ひとり暮らしの優の部屋で誰かが待っているなんて、予想もしていなかった和桜は一瞬、息を詰める。待っていた若い男も、優が誰かを連れて戻ってくるとは思ってもみなかったのだろう。笑顔が固まる。
「ああ、来てたんか」
だが、優だけは平気な顔で靴を脱ぐ。

「仕事早(は)よ終わったさかい。それより、」
優の荷物を受け取りながら、優と和桜の顔を交互に見る。
「ん? ああ。こいつは汀和桜いうて、俺の高校時代の同級生や」
「え? 同級生?」
こんな綺麗な人がと驚いて、男はニッコリ笑う。

「初めまして。僕、丸山直喜(まるやまなおき)いいます」
「汀和桜です」
お互いに名乗って軽く頭を下げる。丸山という若い男は、表情こそはにこやかだが、突然現れた和桜に対してピリピリと緊張した空気を発している。

その事が、優と丸山との関係を雄弁に語っている。
和桜の中でドアを開ける前までの甘い期待はすっかり萎えて、代わりに苦い感情が芽生える。
「和桜。立ってんと、中に入ったらええ」
「いや、ココで失礼するわ」
「そない言わんと」
腕をとられて、なかば強引に部屋に連れこまれる。

リビングに通じるドアを開ければ、いい匂いが漂っている。どうやら丸山は夕飯の用意をして、優の帰りを待っていたようだ。
「ええ匂いやな」
「夕飯まだやろと思て。あるもん勝手に使(つこ)て鍋にしたんや」
「そら、おおきに」
ますます長居するわけにはいかない。

「優。DVD借りたら帰るさかい」
一刻も早く、この場を立ち去りたい。
「まあ、そう言わんと。おまえもメシまだやろ。呼ばれていき」
だが優は当たり前のようにそう提案する。
「直喜。こいつの分の皿とハシ、用意してんか」
「はい」
返事をして、すぐに用意する。

優の言葉に押し切られた形で、テーブルにつく。
「すみません。急に来て、夕飯までごちそうになってしもて」
ご飯をよそって渡してくれる丸山に詫びれば、笑って首を振る。
「ええんですよ。気にせんといてください」
丸山の言葉や表情は和やかだが、相変わらずピリピリと緊張している。

高校の同級生と紹介された自分と優との関係をいぶかしく思っている。そんなところだろう。
「あの、さっきDVD借りるて言うてはりましたけど」
そう訊く丸山に、和桜は説明する。
「はい。弓道のDVD借りようと思て。それで今夜は寄らしてもろたんです」
「汀さんも、弓道しはるんですか?」
聞いたとたんに、少しだけ目が優しくなる。

「せや。俺と同じく、高校で弓道してて、また再開したクチや」
「そうでしたか」
空になったご飯茶碗を渡しながら優の言った言葉に、丸山は頷く。
「直喜も弓道してんね。学生の頃からずっと続けてるさかい、歳は若いけど経験は長い」
「もしかして、丸山さんも同好会の会員ですか?」
訊けば、
「上級者ばかりの会と掛け持ちで、ちょいちょいうちの会にも顔出してん。かなりの腕前やで」
どこか自慢げに優が答える。

なるほど。優と丸山とは弓道の同好会で出会い、自宅のカギを渡して夕飯を作らせるような関係になったのかと、和桜は推測する。
和桜が弓道経験者である事、しばらく空白期間があってまた再開した事が分かって、丸山も親しみを覚えたようで、いつの間にかピリピリした空気は消えている。

それからしばらく弓道談義に花が咲いて、気がつけば夜半過ぎになっている。
「すっかり遅(おそ)なってしもて。そろそろお暇(いとま)します」
「そうですか」
「まだええやないか」
引きとめようとする優に苦く笑って、和桜は立って玄関まで行く。

「ほな、また」
「ああ。またな」
「今度は弓道場でお会いしましょ」
軽く頭を下げて、外に出る。

重厚な扉が閉まったとたん、小さくため息をつく。
…恋人が、おったんや。
胸がざわつく。
もちろん、ハッキリ告げられたわけではない。だが、合鍵を渡して夕飯まで作って、この時間になっても帰らずに泊まる事から、優と丸山は恋人同士であると考えていいだろう。

優に同性の恋人がいた事には、それほど衝撃を受けていない。高校の頃も、優には同性の恋人がいた。男子校という特殊な環境における擬似恋愛ではなく、大人になっても性的嗜好に変化がなかっただけだ。
自分もまた同性に惹かれ同性の恋人もいた和桜には、むしろ納得できる事だ。

胸がざわつく原因は、別にある。
再会した夜にひとり暮らしの部屋で唇を重ねた理由や、弓道の同好会に誘った理由、ふと視線を合わせた時に感じる熱情の理由を、優が自分に特別な感情を抱いているからだと勘違いしていたのが、たまらなく恥ずかしいからだ。

