いけ好かない上司に宣告されていた通り、3月いっぱいで引越しのバイトはクビになる。皇はハローワークに行ったり就職情報誌を読んだりして、積極的に働き口を探すが、なかなか見つからない。履歴書を提出する前の、応募の連絡をした段階で断られるのだ。
担当者は断る理由をいろいろとコジつけているが、要するに職歴が何年も空白なのが一番大きな原因なのだろうと、皇は思う。

…やっぱり俺は、必要のない人間っちゅうコトか。
そう考えると悔しくて哀しい。自分がまったく価値のない人間のように思えてきて、つらい。
こんな時は遙の笑顔が見たいが、”ひなた弁当”に行けば遙と春奈の仲睦まじい様子も見なければならない。

歳が離れていて、おまけに初めての子どもを宿した春奈を、遙はそれはそれは大事にしている。春奈も口では生意気な事を言っているが、その実、遙を頼りに思っている事も分かる。
なにげないやりとりや表情が、遙と春奈の絆の強さを物語っているようで、見ていて胸が痛くなる。

遙の顔が見たい。しかし、顔を見ると切ない。
さんざん悩んで、それでもやっぱり”ひなた弁当”に行く。
「いらっしゃい」
カウンターには、この時間のパートだろうか、見知らぬ年配の女性が立って注文を受けている。いつもは夕方の、それも閉店ギリギリにしか来ない皇は、初めて昼間の”ひなた弁当”に来てみたが、ひっきりなしの客だ。
厨房では遙と年配の女性とが忙しく動いていて、注文をこなしている。

「お、シャケ弁くん」
それでも、皇に気づいた遙は、顔を上げてニッコリ笑う
「珍しいな、この時間に来るやなんて。今日休みか?」
「はあ、まあ」
あいまいに頷いて、いつもの日替わり弁当を頼む。

「春奈さんは? 昼はいてないんか?」
いつもいる春奈の姿がないのに気づいて、訊いてみる。
「ああ。あいつ、ここんトコ、ツワリがひどくて。ご飯の炊ける匂いがアカンらしい」
それなら厨房には寄りつけない。
「今は奥で休んでんね」
だから余計に忙しいのだろう。立て込んできた注文をこなすのに、遙とパートの女性で手一杯の様子だ。

「大将。横山建設さんから、催促の電話来てまっせ」
おまけに昼間は近所の会社に、弁当の配達までしているらしい。
「そら困ったな。春奈は動けへんし、俺もおばちゃんも店離れられへんし」
「ほな、どうします?」
「どないしよか?」
手だけは動かしながらも、眉を寄せて困った顔をしている。

「あの、俺、配達しよか?」
あんまり遙が困った顔をしているものだから、つい皇はそう声をかけてしまう。
「え? せやけど」
「誰も配達に行く人、おれへんのやろ。横山建設て、駅の東側にある事務所に持っていったらええんか?」
「あ、ああ。けどホンマ、ええんか?」
「ああ」
皇が頷いたのを見て、パッと遙の顔は輝く。

「おおきに、助かるわ」
そう言うと、すでに出来ている弁当を袋に入れる。
「一緒に代金ももろて来てほしいんや。領収はコレ。釣り銭も一緒に入れとくさかい」
それらを年季のはいった黒い手提げ袋に入れて、皇に渡す。
「ほな、頼んだで」

「行てきます」
頼まれた物をバイクに乗せて、皇は店を出る。この時間はどこも車が多いが、皇のバイクなら渋滞知らずだ。あっという間に配達をして、集金までして戻ってくる。

「はい、行て来たで」
「おおきに、シャケ弁くん」
わざわざ厨房から出てきて、遙は満面の笑みで皇を出迎える。
「代金と領収の控え、あと釣り銭の残りはコレな」
手放しの遙の喜びように照れくさくなって、皇はわざとぶっきらぼうに手提げを返す。

「ホンマ、助かったわ。ところで、まだ時間あるか?」
「あ、ああ」
「ほな、あと何件か、頼んでもええかな?」
時間があると答えた手前、この申し出は断れない。それに、困っている遙の役に立てると思えば、悪い気はしない。
「で、次はドコや?」

とうとう、昼営業の終わる午後2時まで配達の手伝いをする。目の回るような忙しさだったが、久しぶりに人から感謝されて、皇は気分が良くなっている。
「おおきに」
のれんをしまった店先からではなく裏口から店に入れば、遙が笑顔で迎えてくれる。
「シャケ弁くん、昼飯まだやろ。お礼がわりに食べて行かへんか?」
「はあ。ほな」
人懐っこい笑顔には抗えず、遙のあとについて初めて店の奥に入る。

