啓志郎の部屋は、建物の上層階の角にある。部屋に入った啓志郎は、玄関に竜次を立たせておいて、すぐ横の部屋からタオルを持ってくる。
「使え」
投げ渡されたタオルで、雨に濡れた顔をぬぐい、シャツの上から肩や腕をぬぐう。

「入れ」
ある程度、体の水気がとれたら再び外に放り出されるとばかり思っていたが、啓志郎は竜次を部屋の奥へと促す。
「押忍。お邪魔します」
玄関で靴を脱ぎ、ひと声かけて中に入る。そこはキッチンとつながったリビングのようだ。余計な物のないシンプルな空間は、他に人の気配を感じない。啓志郎はこの部屋にひとりで住んでいるようだ。

「座れ」
「押忍」
言われてソファに座る。男のひとり住まいにしては、スッキリと片づいている。上か下かわからないくらい散らかっている自分の部屋とは、雲泥の差だ。

チラチラと観察している竜次の前に、啓志郎は缶ビールを置いて向かいのソファに座る。
「飲め」
短く言って、自分も栓を開ける。
「ちょ、あんた飲みすぎや」
「黙れ」
止めようとする竜次を目で制して、啓志郎はひと息で半分近く飲む。

「さっき、言いかけたコト」
まともに歩けないくらい酔って帰ってきた啓志郎は、飲んだ理由を言いかけて止めた。だが、その口ぶりから自分が原因だと竜次は気づいている。
「そない酔うほど飲んだんは、俺が原因なんやろ? 腹立ててるんか?」
いつも冷静で自失する事などない啓志郎が、これほど無茶な飲み方をした原因が自分にあると思うと、いたたまれない。

「なあ、て」
啓志郎は答えない。立ち上がり、肩に手をかけようとする。
「うるさい」
その手を掴まれ、足を払われる。前のめりになった体を立て直そうとするが、固定されたヒザでは咄嗟に支えきれない。床に手をつく格好になる。

「ちょ、」
立ち上がろうにも、今度は肩を押されて仰向けに転がされる。プロ格闘家の竜次を簡単にあしらって、啓志郎は腹の上にまたがる。
「酔うた俺に簡単に転がされといて、なにが復帰したいや」
ムッと、下から睨みつける。

「怒ったか? けど、これが現実や。せっかく回復してきたヒザを、自分で勝手にいわして(=痛めて)しもて。このどアホ」
竜次の腹の上で、缶を傾ける。
「腹が立ったから飲んだんか、やて? 当ったり前や。腹も立つし、悔しい。これが飲まんとおられるか」

「先生」
激しい言葉を吐く啓志郎の顔は、苦しそうだ。自分の復帰に対して真剣に考えていたからこそ、悔しいと言ったのだろう。そう思いあたる。と同時に、胸が熱くなる。
「先生、俺」

「もう、どうかてええ」
つぶやいて、竜次の胸に倒れこむ。
「おまえのようなアホ、知らん」
大きく息を吐く。

竜次から啓志郎の顔は見えない。だが、重なった体から啓志郎の憤りや悔しさ、虚しさが直に竜次の体に伝わる。
「先生」
啓志郎が泣いているような気がして、腕を回して抱きしめる。

抱きしめられて小さく体を震わせた啓志郎は、顔を上げる。切れ長の目には、悲しい色がうかんでいる。
「先生」
小さく呼んで、顔を寄せる。額が触れて、鼻が触れる。ゆっくりと、啓志郎は目を閉じる。

唇が触れる。温かくて柔らかい。
アゴを引いて、目を開ける。ほんの間近に啓志郎の切れ長の目がある。その目は酔いに潤んでいる。
背中に回していた手をほほに。親指で唇をなぞる。柔らかくて湿っている。
「ん」
たまらず、もう一度唇を寄せる。

何度も重ねて、強く弱く吸う。舌先で歯を割って、中へ。舌を探って、絡める。
・・・ああ。気持ちええ。
鼻で呼吸するのが苦しくなる。もっと気持ちよくなりたい。頭の中はそれしか考えられなくなる。
肩に手を置いて、静かに態を入れ替える。

床に手をついて、上から顔を覗き込む。艶やかな黒髪、潤んだ瞳、上気したほほ。口は半開きで浅い呼吸を繰り返している。激しい口づけの名残に、唇は赤く濡れている。
「エロい、顔」
つぶやけば、目を細めて口の端を上げる。手で竜次の太ももに触れ、ゆっくり動かして中心まで。
「う」
そこは、すでに興奮を隠しきれない状態になっている。

