勝手にヒザを痛めて、啓志郎からもう復帰への手助けをしないと竜次は宣言されたが、酔った啓志郎と関係を持った事でうやむやになる。
以前と同じように啓志郎の整骨院に通い、啓志郎の指導のもとヒザと腰の機能回復を図るが、それには絶対服従の他に、もうひとつ条件が追加される。

「同居? 俺とあんたが?」
「せや」
施術台に横になって啓志郎から施術を受けながら、竜次は意外な声をあげる。
「あんたの部屋で、やろ?」
わに整骨院の入っている建物の上は集合住宅になっている。その上階に啓志郎の部屋がある。男二人で暮らしても余裕のある間取りだが、啓志郎の真意がわからない。

「あんた、なんやかんや言うて、俺と一緒にいたいんか?」
「アホか」
能天気な竜次は激痛のツボを押される。
「んなワケ、ないやろ」
「痛たっ・・・、ほな、なんで?」
涙目になって訊けば、
「おまえを監視するためや」

「監視て?」
「おまえがこれ以上、自分勝手なコトせえへんようにな。治療もトレーニングも、俺と近藤先生の指導に従って、キッチリやってもらう」
啓志郎がどんな表情で言っているのか。背中を向けている竜次には分からないが、真剣な気持ちは痛いほど伝わってくる。
「ええな」

「押忍。・・・けど」
竜次は首を巡らして、瞳だけで啓志郎を見る。
「なんで、俺ごときにそない真剣になってくれるんや」
「おまえが言うか」
厳しく言われて、首を元の位置に直される。

「けど実際、俺に関わったかて金にならんし、気にいらんコトだらけやろ?」
「ホンマにな」
啓志郎は自嘲気味に笑う。
「中郷会長から頼まれたからか? 手紙受け取ってたやないか」
竜次が初めて啓志郎と会った時、谷本から中郷の手紙を受け取って読んだはずだ。それまで乗り気でなかった啓志郎だったが、手紙を読んでからは竜次の手助けをしている。
「あの手紙、なんて書いてあったんや?」

「会長の手紙? ああ」
少し考えて、
「”頼む”て、それだけや」
「それだけ?」
よほど心を揺さぶるような文章が書いてあるのだろうと考えたが、拍子抜けするほど短く簡単な言葉だ。

「ほな、なんで俺の復帰を手助けしようて気になったのか。ますます、わからへん」
「とにかく」
これ以上、無駄な詮索はするなとばかりに、啓志郎は強い口調で言う。
「身の回りのモンだけ持って、すぐ移って来(き)い。ええな」
「押忍」
啓志郎の機嫌を損ねれば、今度こそ本当に見放されてしまう。疑問は残るものの、竜次は大きく頷いた。



啓志郎との同居が始まる。
わに整骨院の上階、啓志郎の住む部屋に夜具と簡単な荷物を持ち込む。
「啓さん、マヨネーズ取ってんか」
同居するうちに、いつの間にか啓志郎を”先生”ではなく”啓さん”と呼ぶようになっている。始めは軽く睨まれていたが、今では慣れて返事をする。

「マヨはほどほどにしとけ」
余分な肉を削ぎ落とすため、厳しく食事制限されている。野菜中心の食事は、体重をコントロールするのにはいいのだろうが、いかんせん味気ない。
「おまえ、つけすぎや」
「押忍」
マヨネーズくらい好きにつけさせろと、本当は言いたいところだが、今はガマンする。

竜次の腰とヒザは、今の体重のままだと回復に時間がかかる。いったんギリギリまで体重を落として、腰とヒザの機能を高めてから体を造っていく方が効率がいいそうだ。格闘家として自分の体を絞る事に対して恐怖心がないわけではないが、啓志郎の指示どおりに運動と食事制限を続ける。

「よく噛んで食べんのやで」
ご飯は雑穀米、野菜も根菜のメニューが多い。歯ごたえのある物をよく噛んで食べれば、少ない量で満腹感が得られる。全部、啓志郎の考えだ。
体の機能回復はさておき、食事に関しては啓志郎も素人のはずなのに、スポーツドクターである近藤に協力を仰ぎながら、献立を考えてくれる。

・・・啓さんは、なんでここまで俺にいれ込むんやろな。
もう何度目か知れない疑問が、またうかぶ。竜次の向かい側に座って、ゆっくりハシを動かす啓志郎自身は食事制限する必要はないのに、竜次につき合って野菜中心の食事をしている。
そのせいか、シャツの襟元から見え隠れする首筋は細く、鎖骨が目立って見える。

一度、あの首筋に触れた。ヒザを痛めた、雨の降る夜だ。首筋だけではない、ほほに耳に、唇に触れて熱く情を交わした。だが、ただ一度きりだ。
同居して以前より長い時間を二人で過ごすようになり、近しい気持ちを持ってはいるが、再びあの時のような熱情を啓志郎から感じる事はない。

