「遙が儲け話を嫌うのには、訳があんね。長い話になるけど、聞いてくれるか?」
「はい」
そう前置きして、静子が話した内容はこうだ。

遙の父親を亡くしたあと、ひとりで”ひなた弁当”をきりもりしていた静子は、客として来ていた春奈の父親、木暮と再婚した。遙は10歳、木暮の連れ子だった春奈は、まだ乳飲み子の時だ。
春奈はすぐ遙にもなついて、遙も春奈をかわいがた。ただ、父親の木暮とはソリが合わず、再婚して苗字が変わるのを嫌がった。

そこでやむ終えず木暮を日南田の籍にいれて、弁当屋でも働いてもらうようになった。男前で愛想のいい木暮は客受けもよく、店の業績もしだいに良くなっていった。
「その頃は、この辺りも活気があってなあ。木暮の提案で、2号店3号店と、店舗数を増やしていったんや」
当時の事を思い出しているのか、静子は目を細めて静かに話す。

店舗数が増えれば、それだけ儲けも大きくなる。そのうち木暮は余ったカネを使って、資産運用を
始めた。
「それも最初のうちは良かったんや。けど、バブルがはじけてしもて」
「はあ」
皇が証券会社に勤めるずっと前の話だが、会社の先輩からその時の混乱ぶりをよく聞かされていた。

資産運用にと預けていたカネはほとんど残らず、2号店3号店を出店した時の借金も、金利の問題で大きく膨らんでいた。
慌てて2号店3号店は売り払ったが、安くで買い叩かれて借金を全額返すには至らない。結局、手元に残ったのは、最初に遙の父親と始めた”ひなた弁当”と、多額の借金だけだった。

「それから、どうしはったんです?」
「どうもこうも」
静子は大きくため息をつく。
「木暮は、ある日突然、春奈を残して姿を消してしもて」
「えっ?」
ホンマでっか?目とで訊くが、静子の目はウソを言っている目ではない。

「その時、大将は?」
「遙は木暮に反発して、高校を卒業したらすぐに家を出たんや。人のツテで板前の修業を始めたん
やけど、その時はようやく一人前の板前になった時分やったな」
「大将のコトや。家に戻るて、言うたんとちゃいますか?」
「まあ、そんな子やな、遙は。けど、うちが断ったんや」
「なんで?」
「遙はようやく板前としてやってく自信もついて、他所の店からええ条件で雇いたいて話もあったんや。ほんで」
「そうでっか」
つぶやく皇に、自嘲気味に笑って、
「うちも、たいがいヘンコやな」

その後、残った借金を返すために、静子は必死で働いた。春奈もまた、自分の父親が残した借金という負い目があってか、黙って静子を手伝った。
「ほんで、ようやく借金返し終わって、やれやれて思た矢先に、うちが脳梗塞おこしてしもて。それまでの無理がたたったんやろな。幸い命はとりとめたものの、足にマヒが残ってしもた」
静子はマヒのある自分の足をさする。

「日常生活は支障ないけど、もう店には出られへん。けど、春奈一人じゃやっていけん」
「それで、大将が戻って来たんでっか」
大きく頷く。
「あの子は老舗の割烹の花板を任されてて、ええお嬢さんとの縁談もあったんや。けど、それを全部捨てて、うちに戻ってくれた」
「そうやったんですか」
ため息をついて、ふと思い出す。

以前、自分と春奈は血の繋がらない兄弟だと言った時の、板前を辞めて”ひなた弁当”に戻って来たと言った時の、遙の表情のない目を。
母親と春奈に多額の借金を背負わせて逃げた木暮に対して、遙は今でも許せないでいるのだろう。だが、それを言えば、残された春奈が傷ついてしまうし、母親もいい気はしない。
だから、遙は継父である木暮を”あいつ”と呼び、木暮の話はしないのだろう。
皇は、そう考える。

「遙が儲けばかりを追求するコトに嫌悪感を表すのは、なんもあんたが悪いワケやない。木暮のコトがあるからや」
「はい」
「せやから、遙に腹立てんと、仲良うしてやってや。な」
「はい、静子さん」
迷いの吹っ切れた皇の明るい返事に、静子は目を細める。

「うん。けど、”静子さん”はアカンな。あんたも”お母ちゃん”て、呼んでや」
「はい、お母ちゃん」
「うん。遙のコト、よろしく頼むで、王子」
静子も、負けないくらい明るい声でそう言う。



そこから、再び静子をおぶってアパートへと戻る道すがら。
「あんた、ご両親は? ご健在か?」
静子に訊かれて、一瞬体を固くする。
「はあ。健在、やと思います」
「は? なんやそれ?」
こんな言い方をすれば、訊き返されても仕方ない。

「俺、勤めてた会社クビになって、ほんで住んでたトコも引き払ってこの町に来たんです。親にうるさく言われんの煩わしくて、ずっと音信不通ですねん」
「そうなん」
「俺の両親は、出来のいい兄と俺をいっつも比べてた。俺は兄と比べられんよう、勉強もスポーツも
頑張って。ええ大学に入って、ええ会社に就職して。ほんでも、簡単にクビになってしもたんです」
「あんたも、苦労してんのやなぁ」
「ハハ」
静子の言い様に、思わず皇は笑い声をたてる。

