皇が提案した通り、パートの女性が辞めて以降、提供する弁当のメニューを絞って営業を始める。最初のうちこそ多少混乱はあったものの、つき合いの長い客がほとんどなので、事情を説明すればすんなりと受け入れてくれる。
メニューを絞った事で仕込みや調理の手間が軽減したのはもちろん、仕入れや廃棄分も減ったので、結果的に支払いが減って、その分儲けが増えたようだ。
思った以上の成果に、遙も春奈も喜んでいる。

しかし、皇はうかない顔だ。
厨房にいる時もカウンターで客待ちしている時も、ついため息をついてしまう。今も、遙と春奈と一緒に昼のまかないを食べながらも、ハシの動きは鈍い。
「なんや、王子。体調が悪いんか?」
皇の沈んだ様子に気づいた遙は、ハシをとめて訊く。

「いや。そうとちゃう」
遙の心配そうな顔に、皇は手をふって否定する。
「体調は、大丈夫やねんけど」
しかし、表情は冴えないままだ。

「ここ何日か元気ないけど、なんぞ悩みゴト?」
「俺たちで良ければ、力になるさかい。話してんか」
「…実は、」
熱心に促がされて、ようやく話す気になる。
「俺の住んでるアパート、市の区画整理に引っかかってしもて、近々取り壊されんね」
その知らせは、アパートの管理会社から早い段階で来ていたが、バイトで何とか生活している皇に払える家賃はたかが知れている。ずいぶん不動産屋を回ったのだが、”ひなた弁当”に通える場所で、家賃や間取りや環境などの条件を満たす物件がないのだ。

「移れるトコがなくて。ほんで、困ってんね」
深刻な顔で、ため息。
「なんや、そんなコトかいな」
だが、春奈は明るく笑い飛ばす。
「なら、うちに来たらええやん」

「え?」
思ってもみなかった春奈の言葉に、皇は顔を上げる。
「王子もこの2階が住居になってんの、知ってるやろ? 空いてる部屋あるし、ここに越して来たらええやない」
それは願ってもない申し出だ。ここに越してくれば、住む場所の心配はなくなるし、何より遙の近くに居られる。

「な、遙もそれでええやろ?」
「俺はかまへん」
「なら決まり」
「ちょ、ちょお待ってんか」
どんどん話を進める春奈に、皇は手を上げてストップをかける。

「王子、家賃のコトなら、今と同じでええし」
「いや、早朝からの仕込みを手伝(てつど)てくれたら、俺は家賃はタダでもかまへんで。ついでに食事もつける」
「そら助かる。助かるけど、」
助かると言いつつ、なかなか首を縦にふらない皇に、遙も春奈も不思議そうな顔をする。
「けど、なんや?」
「なんぞ気になるコト、あるか?」

「さすがに夫婦二人のトコに、居候は出来(でけ)へんわ」
「は?」
「なんやて?」
訊きなおす遙と春奈に、皇はゆっくりと、
「せやから、大将と春奈さん夫婦のトコには、居候出来(でけ)へん、て」

「夫婦?」
「うちと、遙が?」
一瞬動きをとめて、次の瞬間そろって盛大に吹き出す。
「な、なんや? なんで笑うんや?」

「せやかて、うちと遙が夫婦て」
「王子、ずっとそう思てたんか?」
「そうと、ちゃうんか?」
涙まで浮かべて笑っていた遙は、目じりを指でぬぐいながら、
「兄弟や。俺と春奈は」
「は? 兄弟?」
ずっと夫婦だと思い込んでいた遙と春奈が兄弟だと言われて、皇はすっかり混乱してしまう。

「ほな、お腹の子は、誰の…」
「もちろん、うちのダーリンに決まってるやない」
春奈もまた笑いの余韻を残しながら、皇に説明する。
「うちは旧姓日南田、今は結婚して魚住(うおずみ)春奈や。うちのダーリンは大型船に乗ってて、一度航海に出ると4ヶ月は帰って来おへんのや」
「春奈のダンナは俺の後輩で、船で調理員してんね」
「うちは近くのアパートに住んでて、ここには遙しか居てへんさかい、なんも王子が気イまわすコトあれへん。せやから、遠慮せんと越して来て。な、そうしい」

「ホンマ、ええんか?」
皇は交互に遙と春奈の顔を見る。遙も春奈も、笑顔で頷いている。
「ほな。そうさしてもらいます」
素直に頭を下げる。

以前の皇なら、他人からこんな風に便宜をはかられるのが一番苦手で、プライドが許さなかったのだが、何故だか遙と春奈の前では素直に感謝できる。
その気持ちの変化が、自分でも不思議でならないが、不快ではない。
「ほな、うちは2階の部屋見てくるさかい」
「あ、俺も一緒に」
立ち上がりかけた皇を手で制して、春奈は2階に上がって行く。