優が自分を誘うのは、同級生として近しい気持ちを持っているから。それに、突然藤枝を失った喪失感を共有する相手が欲しかったから。それだけに違いない。よく分かっている。
分かっているはずなのに、変に期待してしまったのは…。
「ああ」
ため息が出る。

空気までも凍りつきそうな寒い寒い夜。白い息玉を吐きながら駅へと歩く道すがら、和桜は今夜会った丸山の顔を思い出す。
丸山は、自分や優に比べれば拳ひとつ小さいが、決して小柄なわけではない。大きな瞳にくるくる変わる表情と、愛らしい顔立ちをしている。カジュアルな格好をしていたが、さすがに弓道を長く続けているだけあって、立ち居振る舞いの所作は清々しかった。

そこまで考えて、ハッと気づく。
会った瞬間、誰かに似ていると思ったが、他でもない、丸山は藤枝に似ているのだ。
…せや。笑(わろ)た顔が香太郎に似てるんや。
白い和桜の顔が、ますます白くなっていた。



弓に矢、弽などの用具を揃えて、本格的に弓道を再開する。練習は週に1回。市内にある大きな武道館に隣接した弓道場に通う。
通い始めて1ヶ月ほど経った頃、丸山が弓道場に来る。かなりの腕前だと言った優の表現は、あながち大げさなものではなく、年配の者まで歳若い丸山に一目置いているようだ。
「丸山くん。ちょお、見てくれるか」
声をかけて、自分の射形を見てもらっている。

「はい。ええですよ」
丸山も笑顔で応えて、なおかつ気づいた点をアドバイスする。誰に対しても気さくに接する丸山がいるだけで、その場の雰囲気は明るくなる。

誰からも好まれる愛らしい性格も、丸山は藤枝と似ている。顔立ちも声も、弓を射る姿も似ているような気がする。
そして、似ているところを探している自分に気づいて、和桜は複雑な気持ちになる。
「こんばんは、汀さん」
和桜の思惑も知らずに、丸山はにこやかに声をかける。
「こんばんは」
普段と同じ、冷静な顔で挨拶を返す。

「梅上さんも、こんばんは」
「俺はついでかいな」
「最近、サボらんと真面目に来てますね」
「仕事がひと段落ついたさかいな」
隣にいた優にも挨拶をする。部屋では”優さん”と読んでいたが、弓道場では苗字で呼ぶ。区切りをつけているようだが、やわらかな声に特別な感情が含まれているようにも聞こえる。勘繰りすぎだろうか。

「お二人は素引きしてはったんですか?」
素引きとは、矢を持たずに弓だけで引く練習方法だ。弓手と馬手のバランスを確かめ、実際に弓を射る前の準備運動にもなる。
「せや和桜。せっかくやさかい、見てもろたらどうや」
第三者から射形を見てもらうのも、練習方法のひとつだ。
「汀さん、見せてもらえます?」
頷いて、一歩引いた丸山の前で素引きする。

「もういっぺん」
「はい」
さっきまでのにこやかな表情は消え、真剣な目になっている。呼吸を整えてもう一度。
「久しく弓に触れてへんかったにしては、形が崩れてませんね」
褒められたあとで、細かい所を直される。

「クセとまでは言いませんけど、馬手のヒジが下がり気味です」
「こいつ、高校の頃からこうやねん」
横で聞いていた優が同意する。
「なかなか矯正できひんで」
言えば、丸山は実際に自分も素引きをしながら、丁寧に説明してくれる。

しかし、言っている事の半分も和桜の耳には入ってこない。
間近で見る丸山は、伏せたまつ毛の長さといいやわらかな髪質といい、藤枝との共通点が多い。藤枝に似た丸山に、優が惹かれるのも無理はない。
優はこの耳にどんな風に愛を囁き、この唇に口づけるのだろうか。

「汀さん、今のでわかりましたか?」
名前を呼ばれてハッとする。
「はい。ありがとうございました」
ほとんど聞いていなかったが、軽く頭を下げておく。

「ヒジが下がらへんかったら、もっと良うなりますよ」
つけ加えて、隣で素引きしている勝の方を見る。
「梅上さん。練習終わったら、ご飯食べに行きません?」
「せやな」
和桜に話す声と、響きが違う。

「なに食べます? 僕、お腹すいてしもて」
本当に気を許した相手にしか見せない甘えた顔で言う。傍で聞いているのが悪いような気がして、場所を移動しようと背中を向けたとたん、
「和桜」
呼び止められる。

「おまえもメシまだやろ。一緒にどうや」
「遠慮しとくわ」
優が誘いをかけたとたんに、丸山が表情を固くするのが分かる。邪魔されたくないのだろう。和桜も優と丸山の睦まじい様子を見たくはない。

ハッキリ断るが、
「そう言いな。オゴったるさかい」
優は笑いながら強引に約束させた。




  2014.05.03(土)


    
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