確かに自分は人より苦労しているかもしれない。それでも、こうして健康な体を持ち、やりがいのある仕事をし、自分を大事にしてくれる人に囲まれて暮らしている。
本当にありがたいと思う。

「けどな、いっぺんご両親に連絡したらええわ。心配してはると思うで」
「そうですやろか?」
「そらそうや。親の立場から言わせてもろて、やっぱり子どもは幾つになっても子どもやからな。増してや王子みたいにええ子やったら、心配してないワケがない」
「はい。連絡、してみます」
素直に頷く。他の人には言いたくないコトまで、ついつい話してしまうような、そしてそれを優しく受け入れてくれるような包容力が静子にはある。
さすがはあの遙と春奈を育てた人だと、皇は妙なところで感心する。

「ああ、ココや。おおきに」
2階建てのアパートの前で静子をおろす。
「疲れたやろ。ちょっと上がって、お茶でも飲んで行き」
「はあ。けど、店が」
「ええねん。この時間は遙一人でも」
押し切られた形で階段を登り、一番奥のドアを開ける。

「ただいまぁ。春奈、帰ったで」
「お邪魔します」
玄関で靴を脱ぎ、まっすぐの廊下を歩いて台所へ。だが、いるはずの春奈の姿が見当たらない。
「春奈? トイレか?」
静子は廊下を戻って、玄関脇のトイレを覗く。皇は台所から居間にかけて、グルリを見渡す。

と、ソファの影に人がいる。
「は、春奈さん」
慌てて側に行けば、青い顔をした春奈がお腹をおさえて倒れている。
「春奈さん、しっかり。お母ちゃん! 春奈さんが!」
「春奈、どないしたんや?」
皇が抱き起こし、静子が声をかけて、ようやく春奈は薄く目を開ける。

「あ、お母ちゃん。うち、陣痛が、きたみたい」
「え」
「じ、陣痛て。子どもが生まれるんか?」
驚いた皇の腕の中で、春奈は再び眉をしかめて苦しそうな顔になる。

「ど、どないしよ」
「まあまあ、慌てんと」
だが、さすがに静子は落ち着いたもので、立って荷物を持って来たり、タクシーの手配をしたりする。

「春奈。今、タクシー呼んださかい、病院に行き。おっつけ、うちも行くさかい」
「お母ちゃん、俺に出来るコトあるか?」
「春奈を連れて、一緒に病院に行ってんか? 場所は、ココ。先生はこの人や。うちは遙と魚住さんに連絡するわ」
「はい」

「王子」
不安げな顔で返事する皇に、静子は活を入れる。
「あんたが情けない顔して、どないすんね。落ち着いて、笑(わろ)て」
強い口調で言われて、一度深呼吸をしてから、ぎこちない笑顔を見せる。
「そうや。男前は笑顔が一番」

それから準備していた荷物とメモを静子から受け取って、春奈をタクシーに乗せて一緒に病院に向かう。
そのわずかな間にも、春奈は何度も苦しげに顔をしかめ、額に脂汗まで浮かべる。
「春奈さん、頑張って」
タクシーの中で春奈の体が楽な姿勢で支えて、手をしっかり握りしめながら、皇は何度もそう声をかける。

静子からの連絡を受けて、受け入れ態勢は整っていたのだろう。病院の玄関に着くと、すぐに白衣を着たスタッフが走り寄ってくる。
そのまま春奈をストレッチャーに乗せ、診察室へと運ぶ。訳のわからないまま、皇も一緒について行く。
診察室で待っていれば担当医師が来て、春奈の状態を確認する。
「陣痛の間隔も短かなってるし、子宮口も開きかけてる。すぐ分娩台の準備して」

若い担当医師は看護師にそう指示すると、
「予定よりだいぶ早いけど、今から分娩にはいります。魚住さんは、立会い出産希望でしたな?」
「は、はあ」
今すぐ分娩にはいると言われて、頭が真っ白になった皇には、医師の言葉の意味が分からず、あいまいに頷く。

「ほな、すぐ準備してください」
「は、はい」
頷けば看護師が来て、ついて来るよう急き立てられる。そのままついて行けば、分娩室に隣接した
準備室で、術衣と帽子と大きなマスクを渡される。
「手をヒジまで丁寧に洗(あろ)たら、これを着けて、隣の分娩室に入ってください。靴もスリッパに履き替えて」

そこで初めて、皇は自分が春奈の夫と間違われている事、そして春奈の出産に立ち会わされそうになっている事に気づく。
「い、いや、俺は」
慌てて渡された術衣を返そうとする。そんな皇を一瞥して、初老の看護師は、
「たいがいのダンナさんは、出産に立ち会う言うてても、直前では怖気づくモンです」
「いや、違うんです」
「これからパパになるんやろ? きっとええ経験になるよって、早よ着替えて」
有無を言わさぬ迫力でそう言うと、さっさと分娩室に入って行く。

「どないしよ…」
皇は渡された物を手に持って、途方に暮れてしまった。




  2012.10.06(土)


    
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