あとには、皇と遙の二人が残る。
「けど、俺と春奈が夫婦ねえ。王子も案外、天然やな」
まだ小さく笑いながら、遙は皇に緑茶を煎れる。
「もう、いちびらんといてや」
皇はバツが悪くて、受け取った緑茶に目を落とす。
「大将と春奈さんは仲ええし、名前で呼んでるし、歳も離れててあんまり似てへんし」
言い訳めいた事をつぶやきながら、緑茶をひと口。

そんな皇に目元をなごませて、
「歳が離れてて似てへんのは、血が繋がってへんからや」
遙はさらりと言う。
思わず、皇は動きをとめる。
「この”ひなた弁当”は、俺のおやじとおふくろで始めた店やねん。けど、おやじは病気で死んで。そのあと、おふくろ一人で続けてたのやけど、客で来ていた男と再婚して。春奈はその男の連れ子やねん」

淡々と話す遙の顔を見る。遙は手元の湯飲みを見つめたまま、ほとんど表情のない顔をしている。遙が今、どんな気持ちでいるのか。その顔からうかがい知る事は出来ない。
「おふくろは3年前に脳梗塞で倒れてな。以来、足に少しマヒが残ってん。日常生活に支障はあれへん程度やけど、弁当屋の立ち仕事は出来(でけ)へんようになってしもたんや」

「今、おふくろさんは?」
「春奈と一緒に、近くのアパートに住んでる。あいつも身重やし、ダンナは船に乗ってていてへんし。一緒におった方が、お互い都合ええねん」
なるほど。だから春奈は仕事を終えるとアパートに行っていたわけだ。

「ほな、春奈さんのおやじさんも、一緒にいてるんか?」
そう訊いた瞬間、遙の目にわずかに狼狽の色が走る。
「いや。あいつは、」
「遙ァ、ちょお来て!」
遙の言葉は、春奈の声でとまる。
「王子も! 部屋片すの、手伝(てつ)どて!」

「わかった! 今行くさかい、無理すな!」
大声で応えて、遙はわずかに苦笑すると、皇を促がして立ち上がる。
遙について、皇は初めて2階に上がる。住居のなっている2階には、台所と続きの居間、風呂、トイレのほかに3つ部屋がある。
春奈が片づけていたのは、廊下の突き当たりにある6畳の和室だ。今は物置きになっているここを、皇の部屋にと考えているらしい。

「下でなんの話、しててん?」
ホウキを持ってくもの巣を払っていた春奈は、上がってきた二人の顔を見るなりそう訊く。
「おまえのダンナの話や」
「え、そうなん? いややわあ」
遙はそう言うが、本当はそうではない。春奈の父親の話をしていたはずだ。それに皇の聞き違いでなければ、遙は春奈の父親の事を”あいつ”と呼んでいなかったか。

ともかく、春奈には聞かせたくない話題だったのだろう。
皇はそう思う。

「それよりこの部屋、長い間使(つこ)てへんかったけど、日当たりは悪ないし、押入れもあるさかい。どうやろ?」
「ああ、上等や」
皇は開け放たれた窓から外を見る。この”ひなた弁当”は坂を登りきったところにあるので、2階からは広い空が見える。すぐ前は道路で、道をはさんだ向かい側は公園になっているので、確かに日当たりは良さそうだ。

「こんなええ部屋、ホンマにええんか?」
「物を片づければ、広く使えるやろ。ただし、エアコン付いてへんさかい、覚悟しといてな」
「それは、暑なってから考えるわ」
「せやな」
部屋の中に置いてある物を見ながら片づけの算段をする遙を、皇はそれとなく見る。

遙と春奈は夫婦ではなく兄弟である事が分かって、ホッとする反面、血の繋がらない兄弟だと打ち明けた時の遙の心情を思うと、複雑な気持ちになる。
それに春奈の父親の事を語る時、遙はほとんど感情を表していなかったが、それは春奈の父親を良く思っていないからではないか。
皇は勝手にそう思うが、直接確かめる気にはなれない。

その部分は、遙にとって簡単に触れて欲しくない部分ではないかと思うからだ。
「王子」
「え、ああ、なに?」
考え事をしていた皇は、急に呼ばれて慌てて返事をする。
「俺もボチボチ片づけとくさかい、王子の都合がええ時に越して来たらええわ」
「ああ。おおきに」
答えた皇に、遙はニッコリ笑う。

何はともあれ、遙と同居する事になって、皇は期待と不安とでいっぱいになっていた。



  2012.09.15(土)


    
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