白くふわふわとした空間が広がっている。
温かく気持ちのいい光が、辺り一面にふり注いでいる。
胸いっぱいに空気を吸い込めば、すがすがしい匂いがして、体中の悪い物がきれいに流れて
いくようだ。

どこからともなく、笑い声が聞こえる。
大人の笑い声がふたつ、子供の笑い声がひとつ。
幸せな、幸せな笑い声だ。

歩はそこで目を覚ます。
見覚えのある白い天井に、うすいピンクの壁。どうやら晶の病院の一室にいるらしい。
枕元を見れば、やつれた顔をした恒一郎が座っている。
「気が、ついたんか?」
歩が目覚めたのに気がついて、恒一郎はそう声をかける。
今まで聞いた事のない、穏やかな声音だ。

「…痛みは、どうや?」
「う…ん」
お腹がちぎられるような痛みは、おさまっている。
「大丈夫や」
「そうか」
恒一郎は、ようやくホッとした顔を見せる。

「夢でも、見てたんか?」
「え?」
「さっき、笑てた」
「うん。なんや、幸せな夢、見てた」
「そうか」
頷いて、うすく微笑む。
恒一郎が初めて歩に見せる、優しい笑顔だ。

「恒一郎さん」
「なんや?」
「さっき、ヒドいコト言って、かんにん。カッとなって。恒一郎さんを、傷つけてしもた」

「謝らなならんのは、俺の方や」
恒一郎は、布団の上に出ている歩の手を、両手で包み込むように握る。
「おまえにヒドいコト言うて。…知らんかったんや、おまえが俺を好きや、なんて」
「え?」
驚いて顔を見れば、真剣な表情をしている。

「つき合(お)うてる時から、おまえは俺の言うコトはなんでもきいた。俺の要求なら、なんでも
呑んだ。…心に別の男がいるからやて、思てた」
「そんな」
「俺に傷つけられた心を、その男に慰めてもろてるて、ずっと思てた」
「ち、ちが…」

歩の手を握る恒一郎の手が、細かく震えている。
「せやから、別れた。これ以上、おまえを好きになったらアカンと、思た。…お腹の子を堕ろせ
て言うたのも、おまえに他の男の子を産んで欲しくなかったからや」
寝ている歩の肩に、ゆっくりと頭を寄せる。恒一郎の声も、震えている。
「俺は、冷たい、ヒドい男や」

「そう、やったんか」
焦がれるほどに惚れて、一方的に捨てられて、また拾われて、酷い男だと思って…。
しかし、自分の肩に頭をすり寄せるこの男は、もう冷たいだけと思いこんでいた恒一郎ではない。
お互いの誤解が、お互いの気持ちをすれ違わせていただけだったのだ。

「恒一郎さん」
歩はもう一方の手を布団から出し、恒一郎の髪をやさしく撫でる。
満ち足りた、温かい気持ちが、胸の奥からあふれてくる。
歩は、何度も何度も恒一郎の髪をすきながら、いつしか慈愛に満ちた笑顔をうかべている。

コンコン。しばらくそうしていると、病室のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
入って来たのは、白衣を着た晶だ。

「どう、歩くん。痛みは?」
「うん。おさまった」
「そう。良かったわ。…あら」
晶は歩に頭を寄せたまま眠ってしまった恒一郎と、優しい眼差しで恒一郎を見つめる歩とを、
交互に見て、小さく吐息をつく。

「寝てしもたのね、この人。重いコトない?」
「大丈夫や。このまま寝かせてやりたいんやけど」
「仕方ないわねぇ」
晶は付添い人用の毛布を持って来ると、恒一郎の背中にかける。

「おおきに。晶ちゃん、たまちゃんは?」
「ええ、大丈夫よ。危ないトコやったけど、歩くんが頑張ったからやで」
「ここには、どうやって?」
「橘さんから、歩くんが倒れたて連絡受けて。とにかくこの病院に連れてくるよう、言うたんや。
そしたら、血相かえて飛び込んで来て。…なんて言うたと思う?」
「さあ?」
晶はいたずらっぽく笑って、
「助けて下さい、俺の大事な歩とお腹の子を、絶対に助けて下さい、て。もうボロボロ泣きながら」

「ホンマに?」
もう一度、寝ている恒一郎の顔を見る。この恒一郎が、そんな事を言うなんて。
思わず、歩は握ったままの手を、強く握り返す。
恒一郎の手の温かみが、じんわりと伝わってくる。

「朝までまだ時間あるさかい、歩くんも少し眠っとき」
「うん。晶ちゃん、おおきに」
晶は歩の布団を、軽くかけなおす。

「仲直りしたの? 手なんか握ってもうて」
「うん」
くすぐったそうに、歩は頷く。
「僕、恒一郎さんのコト、少しだけやけど分かったような気ぃのする。激しく言い合いして、初めて
恒一郎さんの本心が聞けたんや」
「そう」

そんな歩をまぶしそうに見て、
「うらやましいわ。そうやって、派手に言い合いできる相手がおって」
「晶ちゃんかて、いつかて僕に怒鳴ってるやないか」
「アホやなぁ」
晶は顔をのぞきこむ。

「そういうイミとちゃうのよ。派手に言い合っても、こうして手を握って仲直りできる相手がおって、
ええなぁて言うてんのよ」
間近にある晶の顔は、なぜか寂しげに見える。

「晶ちゃんには、いてないんか? そういう人」
「ひとりおったけど、ずっと、私の片思い」
「晶ちゃんほどのええ女を惚れさせるやなんて、男冥利やろな」

「…そうやね」
小さく頷いて、そして思い切りよく、晶は立ち上がる。
「けど、歩くん。あなた強なったわ。ちょっと前までの弱虫が、ウソみたい」
「晶ちゃんの言うとおりや」
優柔不断で、気弱で自信のなかった性格が、ひっ込んでいる。ほんの短い期間に、ずいぶん
変わったと、自分でも思う。

「きっと、橘さんとたまちゃんのお陰ね」
「うん」
「橘さんのコト、最低やて、まえ言うたけど、訂正するわ」
「なんて?」
「最高の人や、て」

その言葉に、歩はにっこりと笑う。
「恒一郎さん聞いたら、きっと喜ぶわ」
「ええ。…さ、長居は無用や。歩くんも、少しでも寝とき」
晶は大きく伸びをする。

「ひと晩ゆっくり休んで、明日戻ってええわよ」
「わかった。かんにんな、迷惑かけて」
「ええんよ。歩くんは私の大事な、」
晶は、少し言葉を切って、じっと歩の顔を見る。

そして、フッと笑いかけると、
「大事な、親友やない」
元気に言って、ドアを閉めて出て行った。




  2011.12.21(水)


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