12月に入って街にクリスマスソングが流れる頃、竜次の身の回りは一気に慌(あわただ)しくなる。年末の大きなイベントに、竜次の所属する総合格闘技のジムから数人が参戦するが、その一般参加枠をかけての試合の日が近づいてきたからだ。

最初、ジム側はこの試合を非公開でするつもりだったようだが、竜次をはじめ有力な選手の試合とあってファンの間からどうしても見たいとの声があがり、急遽公開試合にする事に決定した。
試合の日時が決まった事、観客が入る事、いい成績を残せば年末のイベントに参戦できる事。全てが竜次のやる気を刺激する。

「いよいよ、明日やな」
試合前日の夜、竜次は整骨院の診療時間外に啓志郎から体を診てもらう。極限にまで落とした体重も増え、ケガをしたヒザも慢性的に痛みを訴えていた腰も、何ともない。ケガをする前と同じ、いやそれ以上に動ける理想的な体となっている。

「痛みはないか?」
「押忍」
もちろん、竜次が厳しいリハビリやトレーニングに耐えてきたからこそだが、啓志郎の手助けがなければ、ここまで完璧には回復できなかった。
大きくて温かい啓志郎の手に、竜次は安堵の息を漏らす。

「ええようやな。どこにも歪みはないし、筋肉もリラックスしてる」
最後に軽く肩を叩いて、施術は終わる。竜次は体を起こしてシャツを着る。
「啓さん」
手を洗う啓志郎の背中に声をかける。

「ん?」
「おおきに」
誰もがサジを投げた自分の復帰を信じて手助けしてくれて、真剣に自分のケガの回復を願ってくれて、最後まで見捨てずにいてくれて。
万感の想いをこめて、竜次は言う。

「ああ」
だが、啓志郎は簡単に頷くだけで、ふり向こうともしない。単に今の施術に対して、竜次が礼を述べたと思っているのだろう。
「せやない。ちゃうねん」
否定する竜次の顔を、自分の肩ごしに瞳だけで見る。

「なに言うてんのか、サッパリわからんわ」
「せやから俺は、いろいろ世話になっておおきにと」
「アホくさ」
鼻で笑って、手を拭く。
「礼なんぞ、いらん。けどもし本気でおまえが俺に感謝してんのやったら、」
竜次の方に向き直る。
「明日の試合、全部勝て。勝って一般参加枠を奪え」

切れ長の目は本気の光を放っている。
「あんたホンマ、男前やなあ。惚れ直すわ」
啓志郎が本気でそう願っているのが分かって、嬉しくてつい、本音が漏れる。しまったと思うが、一度口から出た言葉はもう戻らない。

「さよか。おおきに」
竜次の言葉を、しかし、啓志郎は軽く受け流すと再び背中を向ける。
「それより、今夜は消化のええモン用意するさかい、早(は)よ食べて休め」
早口で言いながら、家に帰る準備をする。

啓志郎は”惚れる”という表現を敬愛の情と受け取ったのかもしれないし、もしかしたら思慕の情と分かったのかもしれない。そこが曖昧なままでは、明日の試合に集中できない。
「啓さん」
竜次は施術台から立って、啓志郎の背後に立つ。
「俺、あんたに言うときたいコトがあるんや」

「今か? あとにして、」
近づいて、背中を抱く。啓志郎の動きが止まる。
「俺、あんたが好きや。あんたに、惚れてる」
ひと息で言う。

真剣な声と腕の熱さに、啓志郎には竜次の想いが伝わったはずだ。竜次の腕の中でじっとしていたが、しばらくして深いため息をつく。
「本気、なんやな」
「ああ」
「なんで今、それを言うねん」
啓志郎のつぶやきに、竜次は小さく笑う。

「ホンマ、なんでやろな。けどな、啓さん」
ますます強く、啓志郎の背中を抱きしめる。
「出来ればこの先もずっと、俺はあんたと一緒にいたいと思てる」
大きく息を吸う。ほのかに啓志郎の匂いがして、たまらない気持ちになる。
「あんたは、俺のコト、好きか?」

柔らかく問う竜次の腕の中で、啓志郎は短く呼吸をする。と、次の瞬間には空いている竜次のわき腹目掛けて鋭くヒジを打つ。竜次はヒジが当たる前に手で防ぐ。続けて体を反転した啓志郎が拳を突き出そうとするのを、手首を掴んでこれも防ぐ。
瞬きする間の攻防の結果、竜次は啓志郎の背中で両手首を掴む格好になっている。

さすがに啓志郎は空手の有段者だけあって、体の使い方が上手い。普通の人ならば簡単に屈していただろうが、今の竜次には通用しない。考えるよりも先に体が動いて、気づいたら啓志郎の手首をガッチリ固めている。
「啓さん」
ほんの近くに、啓志郎の顔がある。

「これが、あんたの答えか?」
切れ長の目を見つめて、確かめる。啓志郎は目を伏せて、視線を逸らす。
「そうか・・・かんにんな」
啓志郎とは2度、肌を合わせた。抱き合う腕の熱さに、甘くかすれた声に、熱情を含んだ目に、もしかして啓志郎も自分と同じ気持ちでいるのではないかと、勝手に思っていた。

しかし、竜次の想いを知って、啓志郎は視線を逸らす。竜次はゆっくりと啓志郎の手首を離して、一歩下がる。
「啓さん・・・いや、先生。これまでホンマにお世話になりました」
カカトを揃えて、深々と頭を下げる。
「今夜は別に宿をとって、明日はそこから試合会場に行きます」
所詮、啓志郎にとって自分は手のかかるガキで、復帰の手助けをしている相手でしかない。なのに自分ひとりで盛り上がって、告白した挙句に拒まれてしまった。この場にいるのがいたたまれない。