「コレ、どうしたい?」
下から訊かれる。答えは決まっている。
「竜次」
分かっているはずなのに、答えを促す。とことん意地が悪い。だが、それがいい。

「ベッド、どこや?」
余裕のない声で訊けば、もう一度、竜次の下で目を細めた。



ゆっくりと目を開ける。見知らぬ天井だ。何も着けず、毛布を腹の上に乗せてベッドに寝ている。肩先に温かさを感じて横を見れば、艶やかな黒髪と白い背中が見える。女の背中ではない。
・・・そうか。俺、ゆうべ先生と。
ようやく思い出す。

竜次には恋人と呼べる相手は久しくいない。プロ格闘家として活躍していた頃は、それなりにモテていた。恋愛感情の伴わない割り切った関係ばかりだったが、相手に不自由する事はなかった。その全てが女性だ。
男は、啓志郎が初めてだ。

ケガの治療と格闘家への復帰ばかりを考えて、しばらく誰かと快感を共有する行為からは遠ざかっていたが、男と、それも啓志郎と関係を持つなんて、我ながら理解に苦しむ。
・・・なんぼ美人やていうても、先生は男やしなあ。
天井を見上げて、思い出す。

細いとばかり思っていた啓志郎の体は、鍛えこまれた筋肉をしていて、無駄な箇所などひとつもなかった。ほんのり上気して吸いついてくるような肌も、浅い呼吸に時おり混じる控えめな喘ぎにも、たまらなく興奮した。
・・・男でも、気持ちよかったなあ。
最後はお互いの手で頂点を迎えた。ひと晩明けて冷静になって、同性相手に快感を射出できた事が自分でも信じられない。
しかし、それは啓志郎相手だったからだろう。

・・・先生は、男相手は初めてちゃうよな。
啓志郎の指で手で口で、巧みに情欲の炎を点けられた。
・・・つき合(お)うてる男が、いてんのやろか。
考えたところで、横を向いて寝ている啓志郎が小さなくしゃみをする。啓志郎もまた何も身に着けていない。朝方のこの時間、体が冷えたのだろう。

竜次は体を寄せて、啓志郎を背中から抱く。
「寒いんか?」
「少し」
毛布を肩までかける。前に回した手を啓志郎の手に重ねて、指を絡める。
「もう少し、寝とき」
「ん」

竜次の体温に安心したのか、啓志郎の呼吸は楽になる。腕の中にいる啓志郎の体温と穏やかな呼吸に、竜次も眠くなる。
「・・・って、なんや?」
啓志郎の寝息が止まる。強引に体を反転させて、竜次の顔を確認する。

「うわ、なんでおまえが!?」
ベッドに座る。毛布がズレて、竜次と自分との状況を目の当たりにする。
「俺、おまえと!?」
「そうや」
啓志郎の混乱ぶりを前に、竜次はヒジをついてほお杖をつく。

「ウソやろ」
自分の体を確認して、手で顔を覆う。
「ああ、くそ。ホンマにか」
「なんや、被害者ヅラして」
啓志郎の驚きように、竜次は憮然とした表情をうかべる。
「俺は、強引にはしてへんで」

うそぶく竜次を軽く睨んで、啓志郎はベッドからおりる。脱ぎ散らかされた衣服の中から自分の下着を拾い上げると、素早く履く。
「おまえも早(は)よ着とけ」
竜次の下着をつまみ上げて放る。竜次は口を歪めてベッドをおりると、下着を履く。そのまま、服を身につけている啓志郎の後ろに立って、背中を抱く。

「アホか。離せ」
硬い声だが離さない。
「あんた、ようあんなコト、すんのか?」
肩ごしに睨まれる。ひるまず、耳を噛むように訊く。
「酔うたら、誰かれかまわずなんか?」

「相手は選ぶ。決まってるやろ」
「へえ。ほな、俺はあんたに選ばれたて、思てええんか?」
ピクリと、啓志郎の肩が反応する。
「ど厚かましいガキ」
大きなため息をつく。

「おまえは恩知らずで自分勝手で厚かましくて、どっしょもないガキや」
「あんた、素直なんはベッドの上だけやな」
「はあ?」
「耳、真っ赤やで」
竜次に指摘されて、啓志郎は慌てて自分の耳を手で隠す。

今朝の啓志郎の憎まれ口は、自分と肌を合わせた事に動揺しているのを隠すためだ。
厳しくて融通がきかない啓志郎を、初めて可愛いと竜次は感じていた。




  2013.11.16(土)


    
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