「あ」
武道館の建物に入ろうとしたところ、中から出てきた人とすれちがう。丸山だ。思わず立ちどまる和桜に、丸山も驚いたような表情をうかべて立ちどまる。

和桜に対する想いを正直に打ち明けて、丸山とは別れたと、優は言っていた。優と気持ちが通じ合った夜に、そう聞いた。それから半月が経つが、あれほど頻繁にあった丸山からのメールや電話はいっさいなくなった。

その丸山と偶然、会う。とっさにどんな顔をしていいのか、分からない。
「ああ、今日、練習日でしたな」
「ええ」
返す声まできごちない。

数瞬、重苦しい空気が流れるが、
「少し、歩きません?」
丸山から、そう提案される。
「はい」
それを承諾したのは、普通に振舞う丸山の目に、哀しい色が混じっていたからだ。断れない。

弓道の練習に通う武道館の隣にある、整備された公園へと並んで歩く。
「あそこ、座りませんか?」
丸山に導かれるまま、街灯の下にあるベンチに座る。どんな形であれ、丸山とは一度キチンと話をしたいと思っていた。いい機会なのに、あまりにも突然で、どう切り出せばいいのか戸惑う。

「汀さん」
「はい」
呼ばれて返事をする声が固い。そんな和桜に、丸山は小さく笑う。
「そない緊張せんといてください」
「すみません」

頭を下げる和桜を、丸山はじっと見つめる。
「ホンマ、あなたは美しい人ですね。べっぴんさんや。見惚れて、ドキドキします」
言われて、まっすぐに見つめかえす。
「目も鼻も口も、顔の輪郭も。僕とは全然違う」
年齢を重ねてなお一層あでやかな和桜に比べて、丸山は歳相応に愛らしい顔立ちをしている。

「優さんがあなたに惹かれるの、わかる気イがします」
「丸山さん」
自分の心の内を伝えるのは今しかない。和桜は言葉を選びながら、慎重に話す。
「優とのコトでキミにつらい思いをさせてしもて、ホンマに悪かったと思てます。なじられ罵倒され、ドツかれても仕方ないコトをした、と」

「ドツく? 僕が、あなたを?」
語尾を上げて、小さく笑う。
「そんなキレいな顔、ドツけるわけないやないですか。それに僕、いつかは優さんから別れを告げられるて、覚悟してましたさかい」
優と丸山は、和桜の目から見ても仲のいい恋人同士だった。優は丸山の積極性に戸惑いを覚えながらも、歳の離れた可愛い恋人を大事に想っていたはずだ。

その丸山の言葉に、和桜はどうしてと目で問う。
「そら、僕と優さんは恋人同士でしたけど、優さんの心には別の人がおった。僕の片思いやったんです。優さんは僕の気持ちに添うてくれただけですねん」
ここで少し、言葉を切る。
「僕は”香太郎”て人が優さんの心におる人やと、思てました。…僕とその人、似てんのですやろ?」

「はい」
愛らしい顔立ちはもちろん、性格やちょっとした仕草まで似ている。
「僕は”香太郎”て人の代わりなんやと、思てました。けど、違(ちご)てた」
「僕も、そう思てました」
つぶやく和桜を、丸山は瞳だけで見る。

「優さんからあなたへの想いを聞いた夜、夢を見ましてん。誰もいない弓道場で、あなたが的の前に立ってて。僕はあなたに弓を向けて」
実際に上半身だけで弓を引く動作をする。見えない矢が狙う先には、和桜の心臓がある。弓矢は凶器にもなる。殺傷能力が高いので絶対に人のいる方向に弓を向けてはいけないと、弓道を始めて最初に厳しく教わった。

「矢をつがえて」
弓手が、細かく震えている。苦しげに眉を寄せて、やがて手をおろす。
「やっぱり、放てんかった」
呼吸が乱れている。自分の中にある荒々しい気持ちと戦っているのか。顔を伏せ目を閉じて、拳をきつく握る。

やがて長く息を吐いて、丸山は顔を上げる。
「たとえ夢の中でも、あなたを傷つけたら、優さんが悲しむ。あなたに弓を引いた僕やなくて、そうなる原因を作った自分を責めるはすです」
「優は、そういう人間や」
同意した和桜に、苦く笑う。
「ようわかってはりますね」

「すみません。わかったようなコト言うて」
「謝らんといてください」
普通の声で、丸山は言う。
「あなたはなんも悪ない。もちろん優さんも。頭ではちゃんと理解してます。けど、心が」
だんだんと、声が震えてくる。
「僕の心はまだ、受け入れられへん。僕から優さんを奪った、あなたが憎い。優さんの心変わりが、憎いんです」