整理整頓された厨房のさらに奥には、休憩用に使っているのか畳の部屋がある。遙は靴を脱いでそこに上がると、皇にも上がるように促がす。
「お邪魔します」
声をかけて上がれば、6畳くらいの部屋にはちゃぶ台が置いてあり、青い顔をした春奈がヒジをついて座っている。

「あ、シャケ弁くん」
だが皇に気づくと顔を上げて笑う。いつもの明るい笑顔ではなく、いくぶん目の光が弱い。
「体、大丈夫でっか?」
「ツワリやさかい、病気とちゃうし。大丈夫や。けど、心配してくれて、おおきに」
そう言って、皇を自分の向かい側に座らせる。

「春奈、大丈夫か? なんぞ、食べれそうか?」
「もう、遙は。何度も訊きな。うざい」
「ちょっ。なんでシャケ弁くんは”おおきに”で、俺は”うざい”やねん」
「ええの。それより、砂糖水ちょうだい。それなら飲めそう」
「かぶと虫やないんやから」
ブツブツ言いながらも、遙は春奈のためにレモンの輪切りを浮かべた砂糖水を作って渡す。

それから手早く皇と自分用の昼食を作る。
「まかないでかんにんけど。ぎょうさん食べてや」
「おおきに」
まかないとは思えないほど充実したおかずに、山盛りの白いご飯だ。

「いただきます」
皇は手を合わせると、さっそく食べ始める。
遙の作る料理は、そんなに手の込んだ物には見えないのに、コンビニ弁当とはひと味もふた味も違う。毎日のように日替わり弁当を食べても、不思議と飽きがこないのだ。薄味だけれど、味がないわけではない。むしろ素材の味そのものがしっかりしている。固すぎず軟らかすぎず、食べやすい。
「ホンマ、美味(うま)いな」

「そうか。おおきに」
素直な感想を言えば、嬉しそうに目を細めて礼を言う。料理人である遙は、料理を誉められるのが一番嬉しいのだろう。
「けど、配達行ってくれて、ホンマ助かったわ」
「せや。今日シャケ弁くん休みやったんとちゃうか? かんにんな、時間とらせて」
遙と春奈に交互に言われて、皇はひとつ息をはくと、
「休みちゃう。実は、バイトを先月いっぱいでクビになって、今は無職や」
言ってしまう。

言い出しづらかった事が言えてスッとした反面、30過ぎてフリーターで、おまけに今は無職と知られて居たたまれない。
「え? そうなんか?」
「ほな、今は?」
「就活中」
中の飯つぶを残らずさらって、茶碗を置く。自分をあきれた顔で見ているであろう遙と春奈の目が見れず、顔も上げられない。

「なんや。早よ言うてくれたらええのに」
そんな皇に、春奈は明るい声で、
「なら、ここでバイトしたらええやん」
さらりと言う。

「え?」
顔を上げた皇と目が合うと、ニッコリ愛嬌のある笑顔を見せる。
「うちも、だんだん店手伝うのしんどくなるし。パートのおばちゃんかて腰悪いさかい、無理言えへんね。シャケ弁くんがバイトに来てくれたら、助かるわ。なあ、遙」
「せやな」
春奈の言葉を黙って聞いていた遙は、しばらく考えて頷く。

「シャケ弁くんは体力ありそうやし。真面目やさかい、ええかもな」
「真面目? 俺が?」
髪もヒゲも伸ばして、見た目は無頼な自分のどこを見て真面目と評しているのか。皇は遙の目に問う。
「さっき横山建設さんに電話してん。配達遅れてすんませんでした、てな。そしたら、配達に来たお兄ちゃんが、時間が遅れたコト真摯に侘びて帰ったて、話してはった。それに、弁当の代金や釣り銭かて、キッチリ入ってた」
「そんなん、当たり前や」
「せや。けど、コッチが信用して任した仕事を、キチンと期待以上にこなしてくれて、ホンマ嬉しかったんや」
遙は優しい目で、皇を見つめる。

「仕事はきついし時給も安いけど、よければうちで働いてくれへんか?」
「ええんか、俺で?」
こんな風に誰かから必要とされて、それも遙から懇願されて、皇は胸が熱くなる。
「ええもなんも。コッチがお願いしてんね」
「せやせや。明日から来てな」
「よろしくな。シャケ弁くん…働いてもらうのに”シャケ弁くん”はないな。自分、名前なんや?」

「三城皇」
「へえ。どんな字?」
「三つのお城に、皇太子の皇や」
「三城皇、か。ええ名前やな」
確認するかのように、遙はつぶやく。
遙の、低くてよく響く声で初めて自分の名前を呼ばれて、それだけで皇の胸は高鳴る。

「ほな。明日から、よろしくな」
遙は皇に右手を差しだす。皇はその手を遠慮がちに握る。
と、遙はわずかに苦笑して、さらに強く握ってくる。その手は大きくてぶ厚くて、そして温かかった。




  2012.09.09(日)


    
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