案内された部屋は、施術室のようだ。木目を基調とした落ち着いた色合いの部屋には、机や施術台などがある。
「和仁先生。時間外に、すみません」
「かまへん。今井さんはこちらに、谷本さんは後ろに座って」
机の前にあるイスをすすめられる。

「ほな、今井さん。現在の状況を教えてもらえますか?」
啓志郎に言われ、竜次は自分のヒザの症状を伝える。啓志郎は長い足を優雅に組んで、ペンを片手に竜次の話を聞いている。
話をしながら、竜次はこのキレイな人のどこを谷本は厳しくて怖いと評したのか、不思議に思う。

「なるほど。・・・服の上から体に触れても、ええですか?」
「押忍」
頷けば、立ち上がって竜次の前にヒザまづく。
「ヒザ、触ります」
「押忍」
確認して、服の上から柔らかく触れる。その手は温かい。

啓志郎は竜次の故障した左ヒザとその周辺に触れ、右ヒザとその周辺にも触れて顔を上げる。
「本格的に診たいんやけど。その施術台にうつ伏せになってもらえます?」
「押忍」
言われたとおり、うつ伏せになろうと施術台に腰かける。
「せや。コルセットは外してください」

言われて、ドキッとする。竜次はヒザの症状しか訴えなかったはずだ。それに太いシルエットの服を着ているので、腰に巻いたコルセットは見た目では分からないはずだ。
なのに啓志郎はひと目で看破した。
「押忍」
頷いて、腰に巻いたコルセットを外して施術台にうつ伏せになる。

「痛いコトはしません。呼吸を楽にして」
「押忍」
上げた腕を組んで、その上に頭を乗せる。深い呼吸を繰り返す竜次の首筋に、温かな啓志郎の手が触れる。手は首筋から肩を通って背中へ。

竜次は腰痛持ちだ。それも慢性の腰痛で、普段の生活もコルセットなしでは出来ない程だ。原因は激しい鍛錬を長年続けていた蓄積だと分かっている。だが積極的な治療もせず、だましだまし痛みとつき合っている。痛みがひどい時には、まともに布団に寝る事すら出来ない。

・・・ああ、気持ちええ。
だが啓志郎の温かい手に触れられて、痛みが軽減している。マッサージのように強くもんだりこすったりしていないのに、手を置かれた場所から温かさが体中に広がって、気持ちいい。
あまりの気持ちよさに、いつしか竜次は眠ってしまう。

「・・・井、おい今井」
「押忍」
体を揺すられて目が覚める。そこで初めて、竜次は自分が眠っていた事に気づく。
「おまえ、寝てたんか」
「押忍。長(な)ご寝てましたか?」
にが笑いの谷本に訊けば、
「いや。せいぜい15分くらいや」

短い時間のわりに深い睡眠だったらしく、寝覚めはスッキリしている。腰痛に悩まされる竜次にしては珍しく、グッスリ眠れたようだ。
「今井さん。こちらに」
呼ばれて、再び啓志郎の前に座る。

本格的に施術されたわけではないし、整骨院で自分の体が完治する保証があるわけでもないが、竜次は目の前に座る啓志郎に体を預けてもいいと、思い始めている。
理屈ではない。自分の体と啓志郎の手と、相性がいいような気がするからだ。直感に過ぎない。
「先生。俺の体、元通り動けるようになりますやろか?」
単刀直入に訊く。

訊かれた啓志郎は、切れ長の目で竜次を見据える。その目には厳しい色を含んでいる。
「その質問に答える前に、ひとつ訊いてもええですか?」
「押忍」
「今井さんは、なんで腰痛のコト、言(ゆ)えへんかったんです?」
「なんで、て」
故障したのはヒザだ。とにかくヒザさえ動くようになれば、また試合が出来るようになる。確かに腰痛もあるが、今までもなんとかなっていたので、わざわざ言う必要はないと思ったからだ。

それに、ヒザに加え腰までも診てもらうとなれば、ますます復帰への道は遠ざかる。1日でも早くプロ格闘家に戻りたい竜次にとって、腰痛は知られたくない事だ。
「そんなに痛ないし」
「今井さん」
大きな声ではない。むしろ低くて抑えられた声だ。しかし、竜次は一瞬、身をすくめる。

「俺が診たところ、今井さんはヒザよりも腰の方が重症です。慢性の腰痛で、コルセットなしやったら生活でけへんはずです」
「今井、ホンマか?」
驚いたように谷本が訊く。竜次は腰痛があるのを、誰にも打ち明けずに隠してきた。少しでも弱みを見せれば、たちまち攻められ潰されてしまう。竜次のいたプロの世界は、それほど厳しい。
「腰痛を隠したいて気持ちもわかります。けど、施術者にまで隠し事すんのは、気にいらん」

啓志郎に見据えられて、竜次は呼吸すら出来ない。プロ格闘技の世界に身を置き、あまたの強敵と対峙してきた竜次が、啓志郎の迫力に押されている。
細身の体で、ただイスに座っているだけなのに、体が押しつぶされるほどの圧迫感がある。

