遅れてきた男は、小あがりで靴を脱いで部屋に上がる。
「間に合(お)うたか? もうお開き?」
矢継ぎ早に言って、奥へと大またで入ってくる。

「おまえ、梅上(うめかみ)…?」
あまりの勢いに、その場の誰もが口を開けて男を見守るなか、宮元は確認するように名前を口にする。
「せや、梅上や。俺を忘れたんか?」
ハリのある声、自信に満ちた口調。間違いない、梅上優(うめかみまさる)本人だ。

「久しぶりやな」
「おお、宮元。連絡くれておおきに。遅なってかんにんな」
「かまへんかまへん」
数人と簡単な挨拶を交わしながら、優は藤枝の写真が飾ってある祭壇に近づく。和桜は浮かしかけていた腰を落として、その場に座る。

優もまた、和桜や藤枝と同じ弓道部員だった。そして卒業後、いっさい連絡を取り合わなかった相手でもある。その優が、藤枝の写真を手に取っている。
艶のある黒髪、ガッシリとした肩、バランスのとれた長身と、和桜からは優の背中しか見る事はできないが、記憶の中の姿とほとんど変わっていない。

優は写真を元の場所に戻すと、手を合わせて頭を垂れる。長い時間そうしていたが、やがて顔を上げてこちらに向き直る。
優と、目が合う。
…どんな顔、したらええんや。
一瞬、迷う。

だが、優はすぐに視線を逸らして、別の同級生と話しはじめる。緊張が、ため息とともに体の外に出ていく。
優が自分に声をかけるわけはない。ましてや今夜は藤枝を偲ぶ会だ。目を合わせる事もないだろう。自分と優と藤枝は同級生で同じ弓道部員だった。が、それだけの関係ではなかった。
…やっぱり、帰ろう。
和桜は宮元に断って、会がお開きになる前に店を出る。

外ではまだ弱い雨が降り続いている。和桜はコートの襟を立てると、傘を握りなおして駅へと歩く。大またでゆったりと歩きながら、さっきまでの事をもう一度考える。
藤枝の訃報を受けて、同級生の有志が集まって偲ぶ会が開かれた。高校卒業後は別の大学に進学し、噂も聞かなかった藤枝が結婚し離婚までしていたと聞いた。

自分の知らなかった藤枝の人生にも少なからず驚いたが、もっと驚いたのは偲ぶ会に優が現れた事だ。優は遠方の大学に進学し、その地で就職したとだけ噂で聞いた。だが、その後の消息はいっさい不明で、どこで何をしているとも分からなかった。
見た限りでは元気にしているようだ。元から大人びて頼りがいのある風貌をしていた優だが、年齢を重ねてさらに頼もしい雰囲気になっていた。

そして、自分とは目も合わさなかった。
…仕方ない。
和桜は自嘲気味に笑って、横断歩道を渡ろうとする。

「危ない!」
と、腕を強く掴まれて、力ずくで歩道に戻される。驚いて顔を上げれば、優だ。息を乱した優が、怖い顔をして立っている。
「危ないやないか。信号、赤やで」

「え」
言われて、和桜は傘を上げて前の信号を見る。いつの間にか進行方向の信号は赤に変わっていたようだ。傘をさして考え事をしながら歩いていた和桜はそれに気づかず、もう少しで渡ってしまうところだった。

「気イつけな」
「ああ」
優が自分を引き戻してくれたのは分かる。だが、どうしてここに優がいるのか、理解できない和桜は、掴まれた自分の腕と優の顔とを交互に見る。

「なんや?」
「いや。なんでおまえがここに?」
「なんでとちゃうで」
安全な場所で和桜の腕を話して、優は落ちてきた前髪をかきあげる。
「おまえと話そと思たら、帰ったて言われて。慌てて追いかけて来たら、赤信号で渡ろとしてて。ホンマに」

呆れたと大きなため息をつくが、すぐにニッコリ笑う。
「久しぶりやな、和桜」
明るい笑顔も自分を呼ぶ声も、高校時代のままだ。
「ああ」
目を伏せて、小さく頷く。
「元気やったか?」
「ああ。おまえは?」
「おかげさんで」

そこまで話して、会話が途切れる。優とは、もっといろんな話がしたいのに、何からどう訊いていいのか。予期せぬ再会に思考が停止してしまって、言葉がうまく出てこない。
だが、このまま離れてしまうのも惜しい。
「和桜。このあと時間あるか?」
優もまた同じ気持ちでいるのだろうか。
「もしよかったら、俺の部屋に来(こ)おへんか? 二人で香太郎をを偲んで、飲みなおせへん?」
そう誘う。

断る理由はいくつもあるのに、和桜は優の提案を受けて一緒に部屋に行く。
優の部屋は駅からほど近いマンションの上階にある。
「お邪魔します」
ひと声かけて、玄関で靴を脱ぐ。
「男のひとり暮らしで散らかってるけど、そこは目エつぶってや」
そう言う優のあとを付いてドアをくぐれば、広いリビングがある。置いてある物は少ないが、殺風景ではない。そして優が言うほど散らかってはいない。

