から拳銃を携えた男たちが出てくる。

「ひのふのみでいくで」
カチャ。セーフティロックをはずし、しっかりグリップを握る。
「よし」
「ひぃのふの、みっ!」
パンパーン。続けざまに2発ずつ、男たちにぶちこむ。殺しはせずに持っていた拳銃をはじいた
だけだ。

「出るでっ!」
サザッ! 一気に道へ出て、右手をおさえてうずくまる男たちを蹴ちらし、迷わず車に乗りこむ。
「乗ったか!」
「乗った!」
迅は隣に将人が乗るやいなや、車を急発進させる。初めてとは思えないほどのいいコンビ
ネーションで、二人は窮地を脱したのみならず、車まで手にいれたのだ。

「キャッホー!」
「やった!」
めったに大声などあげないであろう将人まで、興奮した歓声あげる。
「このまま町まで戻るさけな」
「ああ。もう11時か。朝までには着くはずや」
「せやな。疲れたやろ。俺、足マメだらけや」
「俺もや。ホンマ疲れた。けど、うまくいったで」
明るい声に将人の顔を見れば、歯をみせて笑っている。自分にはできない、まぶしいくらいの
笑顔だ。

「…あんた、そんな風に笑えるんやな」
そんな将人がうらやましくて、迅は何気なくそう言う。
「ああ。こない気持ちよう笑うやなんて、何年ぶりやろ」
将人は素直に頷いて、言う。
「なんや知らん。あんたの前やと、素直に笑える」
…俺かてそうや。
口にこそ出さなかったが、迅も同じ気持ちでいる。
だが、自分は児島組、将人は文殊院組の四代目。その事実(こと)が、迅の口を重くする。



車は大きなカーブを曲がる。ポツポツとフロントガラスに雨がおちてくる。
「また雨や」
迅はそうつぶやいて、ワイパーを動かす。

「さっきの礼、まだ言うてへんかったな」
ポツリと、将人は言う。
「さっき? なに?」
「車が木にぶつかった時、俺を助けに来てくれたことや。あの時あんたが来てくれへんかったら、
俺は死んどった。ホンマおおきに」

チラリ、横目で見る。将人はまっすぐ迅を見ている。
「そんな、」
迅は多少ドギマギしながら、
「そんな礼を言われるようなこととちゃう。あんたは大事な人質やさけな」
もう何度目か知れない、言い訳を言う。

「ウソや」
だが、迅の言葉を将人はきっぱり否定する。
「あんたは俺が人質やさかい助けたのと違う。…俺やから、助けてくれたんやろ」
ほほに将人の視線を感じる。あの時はとにかく必死で、どうして助けたかなんて理由らしい
理由を考えている余裕はなかったはずだ。
だが、今落ち着いて考えてみると、将人の言うことも半分あたっているような気がする。

とたんに何の脈絡もなく、さっきの口づけを思い出す。あの口づけも、将人だったから、
したのだろうか。

考えているうちに、チカリとルームミラーが光る。
「笠原はん。あれ、」
「まさか、追っ手が?」
そのまさかが当たったようだ。ルームミラーの光はどんどん大きくなる。
「チッ」
「連絡がいったんやな」
しかもやっかいなことに、追ってくる車は1台ではなく2台だ。

「弾、入ってるか?」
「あと3発」
「俺も似たようなもんや。拳銃(ちゃか)渡しとく。全部カラにしてもかまへんさけ、撃ちまくれ」
「わかった」
ベルトにはさんだ拳銃を2丁とも将人に渡して、迅はスピードをおとす。できるだけ引きつけて
おいて、撃たせるつもりだ。

大きいカーブの続く山道にさしかかったところで、後ろの車から撃ってくる。
「撃つで!」
将人は窓から大きく身を乗り出し後ろの車の運転手を狙うが、右に左に車が走るのでなかなか
当たらない。
そのうち弾はあと1発になってしまう。
「アカン、弾ぎれや」
後ろからの弾は車体をかすめて飛んでいく。

バァン! だが、とうとう命中し、大きな音をたてて後ろのタイヤがパンクする。
「うわっ!」
車は派手に尻をふりながら蛇行し、対向車線にまではみだして、鼻を藪につっこんでようやく止まる。
「ケガは!」
「ない!」
「逃げるで!」

急いで外に飛びだしたところを、パァッと強い光に照らしだされる。
「くそっ!」
将人は最後の1発でひとつライトをつぶし、拳銃を投げつける。

残り三つのライトに追われ追われるうちに、とうとう迅はぬかるみに足をとられてしまう。
「黒田はんっ!」
将人も足をとめる。車は大きくまわりこんで退路を断つ。万事窮す、だ。

「ハァ、ハァ」
迅は痛むヒザをおさえて立ち上がり、強い光に手をかざす。
目の前にとまった車から男たちがおりてくる。後ろはガケになっていて、その下に雨で増水した川が
轟音をたてて流れている。
迅は意識せず、かばうように将人の前に立つ。

「手こずらせて、くれましたなぁ」
一番最後に恰幅のいい男が出てくる。どうやらこいつが今回の黒幕らしい。
「やっぱり、おまえか」
二人の立つ位置から男の顔はカゲになっていて見えない。だが将人にはすぐに男の正体が
わかったようだ。鼻白み憎々しい声で言う。
「やっぱりて、ほななんで私が出ばって来たんか、坊ンにはわかりまっか?」

将人は迅の後ろから一歩前に出ると、
「俺が妾の子ォやさかい、跡目継がせたくないんやろ」
妾の子。そうか、それでか。迅は納得する。

将人は次期組長の座を巡っての文珠院組の内部抗争が原因で、命を狙われていたのだ。
どうりで理由を言いたがらなかったわけだ。

「そこまで分かってはんねやったら話は早い。おい」
と、男は部下から拳銃をもらい、将人に狙いを定める。
「ええですか、坊ン。あんたは児島組の組員にら致され、殺されるんです」

「アホ言うな!」
たまりかねて、迅は前に出る。
「なんで俺らが笠原はんを殺さなアカンね!」
「じゃかァしい!」
怒号を叩きつけて、男は迅に銃口を向ける。
「心配せんといたかて、すぐに後追わせたる。それまで黙って見とけや」

そこまで言われて黙っていられる迅ではない。
「けっ、たかが若造一人殺すのに兵隊ゾロゾロひきつれて、さんざ手こずった挙げ句、
人に責任なすりつけよる。見上げたもんやで、文珠院組の幹部てやつァよお!」

「き、気がかわった」
ここからでも男の体が怒りでプルプルと震えているのがわかる。
「まず、おまえから始末したる!」
クッ。男の指に力がはいる。

「危ないっ!」
バンッ! 撃たれたっ! 迅がそう思った瞬間、強く横に突き飛ばされる。
「あ!」
そして、かわりに将人の肩口に血煙がたつ。

「か、」
射たれた反動でグラリとバランスをくずし、そのまま、将人はガケ下に消えていく。
「笠原はんっ!」
将人が撃たれて落ちた。そのことが迅の理性を吹き飛ばす。

「やれやれ、とんだ番狂わせやったな」
「オォッ!」
迅は獣じみた唸り声をあげて、手近の拳大の石を男に投げつける。
グシャ!
目にもとまらぬ早技で投げつけられた石は、いやな音をたてて男の手をつぶす。
「グギャーッ!」
断末魔にも似た男の絶叫に目を細めて、迅もガケ下へと身をおどらせる。
「うおおーっ!」




  2011.07.20(水)


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