「す、すみません」
声も出せない竜次に代わって、谷本が頭を下げる。
「せや、これ。会長から預かってきました」
胸ポケットから封筒を出して、啓志郎に渡す。啓志郎は顔色をなくした谷本と封筒とを交互に見て、受け取って中身を改めてる。

中には紙が一枚入っている。中郷からの手紙のようだ。確認した啓志郎は、また元のように封筒にしまう。
「・・・しゃあない」
ひとつ、ため息をつく。
「今井さん」

「押忍」
呼ばれて、慌てて返事する。
「医者に行って検査して、結果を教えてください」
「押忍」
念を押すように言われ、大きく頷く。

真剣な面持ちの竜次を見て、啓志郎は机から便箋を出してサラサラと書きつける。それを丁寧に折って封筒にいれる。
「整形外科の先生あてに、手紙書きました。必ず見せて、3日以内に来てください」
封筒を竜次に差し出す。
「ええですね」

「押忍」
頷いて、封筒を受け取る。
「和仁先生、ありがとうございました。必ず、検査結果持って来させます」
「ありがとうございました」
谷本に促され、立ち上がって頭を下げる。

「失礼します」
そのまま啓志郎の前を辞する。ドアを開けて外に出たとたん、安堵の息がもれる。ふと気がつけば、背中に汗をかいている。
・・・美人やのに、えらい迫力やったな。
谷本が啓志郎を”厳しくて怖い”と評した言葉を、少しだけ実感していた。



その翌日、竜次はさっそく啓志郎から紹介された整形外科に行く。
「近藤(こんどう)です。よろしく」
診察室へ入れば、メガネをかけて青々としたヒゲそり痕の40代くらいの医師が座っている。
「今井竜次です」
挨拶して、啓志郎から預かった封筒を渡す。

「なるほど。さっそく検査しましょか。看護師が案内しますさかい、検査着に着替えてください」
中の手紙を読んだ近藤は、看護師を呼んで更衣室へ案内させる。そこで脱ぎ着しやすい検査着に着替えて、検査室へと移動する。

検査項目は多項目に及ぶ。身長、体重の測定から始まり、血圧、採血、採尿、心電図と続く。レントゲンでは、ヒザと腰部の写真を念入りに撮られる。
朝から始まった検査が全部終わったのは、昼過ぎだ。検査着から着替えて、再び診察室に入る。
「お疲れ様でした」
「いえ」
近藤の座る机の上には、写真や書類が並んでいる。

「今日の検査結果を、簡単にご説明します」
手元の書類を見ながら、近藤は説明する。それによると竜次の心肺機能は何の問題もなく、血液や尿からも不安な項目は見つからなかったようだ。
「さすがに鍛えた体だけあって、すばらしい結果です」
感心したように言われ、ひとまずホッとする。

「で、レントゲンの方ですが」
現像したレントゲン写真を、机の前にある白い板に貼る。手元のスイッチで板の後ろに灯りが点いて、より鮮明に見られるしくみだ。
「痛めた左ヒザですが、じん帯も伸びてへんし、手術はせえへんでもリハビリで機能は回復しますやろ。けど、」
と、近藤はもう一枚のレントゲン写真を貼る。

腰を横から撮った写真だ。S字に曲がった背骨が、鮮明に写っている。
「ここ、わかります? 第4腰骨と第5腰骨が変形してる。これが今井さんの腰痛の原因です」
近藤がペン先で指し示す場所を凝視する。骨が変形していると言われても、竜次には分からない。ただ、尾てい骨のすぐ上辺りが痛みの発生源なので、近藤の指摘は納得できる。

「近藤先生。これ、治りますやろ?」
「治る、ねえ」
身を乗り出すようにしてレントゲン写真を見ていた近藤は、イスに深く背中を預ける。
「今井さん。僕はスポーツドクターです。ありとあらゆるスポーツ障害の患者さんを診て、回復のお手伝いをしてきました」
”スポーツドクター”とは、スポーツに因る障害に関する専門知識を持った医師だ。医師として5年以上の経験と、2年に及ぶ専門講習を受講してはじめて認定される。

「僕ら医療者の言う”治る”と、今井さんのようなプロのアスリートが言う”治る”では、意味がちゃいますよね」
近藤の言う通りだ。一般の人なら、日常生活に支障なく動けるようになる事が”治る”だが、竜次は違う。さらにその上、プロ格闘家として活躍できるようにまで機能回復して、はじめて”治る”と言える。

「ハッキリ言うて、今井さんがプロ格闘家として復帰できる可能性は、ほとんどありません」
僅かな望みさえも打ち砕く、残酷な宣告だ。竜次はきつく唇を噛む。現状を見据えた、きわめて現実的な言葉だと、重々分かっている。
だが、竜次の聞きたい言葉ではない。

「検査結果を和仁先生に渡してください。僕の所見も書いておきますさかい」
「押忍」
容赦ない現実を目の当たりにして、竜次は力なくうなだれた。




  2013.10.30(水)


    
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