それから数日経って。皇は昼休憩の時間に遙と連れ立って、無事に女の子を産んだ春奈の見舞いに行く。
病室のドアをノックすれば、中から応えがある。
「失礼します」
小さく声をかけて中に入れば、ベッドに春奈は腰かけている。その枕元のイスには静子と、小柄な男性が座っている。

「魚住」
「あ、日南田先輩」
どうやらこの男が春奈の夫のようだ。魚住は皇のあとから入ってきた遙の姿を認めると、立ち上がって深々と頭を下げる。
「いつも春奈がお世話になってます」
「いや、なんも。それより、おめでとう。無事生まれてよかったな」
「はい」

お祝いを述べたあと、皇の肩に手を乗せて、
「せや、紹介しとくわ。コイツが”シャケ弁王子”や」
「大将」
おどけてそう言う遙を、軽くたしなめて、皇は魚住に向きなおる。
「初めまして。三城皇です」
「ああ、あなたが。春奈から、よう話を聞いてます」
人好きのする顔で笑って、皇に右手を差しだす。皇も笑顔で右手を差しだし、ガッチリ握手する。

「王子がいてくれたさかい、無事に出産できたんやで」
「そうそう。春奈の出産に立ち会(お)うてくれたそうで」
「あっ」
言われて、その時の事を思い出す。
春奈の夫に間違われていると言い出せず、さりとて放っておく事も出来ず、結局、覚悟を決めて春奈の分娩に立ち会った。
分娩は明け方までかかったが、分娩室から出る春奈に続いて皇が出てきた時、遙と静子は一瞬ポカンとした顔を見せ、次に大笑いしていた。

「すんませんでした。ダンナさんを差し置いて」
恐縮して頭をかく皇に、魚住は穏やかな声で、
「いやいや。どうせ僕は間に合わへんかったんやし。知ってる人が近くで励ましてくれて、春奈も無事に出産出来たんやと、そう思てます」
「すんません」
さすがは海の男だ。度量が大きい。

「それより春奈。もう起きてええんか?」
遙はベッドに座る春奈の体が心配なのだろう、近くまで行って顔を覗きこむ。
「ええねん、病気とちゃうし。早よ体を慣らした方が、あとあと楽なんやて」
「けど、」
「もう、遙は。うざい」
いつもの兄弟の会話だ。春奈もずいぶん体調が回復してきたようだ。

「せや。あんたら、赤ちゃん見たか?」
その様子に目を細めながら、静子は訊く。”あんたら”とは自分と遙の事だろう。そう気づいて、皇は
何故だか嬉しくなる。
「いや、今日はまだや」
「新生児室にいるさかい、見てから帰り」
「ああ。王子、行こか」
頷いて、遙は皇を促がして病室のドアを開ける。

「ほな。また来るし」
「遙は来んでもええけど、王子はまた来てや」
「いや。絶対来る」
真顔で言った遙を、みんな笑顔で見送る。
静子と目が合った皇は、小さく頭を下げる。静子もまた、皇に微笑んで小さく頷く。

…お母ちゃんには、俺らのコト、お見通しかもな。
それでも”王子”と呼び、”あんたら”と呼んでくれる。その事に、皇は上機嫌になる。
「なんや、笑(わろ)て」
「なんも」
小さく笑いながら、新生児室の前まで来る。

天井近くまで続く大きなガラス窓の向こうには、小さなベッドがいくつか並んでいる。
「あ、あの子やろか?」
「どこ?」
遙の指さす先を見れば、母親の欄に春奈の名前が入ったプレートのついたベッドがある。そこには
小さな小さな赤ん坊が眠っている。

「うわぁ」
「小さいなあ」
よく見えるように場所を移動して、ガラス窓に顔をくっつけるようにして中を覗きこむ。
しばらく二人で、体が赤いから赤ちゃんだの、目は春奈に似ているだの、手も足も指は5本ずつあるだの、他の子に比べて髪が薄いだの、さんざん言いたい事を言う。


「ホンマ、かわいいなあ」
「なんや。大将も子ども欲しなったんか?」
「王子が生んでくれるんか?」
「アホか」
そのあと、会話が途切れる。

熱心に赤ん坊を見つめる遙の顔を横目で見て、皇はポツリと、
「大将。俺、お母ちゃんから春奈さんのおやじさんの、木暮て人のコト、聞いた」
「そうか」
遙の目は、例の表情のない目になっている。
「その人とのコトなんも知らんと、ただ儲け儲けて言うてしもて、ホンマかんにん」

「王子が悪いんと違う」
だが遙の声は落ち着いている。
「そら正直、今でもあいつは許せん。けど最近な、あいつはあいつなりに、おふくろや春奈や、俺の生活を考えてたんやないかて、そう思うようになってきた」
「うん」
「ホンマのコトは、あいつがいてへんさかい、いっこもわからん。けどそう思たら、気が楽やないか」
「せやな」
他の人に言わせれば、この遙の考えは甘いかもしれないが、皇はいかにも遙らしい考え方に安心する。

「大将、あんた、カッコええわ」
「アホか」
あながち冗談ではなくそう言ったのだが、遙には一笑に伏される。

「けど、」
少し言葉を切って、遙は小さく笑いながら言う。
「分娩室の中までついて行くやなんてなあ」
「まだ言うてんのかいな」
皇もまた小さく笑うが、すぐに真顔になって、
「赤の他人の俺が春奈さんの出産に立ち会(お)てしもて、ホンマ悪かったて思てる」

「王子」
そう言う皇の目を、遙はまっすぐに見つめる。
「俺も魚住と同じで、おまえには感謝してるんや。それに、王子はもう、俺らの家族みたいなモンや
ないか」
「家族」
「そう。俺らの家族で、俺の大事なパートナーや」

何も言えず、ただ遙の目を見つめる。伝えたい事はたくさんある。だが、たくさんありすぎて、胸が熱くて、幸せで、皇はただ遙の目を見つめる事しか出来ない。
「皇。おまえと、ずっと一緒にいたい」
「俺も」
幸せすぎて胸が痛くなる。ほほが熱くなり、呼吸も苦しくなる。
皇は遙の目を見ながら、やっとそれだけつぶやく。

そんな皇の様子を見て、遙はニッコリ笑う。
その笑顔は皇が好きな、人懐っこくて目じりにシワのある、最高の笑顔だった。


                                           おわり




  2012.10.06(土)


    
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