決勝戦の相手は、高木という選手だ。攻守にわたってバランスのとれた高木は、今大会の大本命と言われている。比べて竜次は年齢も高く、ケガの治療という長いブランクを経ての出場だったので、決勝まで残るとは誰も予想しなかっただろう。

正直、やっかいな相手だ。だが、負けるわけにはいかない。
「よし!」
気合をいれなおして、リングにあがる。竜次と高木との決勝戦に、会場はいやがうえにも盛り上がる。大半は高木を応援する声だが、なかには竜次の名前を呼ぶ声もある。最前列で一番大きな声で応援しているのが、谷本だ。強面の顔を真っ赤にして、声を張り上げている。
・・・血圧大丈夫かいな、あのおっちゃん。
大事な一戦に臨むというのに、竜次は落ち着いている。

軽く目を閉じる。自分が勝ち名乗りを受けるイメージが、明確に脳裏にうかぶ。目を開ける。負ける気はしない。
「ファイッ!」
レフリーの合図と同時に、高木が動く。竜次の首を取って、引き倒して寝技に持ち込むつもりだ。素早く動く高木の手を、二つまではさばいたが、三つ目でバランスをくずされ足をとられる。

踏ん張るのも良くない。自分から腰を落として、背後に回る。高木もまた有利なポジションをとろうと、細かく体を動かす。
どうやら高木の狙いは、ケガをした竜次の左ヒザのようだ。寝技で竜次を捕らえて、左ヒザを絞りあげる。

「うう」
ミシミシという湿った音がする。竜次は体を回転させて、高木の手から逃れる。高木の方が手数も多く、僅かに竜次は押されている。それでもなんとか、しのいでいる。
レベルの高い攻防に観客の熱気は増していくが、逆に竜次は冷静になっていく。自分の体も、対戦相手の高木も、観客席もよく見える。

そして、熱狂する観客に混じって、一人心配そうな顔をしている啓志郎の姿も。
・・・啓さん、来てたんか。
ならば、みっともない姿は見せられない。竜次は悲鳴をあげ始めた体をフルに使って、3ラウンドを戦いぬく。

「それまで! 両者、いったん離れて!」
3分3ラウンドを使っても、竜次と高木の勝負はつかない。いったん両者はそれぞれのコーナーに戻り、リング下では運営側の責任者が数人集まって話し合いをしている。
竜次にとって長い長い数分間が過ぎる。体が冷えてくるに従って、高木に攻められた左ヒザに違和感が出てくる。

時間だけが過ぎいっこうに決まらない勝負の行方に、ざわついていた観客席から延長戦を望む声があがる。やがてその声は大きな延長コールとなって、会場全体を揺るがす。
これには運営側も驚いたようだ。しかし勝敗は決めなければならないし、何よりファンがそれを望んでいる。

運営側の代表がマイクを持ってリングにあがる。代表はもったいつけて大きく一礼をすると、
「協議の結果、延長戦を行うコトを決定しました」
そう言ったとたん、会場から歓声と大きな拍手がわく。
・・・かんべんしてや。
痛み始めた竜次のヒザは、そう言っている。

横目で啓志郎の座る場所を見る。啓志郎はただ静かに、竜次を見つめている。おまえを信じている、必ず勝てと、切れ長の目は言っている。
「よっしゃ」
気合が入る。

「ファイッ!」
延長戦が始まる。延長戦は1ラウンド3分。勝敗が決まるまで続けられる。年上の竜次にとっては厳しいルールだ。出来れば早く決めたい。
だが、それとは反対にいつまでも戦っていたいとも思う。強い相手と互角に戦う緊張感と、最高の攻防を見せる事で観客を沸かせる高揚感に、竜次は陶酔している。

竜次も高木も決め手を欠いたまま、時間だけが過ぎていく。竜次の体もヒザも、とうに限界を越えている。気力で動いている竜次の足が、汗ですべってバランスをくずす。
「竜次っ!」
やられたと思った瞬間、ひときわ大きな声がする。啓志郎の声だ。会場全体が揺れるほどの歓声の中、なぜだか啓志郎の声だけがハッキリ聞こえる。

「打!」
左足を踏みしめて、高木のわき腹に一撃。呼吸をさせず次の一撃。とどめの一撃。竜次の得意とする三段突きが、キレイに決まる。
そのまま、高木はゆっくりとヒザをつく。