「丸山さん…」
それが当たり前の反応だ。理不尽だとは思わない。むしろ、心の葛藤を隠して自分に接している丸山の優しさに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
かける言葉が見つからず、和桜は丸山の肩に手を置く。

「同情せんといてください。…余計、みじめになる」
低い声だ。それでも、自分の肩に置かれた和桜の手を、そっとはずしてヒザに返す。
「今はアカン。今はアカンけど、きっと時間が解決してくれる。そうですやろ?」
丸山の言うとおり、時間が経てば思い出へと変わる感情もある。和桜は丸山の問いに、小さく頷く。

その答えに、丸山は長いため息をつく。
「汀さん。僕、同好会の退会届、出してきたんです」
そして、ガラリと口調を変えて、そう言う。
「前々から勤務先の部署換えを打診されとったんですけど、ようやく決心がついて。さ来週から赴任しますねん」

立ち上がり、大きく伸びをする。
「悪い話と違うし、ちょうどええかなと思て」
「そうですか」
和桜も立ち上がる。
「丸山さん。ひとつ、約束してください」

「約束? なんです?」
「弓道を、やめんといてください。僕はキミの弓を引く姿が好きやった」
華奢な体で強い弓を引く姿は、豪快で美しかった。手本とするべき点はたくさんある。その姿が見られなくなるのは惜しい。

「そうですね。そうしますわ」
少し考えて、丸山は頷く。そして、和桜に右手を差し出す。
「いろいろ、ありがとうございました」
「こちらこそ」
和桜もまた右手を差し出して、固く握手する。

「ほな。お元気で」
最後に軽く頭を下げて、丸山は歩いて行く。後ろを振り返らず、前だけを向いて、まっすぐに。
和桜は丸山の背中が見えなくなるまで見送って、後ろを振り返る。と、公園と武道館との境に優の姿がある。

荷物を持って、ゆっくり優の前まで歩く。
「直喜と、一緒やったんか?」
「ああ。丸山さん、転勤で同好会を退会したそうや」
「そうか」
低い声でつぶやく。もしかしたら、優は丸山が転勤する事も同好会を退会する事も、知らなかったのかもしれない。

「行こか」
だが何も言わず、和桜を促して武道館へと歩く。
「丸山さんに、転勤先でも弓道を続けてくださいて、お願いした」
「せやな。あいつの射形は豪快やけど繊細で、見ていて惹かれるモンがあった。それに」
武道館に着く。ちょうど一緒になったほかの同好会員が、二人を見つけて挨拶してくる。優が何と言おうとしたのか、分からない。が、きっと優は”香太郎の射形に似てた”と言いたかったのだろうと、和桜は思う。

更衣室に入って、弓道衣に着替える。何人か会員がいたが、着替えの終わった者から弓道場へと出て、いつの間にか二人きりになっている。
「なあ、和桜」
「ん?」
袴の紐を締めながら、優がやわらかい声で呼ぶ。

「今度、時間つくって香太郎の墓参りに行かへんか」
「せやな」
「もうすぐ初盆や。それに、いろいろ報告せなアカンし」
荷物をしまって、ロッカーの扉を閉める。

思えば優と再会したのは、急逝した藤枝を偲ぶ会でだった。藤枝に遠慮して諦めた優への想いが、20年以上の時を隔ててまだ自分の胸でくすぶっていたのを思い知らされて。気がつけば、また優に恋をしていた。
優と気持ちが通じ合ったのは嬉しいが、藤枝と丸山の事を思えば単純には喜べない。

「和桜?」
黙ってしまった和桜の顔を、優は覗き込む。
「香太郎は、僕らを許してくれるやろか?」
ロッカーに置いた自分の手を見ながらつぶやく。

「和桜が心配すんの、わかる。けどな、香太郎はホッとしたんやないかて、俺は思うねん」
「ホッとした?」
顔を上げて訊きかえす和桜に、優は大きく頷く。
「自分が俺とおまえの間に無理やり割って入ったんやないかて、そのコトでおまえを苦めたんやないかて、香太郎はずっと気に病んどったみたいや。…まあ、今となっては確かめるコトもできひんけど。けどな、」
言って、ニッコリ笑う。
「香太郎ならきっと、祝福してくれる」

「せやな」
和桜は藤枝の無垢な笑顔を思い出す。
「香太郎の好きやった大福、あったやろ?」
「ああ、豆大福」
「あれ持って、墓参りに行こ」

「ええな」
高校を卒業して20年以上が経った。自分と優と藤枝と、きらめくような日々はもう戻らない。だが、藤枝の墓に手を合わせ正直に自分の気持ちを打ち明ければ、藤枝は許してくれるような気がする。
「花と豆大福と、持って行こか」
そして、これからは藤枝や丸山の分まで優の傍にいたいと、和桜はそう思った。


                                おわり




  2014.05.31(土)


    
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