・・・啓さんは、どう思てんのやろな?
どういうつもりで肌を合わせたのか。訊いた事もなく、訊くつもりもない。酔った勢いで慰めあっただけ。そんなところだろう。
・・・けど、またそんな雰囲気になったら、俺は冷静でいられるやろか?
白く細い首筋に指を這わせ、温かく柔らかい唇をむさぼって、きつく抱きしめて。そんな衝動に耐えられるかどうか、自信がない。

「なに見てんね?」
上目づかいに訊かれる。強い眼差しに一瞬、胸が高鳴る。
「え、いや。メシ食うたあとは、果物がええんやったな」
早口で言って、リンゴと果物ナイフを持ってくる。大きな手で小さなナイフを器用に使ってリンゴをむく竜次の手元を、啓志郎はじっと見る。

「おまえ、見かけと違(ちご)て、ずいぶん器用やな」
「それ誉めてへんし」
「料理かて、俺の考えた献立どおりに作ってるやろ」
「ああ。いろんなバイト、してきたさかいな」
試合の賞金だけでは生活できない。生活の中心がトレーニングなので、まともに就職も出来ない。だから竜次はいろいろなバイトを経験してきた。

「居酒屋の厨房に入ってたコトもあんね」
「さよか」
皮をむいて、食べやすい大きさに切ったリンゴを皿に並べる。啓志郎はそれを取って、ひと口かじる。

「竜次。おまえ、なんで空手始めたんや?」
「なんで、て」
竜次は少し言葉を切って、
「俺が郷拳会の空手道場に通い始めたのは、小学生の頃やったな」
自分もリンゴをかじりながら、思い出す。

「俺は小さい頃から乱暴者で、しょっちゅうケンカしてた。見かねた親が、近所の空手道場に放り込んだんや」
「ああ、そんな感じやな」
啓志郎は小さく笑う。
「それまで体も大きくて、ケンカやと負けたコトのなかった俺が、空手やと年下のヤツにも簡単に負けてまう。それが悔しくてなあ」

負けるのが悔しくて、自分より強い人間がいるのが許せなくて、竜次は死に物狂いで稽古を積んだ。その結果メキメキと実力をつけ、中学生の時には高校生と、高校生にもなると大学生や社会人と、互角以上に戦えるようになった。
「ほな、なんで空手から総合格闘技の世界に?」
啓志郎の問いに、遠くを見て答えを探す。

明確な理由は、見つからない。自分よりすいぶん年上の大人にも勝つようになって、空手以外の世界を覗いてみたかったからかもしれないし、単純に空手では金にならないと思ったからかもしれない。
「強なりたいから、かな。よう憶えてへん」
「ええ加減やな」
つぶやけば、呆れたような口調で言う。

「そういうあんたは、なんで柔道整復師になろうと思たんや?」
「俺か?」
こんな個人的な事を啓志郎に訊くのは初めてだ。だが今なら、何を訊いても答えてくれそうな気がする。

「手に職をつけたかったんや」
しばらく考えて、啓志郎はぽつりと言う。
「柔整(=柔道整復師)は、国家資格やしな。食いっぱぐれがないと思たんやろな」
啓志郎の言葉にウソはないだろう。だが、切れ長の瞳には戸惑いの色が見える。
「啓さん、あんた」
他にも理由があるだろうと、重ねて訊こうとして、やめる。啓志郎が言いたくない理由を無理に聞き出しても、お互いに後味の悪い思いをするだけだ。

「なんや?」
「・・・いや、なんも」
小さく首を振って、顔を上げる。
「けど、あんたが柔道整復師の道を選んだおかげで、こうして俺の復帰を助けてもらえる」
明るい声で言えば、啓志郎は一瞬きょとんとして、
「厚かましいガキやな」
いつもの厳しい声で言う。

「ガキと違う」
「ガキと違うんやったら、なんやねん?」
挑むように訊かれるのに、
「男や」
挑むように、目を見据えて答える。

竜次の視線と啓志郎の視線と、ピタリと合わさる。啓志郎の目の奥底に、あの夜の熱情が見えたような気がして、確かめたくて、竜次はじっと見つめる。
啓志郎もまた、竜次の目を見つめたまま動かない。

数瞬ののち、ふいに啓志郎は横を向く。
「俺、フロ使てくるわ」
つぶやいて、ダイニングをあとにする。

残された竜次はイスに深く背を預けると、大きく息を吐く。
・・・今の、なんやったんや?
左胸に手を重ねる。いつもより鼓動が早い。
啓志郎と食事をして、リンゴをむいて話をするうちに、啓志郎の細い首筋に気づいて、見つめ合って。

啓志郎の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ情欲の火が見えたのは、見間違いかもしれない。それでも啓志郎の官能的な肌の感触や息遣い、温かさを思い出させる。
「くそっ」
何度も深呼吸をする。しかし、早くなった胸の鼓動はなかなか元には戻らなかった。




  2013.11.20(水)


    
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