遙のツルの一声で、皇が”ひなた弁当”の現金出納帳をつけ始める。数ヶ月前までさかのぼらなければならなかったが、幸い領収書やレジの売上記録などは、春奈がキチンと保管してくれているので、皇はそれらを日付順に並べる事から始める。

ただ現金出納帳をつけるだけではなく、得意先別の売上や仕入れ先別の支払い、それに水道光熱費や雑費など経費の内訳も集計してみる。経済学部に身を置き、証券会社では顧客の資産のありようをみてきた皇にとっては、朝飯前の作業だ。

すると、今まで分からなかった”ひなた弁当”のカネの動きが見えてくる。
「これは…」
集計した結果をまとめた表をみて、皇は絶句する。

”ひなた弁当”で働いていて、ぼんやりと、この店儲かってんのやろかと考えた事はある。その時は、潰れへんのやさかい多分儲かってんのやろ、くらいにしか思っていなかった。
しかし、こうしてキチンと現金出納帳をつけて、売上、仕入れ、経費を計算してみると、明らかに売上に対して仕入れや経費が多い事がわかる。

弁当屋で儲けを出そうとすれば、食材費は売上の30%程度におさめるのが鉄則だ。店舗の家賃は
10%、水道高熱費は5%、その他ゴミ処理や容器代、こざこざとした消耗品が5~8%、人件費は
25%程度までと、皇は認識している。それでようやく75%の原価となる。
”ひなた弁当”は建物自体は日南田家の持ち物で、払いも終わっているので家賃はない。その分、儲けは多くてもいいはずなのに、思ったほど出ていない。

それは、仕入額が大きいからだ。もっと詳しく分析すると、米や野菜や魚などなどの食材に対する仕入れ額が大きいのがわかる。遙は食材を近くの商店街にある八百屋や魚屋などから仕入れているので、どうしても単価が上がってしまうのだろう。
…けど、仕入れ先を変えたら、もっと儲かるはずや。
皇は確信する。以前、メニューを絞って提供する事を提案して、受け入れられ、その結果儲けが大きくなった事を思い出す。
その時、遙は喜んで、皇を誉めてくれた。今度の提案にも、きっと遙は喜んでくれるだろう。
いとしい遙の役に立てる事が嬉しくて、遙の喜ぶ顔を想像して、皇は思わずニッコリ笑っていた。



次の日、さっそく昼休憩の時に遙と春奈に声をかける。生み月が近づいて、お腹の大きくなった春奈は、最近では店に出てきたり出てこなかったりだが、それでも皇が仕事に慣れたおかげで何とか注文をこなせるようになっている。
「ちょお大将、ええかな? 春奈さんも」
ちょうど今日は春奈がいる。皇は思い切って、自分の提案を聞いてもらう。
「今、俺が店の現金出納帳つけてんの、春奈さんも知ってるやろ?」
「ええ。遙は数字はからきしアカンさかいな。助かるわ」
お腹が楽なようにイスに浅く腰かけて、春奈は明るくそう言う。

「ほんで、気づいたコトがあんね」
手書きの表をちゃぶ台に広げる。
「これは損益計算書もどきや。売上に仕入れ、経費の内訳を集計してる」
「はあ」
「これを見ると、店の儲けが足し算引き算でわかるんやけど」
「どこ?」
春奈に訊かれて、皇は儲けが分かる部分を指さす。

「これは、つまり、儲かってるてコト?」
「赤字ではないな」
確かに、足し算引き算の結果はプラスで、儲けが出ている事がわかる。
「いやあ、赤字やなくて、よかったわ」
「ホンマやな」

「いや、アカン」
顔を見合わせて喜ぶ遙と春奈に、皇は厳しい顔をする。
「確かに赤字やないけど、この売上やったらもっと儲けが出てもええ。儲けが出てへんのは、食材費が大きいからや」
食材の仕入れ額を指さす。
「へえ、1ヶ月にけっこう仕入れてるんやなあ」

「なに呑気なコト言うてんね。ここがおさえられたら、もっと儲けが出んのやで」
「せやけど、」
遙は頭をかきながら言う。
「食材の仕入れは、今の弁当の数からいってギリギリや。王子の提案でメニューも絞ったさかい、廃棄する分も減ったし」

「いや、仕入れの量を減らすんやなくて、仕入れ額を減らすんや」
「つまり?」
「うちは食材は近所の商店街で買(こ)うてるやろ? それを大手スーパーや専門の卸業者に変えんね。そしたら量は変わらんと、仕入れ額は減るやないか」
勢いこんで、皇は言う。自分の提案に、遙も春奈もきっと賛成してくれる。そう確信している。

