いつか藤枝と再会したら、卒業式の日に傷つけた事を謝ろう。和桜はずっと、そう思い続けてきた。20年以上経った今でも、その気持ちに変わりはない。
だが藤枝とは連絡を取る事もなく、いきなり死亡したという知らせを受け取った。
…もう、香太郎に謝るコトも、自分の正直な気持ちを伝えるコトも、でけへんのや。

皮肉な事に、藤枝の死をキッカケに優と再会を果たした。高校卒業以来会っていなかった優は、明るい性格はそのまま、年齢を重ねてますます頼りがいのある雰囲気になっている。優の傍にいると、胸が熱くなる。もっと傍にいたい。触れてみたい。そう思い始めている。
また、優に恋をしている。

「汀さん、聞いてます?」
「はい。聞いてます」
そろそろ休もうとしていたところで、携帯電話が鳴る。相手は丸山だ。出ないわけにはいかない。
丸山は優の今の恋人だ。自分でそう告げた。以来、時々こうして電話をかけてきては、優との事を相談する。

「これ、どっちが悪いと思います?」
どうやら仕事で忙しい優とゆっくり逢えないのが不満らしい。
「僕かて、優さんの邪魔したらアカンて、分別はありますよ。けど、あんまり放ったらかしもヒドイんと違います?」

「せやな。どっちも悪ないし、どっちも悪い」
「またそんな教科書的な回答して」
むくれたような声を出すが、何の事はない、甘えているだけだ。
「そう? 僕には惚気てるようにしか、聞こえませんけど」
そう。丸山は優との仲を惚気て、けん制している。

「ええ? ちゃいますよお」
「とにかく、優の部屋の合鍵持ってんのでしょう? 逢えへんでも部屋に行って、料理作って、置き手紙でもしといたらええやないですか」
「ああ」
とたんに声を弾ませる。”直喜”という名前と同じく、素直な喜びようだ。そこもまた、丸山は藤枝に似ている。

「ありがとうございました。ほな、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
電話を切って、ため息をつく。和桜の目から見て、丸山は自分の感情を隠さず、押して押して押しまくるタイプだ。歳も離れた愛らしい性格の丸山を、優は可愛いと思っているはずだ。
その反面、押すばかりで引く事を知らない若さに、困惑しているようにも見える。

僕やったら、ベッドに入って和桜は思う、僕やったら優を困らせるまで自分の感情を押しつけるコトはせえへん、と。
…それでも、優の恋人は丸山さんや。
自嘲気味に笑って、枕元の灯りを消した。



いくら仕事で忙しくても、弓道の練習日には必ず顔を見せていた優だったが、今夜は来ていない。最近は残業続きで、ろくに部屋にも帰っていないと、電話で丸山がぼやいていたのを思い出す。
「血圧も高めのくせに、お酒の量だけ増えて」
「それは心配ですね」
そんな会話をつい先日したばかりだ。

本当に忙しいだけならいいが、体調を崩しているのではないか。だんだんと不安になる。自分も優もひとり暮らし。体調を崩しても、世話をしてくれる人はいない。丸山も、ここ何日か出張で市内を離れると言っていた。

弓道場から帰る道すがら、悪い事ばかり思いうかぶ。もし、優が忙しさのあまり体調を崩して、一人で苦しんでいたら。
和桜の中で不安は膨らんでいく。自分の部屋に帰って、とりあえずメールだけでもしてみる。この時間ならほどなく返信が来るはずなのに、携帯電話は静かなままだ。

まだ仕事をしていて、返信できないのならいい。だが、血圧が高めだと言っていた丸山の言葉が気にかかる。
藤枝も血圧が高めで、前日まで普通に働いていたが、翌朝には急死している姿を発見されたと聞いた。

携帯電話を手に持って、優の番号にかける。5回、6回。コールしても出ない。
…出てくれ。早(は)よ出てくれ。
10回、20回。出ない。
もし優が部屋で倒れていたら。意識をなくし、電話にも出られない状態だとしたら。
藤枝のように、突然死していたら。

「くっ」
電話を切る。部屋着を外出できる格好に着替えて、サイフと携帯電話を掴んで玄関へ行く。とにかく優の部屋へ行って、様子を見よう。普段の冷静で慎重な和桜からは想像もつかない行動だが、今はそれしか考えられない。