「ほな」
背筋を伸ばして、部屋から出る。啓志郎が追ってくる気配はなかった。



試合当日は、雨になる。空を覆いつくす厚い雲から、冷たい雨粒が降ってくるような、あいにくの天気だが、それでも試合会場となった体育館には、総合格闘技のファンが大勢集まる。
たったひとつの一般出場枠を争う選手は8人。試合はトーナメント形式で行われる。実際のイベントと同じく3分3ラウンドの試合で、KOあるいはポイントの多い方が勝ちとなる。延長戦は無しだ。

夕方からの試合に備えて、竜次は早めに会場入りする。外気温が低めなので、時間をかけて体を温める。
入念なアップをしながら、竜次は考える。今回参加する選手の中で、自分は最年長だ。経験を積んでいるという利点はあるが、やはり体力的に不安がある。3ラウンドをフルに戦うのではなく、早い段階でKOを狙いたい。

集中力を高めようと、竜次は控え室から出て、一人暗い廊下にたたずむ。だが、一人になって思うのは啓志郎の事ばかりだ。自分の想いを知って目を伏せた啓志郎の、怒ったような混乱したような顔が、頭から離れない。あんな顔をさせるくらいなら好きだと告げなければ良かったと、昨夜はそればかり考えてほとんど眠れなかった。

「くそっ」
気合をいれようと、両手で両ほほを叩く。乾いた音が廊下に鳴り響く。
「今井、ここやったんか」
後ろから声をかけられる。見れば谷本が立っている。
「いよいよ、試合やな。どうや体の方は?」

「師範代」
わざわざ応援に来てくれた谷本に、竜次は穏やかに笑う。
「押忍。ヒザも腰も、痛みはありません。動けます」
「そうか、そら良かった」
竜次の落ち着いた顔を見て、谷本は安心したように言う。
「あの状態からここまで、よう回復したな」
強面なくせに面倒見のいい谷本は、竜次が試合のできる状態になったというだけで、目頭を熱くしている。

「師範代、まだ泣くのは早いんと違いますか」
「アホ、泣いてへんわ。ところで、和仁先生は?」
啓志郎の名前が出て、鋭い痛みが胸に走る。
「さあ。来(こ)おへんと思いますけど」
今夜の試合、できれば啓志郎にも見て欲しかったが、おそらく会場には来ないだろう。

「なんや、さんざん世話になっとって」
「ホンマですね」
憤慨したように言う谷本に、笑いながら頷く。啓志郎が来なくても、それは気持ちを押しつけた自分が悪い。
「とにかく、悔いの残らんよう」
「押忍」
最後に竜次の肩を軽く叩いて、谷本は観客席へと行く。

・・・悔いの残らんよう、か。
谷本はそう言ったが、啓志郎は絶対に勝てと言った。わざわざ自分を励ましに来てくれた谷本のために、復帰を信じて回復の手助けをしてくれた啓志郎のために、何より自分のために絶対勝つ。竜次はもう一度、両手で両ほほを叩く。

開始時刻となり、観客席の熱気が出番を待つ竜次の所まで伝わってくる。まずはオープニングのセレモニーがあり、参加する8人全員が一人一人呼ばれてリングに並ぶ。竜次の名前が呼ばれて姿を現すと、それだけで会場から大きなどよめきがる。その多くが竜次の復帰に懐疑的な声を含んでいる。
・・・上等やないか。
会場の雰囲気に萎縮するどころか、ぐるりを見回して口元を歪めて笑う。

リング上では試合のルールが説明され、対戦相手と順番を決めるくじ引きが行われる。竜次の初戦は、経験の浅い若い選手に決まる。セレモニーのあとは、いったんリングをおりて控え室で順番を待つ。

ほどなく竜次の番がくる。呼ばれて控え室から出て、観客席の間を通ってリングへ。
照明のまぶしさ、観客席からの歓声、程よい緊張感。竜次は目を閉じて、それらを噛みしめる。
・・・ココや。ココなんや、俺の生きる場所は。
改めて、そう実感する。体は熱いのに、頭は冷たく冴えていく。

現役時代と同じ感覚を取り戻した竜次に、若く経験の浅い対戦相手が敵うわけがない。試合開始早々、竜次に足を使ってかく乱され、目の覚めるような一撃で沈む。
あっけなく決まったKOに観客席は一瞬静まり返るが、次の瞬間には会場全体が揺れるほどの歓声があがる。

2回戦は中堅どころの選手が相手だ。一緒に練習をした経験もあるので、お互いに手の内は分かっている。初戦のように一撃でKOというわけにはいかない。
空手出身で立ち技が得意な竜次に対して、相手は寝技で体力を奪う作戦にでる。
以前の竜次ならば自分の体をもてあまして、いたずらに体力を消耗した結果負ける可能性があったかもしれないが、今の竜次は違う。

長い手足と柔らかい体を上手に使って、逆に寝技で相手を苦しめる。たまらず”まいった”を示すタップをした相手からKOを奪う。
立ち技に加え寝技までこなす竜次の隙のない戦いぶりに、観客席からは惜しみない拍手と歓声が贈られる。

ふたつ勝って、いよいよ残るは決勝戦。
・・・あとひとつ。絶対、勝つ!
リング上で高く拳を突きあげながら、竜次はそう決意した。




  2013.11.30(土)


    
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