レフリーが試合を止める。大きく手を振る。ゴングが打ち鳴らされる。竜次の右手が高々と上げられる。竜次の勝ちだ。長く厳しい戦いを、最高の一撃で制した。
「うおお!」
リングの上で、竜次は勝利の雄たけびをあげる。

だが、年末に行われる総合格闘技のイベント参戦者の中に、竜次の姿はなかった。



病院の待合室の固いベンチに座って、竜次は天井を見上げている。
ほんの数時間前、竜次は一般参加枠を争う試合に出場して、激戦を制してそれを手に入れた。最強の相手を最高の一撃で沈める試合内容で、誰も文句のつけようのない勝利だ。
再びプロ格闘家としてイベントに参戦できる喜びに興奮していた竜次だったが、試合直後に控え室でヒザの鈍痛を覚える。

慌てて救急病院まで運ばれ、診察を受ける。
・・・疲労骨折、やて。
限界以上に酷使した竜次の左足は、レントゲンの結果骨折していると診断される。もちろん、イベントには参戦できない。

ようやく登りつめたと思った復帰への階段から、一気に奈落の底へと落とされる。今度という今度は参った。復帰も叶わず啓志郎にも拒まれて、どうしていいか頭の中が真っ白になる。途方に暮れて、竜次は目を閉じて大きくため息をつく。

「おい」
その時、背後から低く呼ばれる。驚いて、恐る恐るふり向けば、そこには啓志郎が立っている。
「け、啓さん」
ツカツカと寄って、竜次の隣に座る。
自分を信じて、絶対に勝てと送り出してくれた啓志郎に無様な姿を見られて、どんな顔をしていいか分からない。竜次は啓志郎の座った反対側に顔を向ける。

そのまましばらく二人黙っていたが、
「骨折のコト、聞いた」
小さな声で啓志郎は言う。
「さよか」
答えて、竜次はギプスで固められた自分の左足をさする。

「あんた、会場まで応援しに来てくれたんやな」
「分かったんか?」
「当たり前や。啓さんが来てくれて、応援してくれたさかい、俺は勝てたんや。けど、」
間をおいて、
「かんにん。足、いわして(=痛めて)しもて。イベントに参戦でけへんようになってしもた」

言葉が震える。これ以上無様な姿は見せたくないのに、顔を見て近くにいるだけで気持ちが緩んでしまう。
・・・ああ、俺はホンマに、啓さんが好きなんや。
自覚すると同時に胸が熱くなる。悔しさと申し訳なさと安心したのと、グチャグチャの想いが涙となって目から溢れる。

声を押し殺して竜次は泣く。
ヒザの上に握り締めた拳に、啓志郎はそっと自分の手を重ねる。柔らかくて温かい啓志郎の手だ。
啓志郎は何も言わない。だが、その手は雄弁に啓志郎の想いを伝える。
鼻をすすり上げて、啓志郎の顔を見る。啓志郎も竜次の顔を見ている。切れ長の目には、優しい光を宿している。

「竜次」
「押忍」
腕を伸ばして、竜次の涙を指先でぬぐう。
「帰ろか、一緒に」
「・・・押忍」
言葉の意味を噛みしめて、短く答える。

立ち上がった竜次に、啓志郎は肩を貸す。二人並んで、ゆっくりと病院の廊下を歩く。
「なあ、訊いてもええ?」
「ん?」
「あんた、俺のドコに惚れたんや?」
「はあ?」
呆れたように顔を見て、アホかと口の中でつぶやく。啓志郎らしい反応に、竜次は小さく笑う。

「ほな、俺からも訊いてええか?」
「なんや?」
「おまえ、これからどうするつもりや?」
「どうするも、こうするも」
啓志郎の肩に置いた手に、力をこめる。
「そんなん決まってる。ケガ治して、復帰する。あんたと一緒に」
どうやと言わんばかりに、啓志郎の顔を見る。

「呆れた。まだ、諦めてへんのか。けど、」
きつい口調で言ったあと、ひと呼吸おいて、
「それでこそ、俺の惚れた男や」
小さな声で、だがハッキリと言う。

聞き間違いではない。その証拠に、前を見て歩く啓志郎の耳は、赤く染まっている。
「啓さんて、美人やけど口が悪くて意地悪で、全然素直やないけど、可愛いな」
「はあ?」
「けど、そんなトコも全部ひっくるめて、好きや」
「アホか」
口ではそう言いながら、まんざらでもない顔をしている。

可愛くていとしくて、竜次はよろけたフリをして啓志郎の体をきつく抱きしめた。


                                     おわり




  2013.12.04(水)


    
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