「コート、預かろか。適当に座っといてや」
「ああ」
コートを預けて、低めのソファに座る。ひとり暮らしだと言っていたが、確かにこの部屋に優以外の人間の気配はない。その事に何故だかホッとする。

「ビールでええか? 飲むやろ?」
「ああ」
冷蔵庫から缶ビールと、アテになりそうな乾き物を皿に盛って、運んでくる。

「ほな。香太郎に」
「香太郎に」
栓を開け、軽く缶を掲げる。ひと口だけの和桜と違い、優はひと息で半分近く飲む。
「香太郎が死んだの、どうやって知った?」
「宮元からのメールで」
「俺もや」
答えて、優は飲み干してしまう。

「あいつ、結婚して離婚したんやてな。全然知らんかった」
「僕も、今夜初めて知った」
そう言う和桜を、意外そうな顔で見る。
「おまえ、香太郎と会(お)うてへんかったんか?」
「ああ」
ビールをひと口。
「卒業してから、いっさい会(お)うてへん。電話も手紙も、全然」

さよかと小さくつぶやいて、優は冷蔵庫からビールを持ってくる。
「優は? 最後に香太郎に会(お)うたのいつや?」
「俺もおまえと同じ。卒業してから会(お)うてへん」
理由を訊きかけて、やめる。いっさい連絡をとらなかったのは、きっと自分と同じ理由だ。和桜は何故という言葉をビールで飲み込む。

「おまえとも卒業以来やな」
しんみりとした空気を払うように、明るい口調で優は言う。
「20年ぶりか」
「ああ」
「おまえ、変わってへんな。相変わらず、べっぴんさんや」
その言葉に、口の端だけ上げる。

「優かて、相変わらず大きい声や」
なめる程しか飲んでいなビールで酔ったわけではないだろうが、普段に比べて和桜は饒舌になっている。もう会う事もないと思っていた優と思いがけず再会して、こうしてヒザを交えて飲めるのが単純に嬉しい。

優の声や表情に、高校時代に戻ったかのような錯覚を覚える。ビールがワインにかわる頃には、二人ともスーツの上着を脱ぎ、ネクタイも緩めてリラックスした格好になっている。
「和桜は大学出て、向こうで就職したんやろ。いつ帰って来てん?」
「5年くらい前か」
「で、今なにしてんね?」
「普通の会社員や」
「へえ」

頷く優に、和桜も訊いてみる。
「優は? いつコッチに?」
「3年くらいなるか」
「仕事は?」
「ん? 俺もフツーのリーマンや。けど、上司は魔法使いと勘違いしとる」
一瞬、言葉を失う。自分と同じくスーツを着て偲ぶ会に現れた優は、普通に会社勤めをしているような印象を受ける。
「なんや、それ」
冗談とも本気ともつかない言葉に、和桜のほほは緩む。

「やっと笑(わろ)たな」
優しい眼差しで、優は言う。
「やっぱり和桜は笑(わろ)てる方がええ」
そんなに無防備な笑顔をしたのだろうか。恥ずかしくて口元を手で覆う。

「なあ和桜。連絡先、教えてんか。せっかく会えたんや。またこうして飲みたいし、弓かて」
「弓? 優は弓道続けてんのか?」
「ああ。しばらく遠ざかってんけど。コッチに帰ってきて、また始めてん。おまえもどうや?」
言われて、和桜は弓道場の厳かな空気を思い出す。高校時代のように、無心に弓を引く時間を持つのもいいかもしれない。

それに、優とこれっきり会えなくなるのは不本意だ。
「連絡先。携帯の番号、教えとくわ」
脱いだ上着から携帯電話を取り出す。
「あ、俺も」
優もまた、自分の携帯電話を取る。

お互いの携帯電話を覗き込むうちに、しだいに距離が近づいていたようだ。気がつけば、前髪と前髪が触れている。
「あ」
驚いて顔を上げる。すぐ近くに優の顔がある。夢でしか会えなかった顔だ。

「優」
名前を呼び終わる前に、顔が近づいてきて、唇が重ねられる。温かな唇が、触れて離れて、また触れる。
「ん」
強く抱き寄せられる。

ソファに体を押しつけられても、シャツのボタンをはずされ大きな手で性急に体をまさぐられても、抗わない。
和桜の肌の下でアルコールに火が点いて、熱く燃えていく。この熱を優に奪われてもいい。そう思う。
「あ」
目を閉じる。優の手が触れている場所から、甘い痺れが広がっていく。

だが、ふいに優の手はとまり、重い体がのしかかる。目を開けて見れば、優は自分の胸に突っ伏して眠っていた。




  2014.04.26(土)


    
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