啓志郎と再び肌を合わせた。
体の熱を分け合って熱を快感を共有して、啓志郎への想いは恋だと自覚する。いつどこで何をしていても、啓志郎の事を考えている。

啓志郎の熱っぽく潤んだ切れ長の目を、艶やかな黒髪の匂いを、喘ぎの混じった息遣いを、上気した肌の感触を、ふとした瞬間に思い出しては反芻している。トレーニングをしている時すらそうだ。集中できない。

「今井!」
鋭い声で呼ばれ、ハッとする。とたんに腕に大きな負荷を覚える。竜次は今、総合格闘技のジムにいて、厳しい試合に耐える体を造るために器具を使ったウェイトトレーニングをしているところだ。本当ならばゆっくり曲げ伸ばしするところ、腕は負荷に耐えきれず急激に伸びる。反動で金属の重し同士がぶつかって、大きな音をたてる。

「アホか! ぼーっとして!」
トレーナーから叱責される。重い負荷をかけてのトレーニングは、少しの油断がケガの元になる。竜次は器具から手を離して、注意深く腕を曲げ伸ばしする。かすかに痛みを感じる。
「痛むか?」
「押忍。少し」
トレーナーは自分の手を竜次のヒジに添えて、ゆっくり動かす。

「たいしたコトないようやな。けど念のため、冷やしとけ」
「押忍」
「気イつけなアカンぞ」
厳しく言われて、医務室に行く。ジムでのトレーニングでは、細心の注意をはらってもケガや打撲はつきものだ。医務室には簡単な治療ができるよう、いろいろな医療品が置いてある。

竜次は棚から冷シップを取り出すと、手馴れた様子で自分のヒジに貼る。
「ふう」
イスに座ってヒジを押さえる。顔を上げれば、目の前の鏡に自分の顔が映っている。
・・・腑抜けた、顔やな。
にがく笑う。

恋をした事はある。恋人と呼べる存在も過去には何人もいたし、恋愛感情が伴わない、割り切った関係の相手もいた。
だが、これほどまでに竜次の心を占めた相手はいない。今までの竜次は、自分が格闘家である事を一番に考えて、それより他の事は二の次三の次にしてきた。いかに自分が強くなるか、そればかりを考えている竜次に愛想を尽かして去っていった相手も、一人や二人ではない。

・・・それが、男相手に、啓さん相手にいれ込んでしもて。
出会った当初は、美人だけど口やかましくて厳しいヤツとしか思わなかった。それが復帰の手助けをしてもらううちに、厳しい言葉の裏側に自分の復帰を願う真剣な気持ちが含まれているのに気がついた。

・・・啓さんは、俺のコト、ホンマはどう思てんのやろ。
考えるが、あまりいい答えはうかばない。啓志郎が竜次にかける言葉といえば、アホだのガキだのボケだのと罵倒でしかない。
竜次と肌を合わせた時も、2度とも酔いを理由にした。所詮、啓志郎にとって自分は手のかかるガキで、アホな格闘家で、体の渇きを癒す簡単な相手。そんなところだろう。

「くそっ」
年上で同性でドSで口が悪くて、おまけに復帰をかけた試合前の一番大事なこの時期に、自分の心をかき乱す。

憎たらしい。だが、諦めきれない。

「くそったれ」
気合をいれるため、自分で自分の両ほほを両手で叩く。乾いた音が響いて、ほほが熱くなる。それでもなお、竜次の中から啓志郎が消える事はなかった。



もちろん、帰ってすぐにヒジに貼ったシップを見咎められる。
「それ、どうしたんや?」
「いや、ちょっと」
顔を伏せてやりすごそうとするが、啓志郎はそれを許さない。食事のあとリビングのソファに強引に座らせる。

「ちょお診して」
隣に座って、シップを剥いで軽く動かす。
「すぐに冷やして正解や。たいしたコトあれへん」
柔道整復師の声で言って、上目づかいに睨む。
「で、なんでヒジいわした(=痛めた)んや?」
どうしても理由を言わねばならない雰囲気だ。竜次はため息をついて、正直に話す。

「アホか」
やはり言われてしまう。
「大事なこの時期に。なにを考えてんね」
あんたの事だと、よほど言いたい。だが、言わないよう唇を噛む。

「竜次」
顔を伏せた竜次に、啓志郎はひとつため息をつく。
「いろいろ考えて、集中でけへんのやろ」
いくぶん穏やかな声で続ける。
「またケガせえへんやろかとか、ちゃんと体が動くやろかとか、実戦の勘が戻っているやろかとか。考えるなて言うても、無理なコトや」

頷いた竜次に、
「こないだ、なんでおまえは格闘家の道を選んだんやて、訊いたな。なんでや?」
「強なりたいから」
「せやろ。雑念がわいて集中でけへん時は、最初の気持ちを思い出せ」
啓志郎は厳しい言葉をかける。だが、やる気を鼓舞する優しい言葉でもある。かなわんなと、竜次はにがく笑う。