靴を履く。玄関を出て、エレベータで下までおりる。大通りまで行けば、タクシーがつかまるだろう。一刻も早く、優の部屋へ行きたい、優の顔を見たい。優の無事を確かめたい。
「おっ」
「失礼」
あんまり気が急いて、マンションの出入り口で人とぶつかりそうになる。詫びてそのまま行こうとすると、
「和桜、どこ行くんや?」

「え」
驚いて立ちどまる。そこには、不思議そうな顔をした優が立っている。
「優…」
それからあとは、言葉が出ない。

「急に来て、かんにん。けど、なんやおまえの顔が見たなってな。…それより、おまえ」
と、和桜の足元を見て吹き出す。
「靴、カタカタやん」
「えっ」
言われて初めて気がつく。片方ずつ別の靴を履いている。

「和桜でも、そんなアホみたいなコト、すんのやなあ」
「おまえが悪い」
自分にこれだけ心配をかけて、なのに呑気に笑っている優に、きつい言葉を吐く。
「どないしたんや?」
優も和桜の勢いに驚いて、ひと呼吸おいて訊く。

「もう、知らん」
「なに怒ってん?」
優の無事が確認できてホッとしたのが半分、自分の心配をよそに普通の態度でいる優に対する憤りが半分で、どんな顔をしていいか分からない。何を言っていいかも分からない。

とにかく部屋に戻ろうと、マンションに入る。そのあとに付いて、優も入る。
エレベータを待つ間も、箱の中でも、二人おし黙ったままだ。ただ、わずかに触れる肩先から優の体温が伝わってくる。夜も遅い時間に自分の顔を見たいと、連絡もせずにやって来た優の真意は分からない。が、優の熱は伝わってくる。優の熱を感じて、胸の奥底に秘めた熱情が一気に溢れだす。

もうダメだ。気持ちを、抑えきれない。

「か、」
玄関のドアが閉まると同時に、和桜は優を抱きしめる。
「和桜? どないした?」
「おまえが、死んだかと思たんや。弓道場にも来ん。メールも電話も返事がない」
強く抱きしめる。
「香太郎のように、おまえが一人で倒れて、死んでたら。僕は」
感情が高ぶって、言葉が詰まる。

「心配やったんか?」
優の首元で頷く。
「心配して、カタカタの靴で、俺に会いに行こうと急いでたんか?」
頷く。

「アホやなあ」
そんな和桜の頭に手を乗せて、優はやわらかく言う。
「俺がそない簡単に死ぬか」
「香太郎は、死んだ」
間髪いれずに返す。

「せやな」
和桜の頭に乗せた手をゆっくり動かして、指先で髪を梳く。
「けど、俺は死なん。おまえを残して、死ぬわけない」
髪を梳いていた手が、首に肩におりてきて、背中に。
「やっと…ようやっと、おまえに会えたんや」
力強く、抱きしめられる。

「和桜」
囁かれる声の響きに、体が震える。耳朶に唇が触れ、ほほに触れ、鼻に触れる。
「俺の、桜姫」
前髪が触れて、唇が重なる。何度も何度も、重なる。唇から腕から胸から、優の熱が伝わってくる。自分の熱も伝えたくて、和桜は口を開いてより深く優に口づける。

…優が、欲しい。
唇が離れる。呼吸が荒い。心臓も早く強く鼓動している。目を開ける。優もまた荒い呼吸を繰り返しながら、ほほを上気させている。
想いを込めて、優を見つめる。優の目も熱で潤んでいる。同じ早さで呼吸して、同じ強さで心臓が鼓動して、優も自分と同じ気持ちでいると実感する。

「優。僕は、」
「待て」
和桜の言葉を、優は余裕のない声でさえぎる。
「話なら、あとでなんぼでも聞いたるさかい。今は先に」
大きな手のひらで、ほほを包む。

「先に、おまえを」
額に口づける。
「おまえと」
鼻に口づける。

「おまえが、和桜が、欲しい」
唇に。
和桜は目を閉じて、ゆっくりと頷いた。




  2014.05.18(日)


    
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