だが、遙も春奈も、黙ったまま何も言わない。怖い沈黙が、数瞬流れる。
「…とにかく、そのコトは少し考えさせてくれへんか」
ようやく口を開いた遙の口調は重い。
「あ、ああ」
思っていた反応とは違うのをいぶかしく思いながらも、皇はただ頷くしかなかった。



その夜、夕飯で使った食器を洗っていると、先に風呂を使った遙が戻ってくる。
「大将、水は?」
「ああ、自分で取るさかい」
冷蔵庫を開けて水を飲むと、流しの前に立つ皇を背後から抱きしめる。
「もう、なつくなや。片づけ、出来(でけ)へんやろ」
「ええやん」
弱くもがく皇をきつく抱きしめて、うなじに口づける。

「アホ。俺まだ風呂使(つこ)てへんさかい、汗臭いやろ」
「そんなコトない。ええ匂いや」
「ウソつけ」
「ウソちゃう。王子はどこもかしこもキレイで、うっとりする」
「アホか」
口ではそう言うが、その実、遙に誉められて皇は嬉しくて仕方がない。水道の蛇口を締めて、手を拭くと、遙の胸に背中をゆだねる。

「幸せや」
「俺も」
つぶやいた遙の言葉に、皇もまた小さく答える。
「こんな風に、王子と恋人同士になって、毎日が充実してて、幸せで。ウソみたいや」
「俺も。大将と一緒におれて、幸せや」
「せやな」
後ろで遙は頷いて、皇の体をさらにきつく抱きしめる。

「王子、昼間の話な」
「うん」
低く静かな遙の声が、耳のすぐ後ろからする。そのくすぐったいような快感に、皇は目を細める。
「食材の仕入れ先を変える話、あれ、ええ考えやと思う」
「うん」
「けど、それは出来(でけ)へん」

「え」
言い切った遙の目を見る。遙は真剣な目をしている。
「なんで?」
「そら、王子の言う通り、仕入れ先を変えたらもっと儲けが出るやろ」
「なら、なんでそうせえへんね?」
儲けが出る方法が分かっているのに、それは出来ないと突っぱねる、遙の考えが皇には分からない。

「あんなあ、今の仕入れ先は、俺のおやじの代からもう20年以上のつき合いや。その間、いろいろ無理を聞いてもろたりしてきた。今、商店街も活気が無(の)うなって、どこも経営は厳しいんや。うちからの仕入れで、少しでも足しになれば、ええ恩返しになると思てんね」
「それは、わかる。わかるけど、」
皇は遙の腕を力づくでほどくと、遙に向きなおる。
「けど、それは自助努力が足りんから、そうなったんとちゃうか?」

「王子」
遙はひとつため息をつく。
「この辺りは大きい商圏と違う。商店同士は、お互い持ちつ持たれつでやって来たトコ、あるんや」
「それでも廃れてきてるんは、そのやり方に限界がきてるからとちゃうんか?」
だんだんと、皇の語気は荒くなる。

遙は”気は優しくて力持ち”を地でいくような男だ。誰に対しても優しいし、何に対しても真面目に取り組む。皇もそんな遙の気質に助けられている。
だが、ことカネの問題になると、その気質が裏目に出てしまうのではないか。沈みつつある老朽船を必死で補修しながら最後まで残って、結局一緒に沈んでいくような、そんな遙のもの言いに、皇は苛立ちを隠せない。

「こんなコト続けてたら、そのうち”ひなた弁当”まで潰れてまうで」
「今まで潰れてへんのやさかい、それはないやろ」
「そんな甘い考えで、儲けが出ると本気で思てんのか!」
つい、大きな声を出してしまう。

さすがに遙はムッとした表情を見せる。
「ほな、訊くけどな。そんなに儲けを出して、王子はなにがしたいねん?」
「そら、たくさん儲けが出たら、今より暮らしが楽になるやないか。ほんで、ゆくゆくは”ひなた弁当”を法人化して、フランチャイズ展開すんね」
「おまえ、本気でそう考えてんのか?」
「もちろんや」

その言葉を聞いた瞬間、遙は表情を固くする。
「…もうええ。話にならんわ」
吐き捨てるようにそう言うと、皇に背中を向けて自分の部屋に入って行く。

遙の大きな体が部屋に入るまで、皇はその場を動けない。
遙からは、明らかに苛立ちと怒りの感情が感じとれた。だが、その目は暗い空洞のように、何も感情を表してはいない。
「くそっ!」
だが、言い合いのあとで気持ちが高ぶってしまった皇には、それに気づく余裕はなかった。




  2012.10.03(水)


    
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