「なんや、笑(わろ)て」
「いや。手のかかるガキて思てんのやろなと思たら、笑えて」
「そのとおりや」
つられて小さく笑う啓志郎に、竜次は真顔になって訊く。
「俺もこないだ、あんたに訊いたな。なんでそこまで、俺に一生懸命になるんや、て。その理由、聞かせてんか」

このあいだは上手くはぐらかされた。だが今は、小手先の言葉で誤魔化して欲しくない。
真剣な竜次の顔を見つめて、やがて啓志郎はソファから立ち上がる。強引に訊いたのがいけなかったのだろうか。
考える竜次の元に、ほどなく啓志郎は戻る。

その手には数葉の写真が握られている。
「これ、見てんか」
差し出された写真と啓志郎の顔とを交互に見て、受け取る。写真には道着を着た若い男が写っている。若き啓志郎だ。
「あんた、空手してたんか?」
「ああ。郷拳会にいてた。もうずいぶん前や」

写真の啓志郎は、二十歳前後の学生に見える。凛とした顔立ちは今とそう変わらないが、髪は短くガッチリとした体つきで精悍な印象を受ける。
「え? 郷拳会に?」
だから中郷や谷本と知り合いなのかと合点がいく。それに常々、啓志郎は武道の経験があるのではと推測していたが、空手をしていたのであれば納得できる。

写真の啓志郎は、メダルをかけていたりトロフィーを持っていたり。数々の大会で入賞するほどの実力を持っていた事が分かる。
「啓さん、空手黒帯なんか。これ何年前?」
「10年前や」
竜次の手元を隣から覗き込む。

10年前といえば、竜次は高校生。郷拳会の中央道場で、大学生や社会人を相手に研鑽していた頃だ。
「ほな、道場で会(お)うてたかもしれへんな」
中央道場で撮った写真もある。もしかしたらすれ違っていたかもしれないし、同じ道場で稽古したかもしれない。

自分と啓志郎との意外な接点に興奮気味に顔を見れば、啓志郎は複雑な表情をうかべる。
「けど、郷拳会におって入賞するほどの実力もあったのやったら、なんで空手をやめて柔道整復師に?」
竜次の問いに、啓志郎は深くソファに座りなおす。長い足を組み、中空を見上げる。

「確かに俺は空手の有段者で、大会で何度も入賞してた。ずっと空手を続けて、社会人になっても大会に出場して、ゆくゆくは後輩を指導して。空手に関わって生きていきたいと、真剣に思てたんや」
「うん」
啓志郎の話を、竜次は静かに聞く。

「俺が学生最後の大会に出場する前、練習相手として、ひとりの男を紹介されたんや。そいつはまだ高校生でな。背エばっかりヒョロ~ッと高くて、ヘラヘラ笑(わろ)てる生意気なガキやった。こんなガキを練習相手に選ぶやなんて、中郷会長もいよいよヤキがまわったんかと、本気で思た。けど、」
少し言葉を切って、
「道場でそいつと対峙した時、それまでヘラヘラ笑(わろ)てた顔から笑いが消えて、炯々と目が光って。とたんに俺は射すくめられてしもたんや。そいつの拳も蹴りも、速くて重くて受け流すのが精一杯。結局、最後はそいつの三段突きに沈んでしもた」

「啓さん。それ、もしかして・・・」
言葉が切れたところで、恐る恐る訊く。
「せや。おまえや、竜次」
言われても、まったく思い出せない。啓志郎ほどの美丈夫で、しかも実力者と対戦していたのであれば絶対に記憶に残っているはずだ。それが、きれいさっぱり消えている。

「ホンマに」
「ああ。格の違いを思い知らされた。世の中には、こんなに強いヤツがいてんのかと。俺なんか何年稽古を積んだかて、おまえのようになるのは無理やと思た」
「それで、柔道整復師に?」
頷く。

「自分で空手の道を究めるのは諦めた。けど、武道や格闘技を究めようとする人の手助けならできる。そう思たからや。せやさかい、竜次」
竜次の顔を見る。
「谷本師範代におまえの復帰を手助けするよう頼まれた時、これは運命やと思た。このために俺は柔道整復師になったんやと、本気で」

啓志郎の顔を、竜次も見つめる。
学生の時、自分と対戦して空手の道を諦めた啓志郎が、柔道整復師になって、再び自分と巡り会って復帰の手助けをするなんて、運命としか言いようがない。
「わかったか、竜次」
バラバラにバラけていたパズルが、最後の1ピースまでピタリと組みあがったかのような、そんなスッキリとした気分になる。

「おまえは余計なコト考えんと、試合のコトだけ考えとればええんや」
「押忍」
「あとの面倒は全部、俺が引き受けたる。せやから、思い切りやれ」
「押忍!」

自分が試合で勝つ事、それが啓志郎を一番喜ばせる。
啓志郎の告白を聞いて、竜次の心は決まる。そこには一片の迷いも無くなっていた。




  2013.11.27(水)


    
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