師走にはいると、ぐっと寒さが増してくる。街中にジングルベルの大合唱と、サンタやツリーが
あふれかえる。
そんななか、40週を迎えた歩は、出産予定日の前日に晶の病院に入院する。

「ドキドキするわ」
体温、血圧と問診の結果をカルテに書き込みながら、晶はほほを紅潮させて言う。
「歩くんは、ドキドキせえへん?」

「晶ちゃんがドキドキして、どないすんね」
「えらい落ち着いてるやない。人類史上初の快挙やていうのに」
「そんな、大げさな」
鼻の穴を盛大にふくらませる晶に、歩は小さく笑いかける。

「最初から言うてたとおり、帝王切開で出産するわけやけど、なんや訊いておきたいコトない?」
「明日やったな。時間は?」
「午前10時。せやさかい。今夜9時以降は飲食禁止よ」
今日の午後と明日の朝、もう一度母体と胎児の健康状態をチェックする。OKなら手術着に
着替えて、点滴、注射、浣腸もする。
それから手術室へ入り、腰椎麻酔をかけて、帝王切開手術になると説明を受ける。

「今日のうちに、お風呂入っといた方がええわ。術後3日は入れんさかい。あと、剃毛やけど」
「ああ」
術後を清潔にするため、体毛を剃らなくてはならない。
「私が後でするわ。それでええ?」
「お願いします」
もう全て晶にまかせる覚悟は出来ている。

「手術室では、術野、つまり切開する部分だけに、穴の開いた布をかけて、手術するわ。坂口
先生と、あと麻酔医、看護師と私が入るけど、歩くんの体をさらすコトはせえへんから」
「うん」
自分を守ってくれるための、晶の細かい気遣いが嬉しい。

「橘さんは?」
「夕方来てくれる、て。明日は会社休んで、ついててくれるそうや」
「そう」
なら、晶が気をもむ必要はないだろう。

「けど、生まれたらしばらくは無理でけへんさかい、家政婦さんを頼んだらええわ」
「うん。恒一郎さんもな、そのつもりみたいや」
「それがええわ。ほな、なんや気になるコトがあったら、すぐ呼んでや」
「わかった」
「うん」

「晶ちゃん」
自分の頭をひとつ撫でて、病室から出ていこうとする晶を、歩は呼びとめる。
「なに?」
「いろいろ、ホンマ、おおきに」
歩もお腹の子も、無事に出産を迎えられそうなのは、全て晶の尽力のおかげだ。晶が側にいて、
全力でサポートしてくれたおかげだ。
言い尽くせないほどの感謝の念を、歩はありきたりな言葉でしか表せない。

「ええんよ」
そんな歩に軽くウィンクして、晶は病室を出て行く。

…いよいよ、明日かぁ。
病室にかけてある大きなカレンダーを見る。そういえば、明日はクリスマス・イブだ。
これまで貰った、どんな物よりも素晴らしいプレゼントを、明日は自分の手に抱ける。最高の
クリスマスプレゼントだ。
「早よ、会いたいな」
歩はそう言うと、自分のお腹を軽く叩いた。



明けてクリスマス・イブの日。
朝一番の検診で異常のなかった歩は、午前9時半には病室を出て、手術室の隣にある術前
処置室で全ての事前処置を終えて、手術着に着替える。
「大丈夫や、歩、落ち着いて。とにかく、殿村先生にまかせたらええんや」
「もう何度目や、それ言うの」
ベッドに横になって点滴を受けながら、歩は小さく笑う。
これから手術室に入る歩より、一緒に居る恒一郎の方が、よっぽど落ち着かないようだ。
立ったり座ったり、本当にせわしない。
「恒一郎さんこそ、落ち着いたらどうや」

「失礼します」
そこへ、ドアをノックして晶が入ってくる。
「そろそろ時間よ。準備、ええ?」
「うん。よろしくお願いします」
「殿村先生、よろしくお願いします!」
微笑んで頷いただけの歩と違い、恒一郎はわざわざ立って、深々と頭を下げる。
「はい。ほな、行こか」
「うん。行ってくるし」
「歩。頑張って」
ストレッチャーに乗せられて手術室に運ばれる歩の手を強く握って、恒一郎は見送る。

「手術室の中まで、付いて来かねん勢いやったな」
「ホンマに」
晶と顔を見合わせて、クスクス笑う。
「腰麻(=腰椎麻酔)は下半身にしか効かへんから、わりあい意識はハッキリしてると思うわ」
「ほな、誕生の瞬間は分かるんか?」
「ええ。もうあと30分もしたら、たまちゃんと対面できるで」
「楽しみやな」

手術室に入って、すぐに腰椎麻酔。麻酔が効いたのを確認してから、いよいよ帝王切開手術が
始まる。
「姫里さん。大丈夫、安心してな」
「よろしくお願いします」
執刀する坂口は、にっこり笑って頷く。

手術が始まって約10分後、
「よし。そっと、取り出して」
慎重な坂口の声が聞こえたと同時に、お腹が軽くなり、少しして、
「ンギャー、ンギャー」
産声が聞こえる。ややしゃがれてはいるが、元気な声だ。

「歩くん! おめでとう! 生まれたわ! 元気な男の子よ!」
手術に立ち会った誰もが、おめでとうと言ってくれる。きっと、外で待っている恒一郎も、喜んで
くれるだろう。
「おおきに。ホンマ、おおきに」
望まれて祝福されて、元気に生まれて来てくれたことと、親になれた喜びとで、大きな感動が
押し寄せて来て、歩は笑いながら泣いていた。



年末年始を病院で過ごし、松のとれた頃に退院となる。
その日は風もなく、雲ひとつない快晴で、小春日和の穏やかな日だ。
「ホンマ、ありがとうございました」
歩と恒一郎は、そろって晶に深々と頭を下げる。

「この子を無事に出産できたのも、晶ちゃんのお陰や。ホンマ、おおきに」
久しぶりにジーパンをはいた歩の腕には、すやすやと眠る赤ん坊が抱かれている。
「歩くんが頑張ったからや。それに、橘さんも協力してくれたしな」
晶が言えば、歩と恒一郎、ふたり顔を見合わせて、照れたように笑う。

「それより、名前、なんてつけてん?」
「うん。みんなに望まれて生まれて来てくれたさかい、”望生(のぞむ)”て」

この子が生まれて来るまで、本当にいろんな事があった。
恒一郎に別れを告げられてから発覚した妊娠は、初めは驚きと戸惑いと、そしてその事実を
拒む事しか出来なかった。
それが、初めて胎動を感じ、愛情を持って、生む覚悟も出来た。
小さな赤ん坊の存在が、歩の心を変え、恒一郎の心を変えて、こんなにもふたりの絆を強く
結びつけてくれた。

だが、”望生”と名づけられた赤ん坊は、母親である歩の腕のなかで、何も知らずに眠っている。
「橘望生くんか。ええ名前もろたわね」
赤ん坊に優しくそう言って、
「けど、本当に大変なんは、生まれてからやさかいな。親子3人、力を併せて頑張るんやで」
「はい」
力強く言う晶に、負けないくらい力強く、ふたりは頷く。

「ほな、気ぃつけて」
「お世話になりました」
「おおきに、晶ちゃん」
手を振って、並んで歩いて行くふたりの背中に、やわらかな冬の日差しがあたって、そこだけ
やけに明るく温かく見える。

「幸せに、な」
晶はいつまでも、その背中を見送っていた。


                                            − おわり

  2011.12.24(土)


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