昼間の堅苦しいスーツを、シャツにジーパンと楽な格好に着替えて、よく行っていた居酒屋に向かう。
「おお、こっちや」
店に入れば、奥のいつもの席に岩田の大きな体が待っている。

「遅なって、スマン」
「俺も今来たトコや」
とりあえず、最初の1杯はビールをもらう。

「ほな、タケ、隊長就任、おめでとう!」
「トラ、天童消防署復帰、おめでとう!」
ジョッキを盛大にぶつけて、ひと息に飲んでしまう。
仕事場を離れれば、昔のように虎央の”トラ”、猛弘の”タケ”と呼び合う。
あとは、昔話に花が咲く。

「けど、その歳で隊長か。同期のなかじゃ、一番出世が早いんと違うか?」
「さあ。消防本部に行ったヤツもおるしな」
「いや、おまえは消防学校の頃から、真面目だけが取り得のヤツやった」
「おまえは優秀やけど、ひと筋なわではいかんヤツやったなぁ」
「ああ」

虎央も岩田も”特別救助隊”に所属している。
通常の消防吏員が、主に火事の現場(げんじょう)で消火活動を行うのに対して、救助隊、いわゆる
レスキューは人命のかかったありとあらゆる現場へ行って、被害者の救出活動をする。
大阪市消防局では、さらに”特別救助隊”を編成し、高度な資器材を装備して大規模災害に備えて
いる。

そのうち、虎央と岩田が所属するのは”BR(BigUrbanRescue)”と呼ばれる都市型災害に特化した
特別救助隊だ。この春の異動で、岩田は天道消防署第2小隊の隊長に、虎央は副隊長に任命
された。

ビールは最初の一杯だけ。あとはウーロン茶を飲みながら、焼き鳥を食べる。
「どうや、ひさしぶりの大阪は? 5年ぶりか?」
「せや。相変わらず、ここの焼き鳥は天下一品やで」
虎央はこの5年の間、東京消防庁へ出向し消防救助機動部隊に所属して、都市型災害における
救助方法をみっちり学んできた。

いや、出向といえば聞こえはいいが、本当は虎央が所属していた消防署の署長とソリが合わず、
飛ばされたに近い状態だ。
現場では優秀な救助隊員の虎央も、人命救助に熱くなるあまり、公共物を破壊したり上司と衝突
したり。
また、当の虎央も人命第一との自分の信念を曲げることをせず、上司の叱責もどこふく風と反省
しなかったので、”優秀だけど扱いにくいヤツ”との烙印をおされていた。

「トラ、おまえ最初から署長を怒らすような真似して」
「へへっ、ええねん。けど、タケがかばってくれて、助かったわ」
「まったく」
陽気にウーロン茶のグラスを傾ける虎央に、岩田は苦笑する。

「夕方、お礼の電話が入ってたで。朝、ねんざして動けなくなったところを、親切に助けてくれた人が
いてる、て。名前は言わんかったけど、体格からして消防署の人やと思うさかい、お礼を言うといて
ください、やて」
「ふうん」
「おまえ、その人助けてて、約束の時間に遅れたんやろ」
虎央は手の中のウーロン茶をゆらゆら。余計なことはいっさい言わない。

「相変わらずやな」
そんな虎央が嬉しいのか、岩田は虎央の肩をポンポンと叩く。
「ふふ」
虎央も、最初のビールで酔ったわけでもないのに、機嫌よく笑う。

「ん? おまえ、その指環」
ウーロン茶を左手に持ち替えた時、薬指に光る指環を見つけて、岩田はハッとする。
「ああ。これ」
「まだ、してたんか」

ウーロン茶を置いて、左手を台の下に隠す。口の端だけあげて、苦笑いする。
虎央がしているのは、結婚指環だ。だが、相手とはとうに離婚している。虎央が東京へ出向になった
年だから、5年は経つ。
「俺、あっちで太ってしもてな。抜けんようになったんや」
「ウソつけ」
口の中でつぶやく虎央の言い訳を、岩田は柔らかく否定する。

虎央の結婚相手は、岩田の実妹、佐知子だ。だが、2年もたたずに結婚生活が破綻した理由を、
虎央も佐知子も、詳しくは話さない。
岩田もまた、詳しくは訊かない。
「佐知子は去年、再婚したんやし。おまえが気に病むコト、ないんやで」
「そんなんとちゃう」
そのまま顔を伏せて、虎央は黙ってしまう。重苦しい空気が、虎央と岩田の間に流れる。

「お連れさんがお見えです」
その時、バイトの子がひとりの男を案内して来る。
何気なしに振り向いた虎央は、男の姿を認めると慌てて立ち上がる。
「あ、有間(ありま)署長」

「よお」
有間と呼ばれた初老の男は、軽く手をあげてあいさつする。
「すんません、お呼びたてして」
岩田も直立不動で恐縮している。

「かまへんかまへん。それより早よ座れ」
有間を上座に座らせて、ようやく虎央と岩田は座る。
「お久しぶりです。今日は、どうして?」
うって変わって明るい顔で、虎央は訊く。
「岩田に呼ばれたんや。次野が天道消防署に帰ってきますさかい、顔見にきませんか、て」
「そんな。コッチからあしさつしに行かなならんのに」

有間は、もと天道消防署の署長だった男だ。消防学校を卒業してすぐ、最初の勤務先となった
天道消防署で、右も左もわからない虎央と岩田を一人前の消防吏員に育ててくれた恩人でもある。
今は消防局を退職し、時々消防学校の非常勤講師をしている。

「あのやんちゃ坊主が、今じゃ特別救助隊の隊長と副隊長か」
「これも有間署長のおかげです」
「俺はもう署長とちゃうぞ」
「すんません」
その有間に対して、いまだに虎央も岩田も頭があがらない。正座したまま、大きな体を小さくして、
頭をさげる。

だが、気詰まりは感じない。有間は虎央を厳しく指導してくれたが、同時に一番の理解者でもあった
からだ。虎央の人命救助に対する熱意をくんで、いち早く救助隊に推薦してくれたのも、また有間
だった。

「どうやった、東京は?」
「はあ。毎日が勉強で。けど、新しい技術や操法(=操作方法)を習得できて、充実してましたわ」
「そうか。これから習得したコトを生かして、岩田と次野でより高機能な救助隊をつくらなアカンな」
「はい」
有間の言葉に、力強く頷く。
そんな虎央と岩田の頼もしい姿に、有間は目を細めている。

「せや、次野。せっかくやさかい、連絡先交換しとこか」
言って、有間はポケットから携帯電話を取り出す。最新のタッチパネル式だ。
「へぇ。有間署長、こじゃれたケータイ持ってはりますね。使えるんでっか?」
「ああ。字も大きなるし、地図も出る。慣れたらコッチの方が使い易いで」
「ほな、俺のケータイ番号、言いまっせ」
着替える間に充電しておいた携帯電話を出して、虎央は自分の番号を表示する。

「アホか。赤外線でピピッと出来るやろ」
「ええっ!? そんな機能があるんでっか!?」
本気でビックリしている虎央に、岩田と有間は顔を見合わせて笑う。
昔から、最新デジタル機器とは相性の悪かった虎央だが、今でもそれは変わらないらしい。

「トラ、ちょお貸してみ」
苦笑しながら虎央の携帯電話を受け取った岩田は、簡単に有間と赤外線で情報交換してくれる。

「次野も、相変わらずやな」
こちらも苦笑しながら、有間は虎央のデータを確認する。
「ん? 現住所が東京のままやけど、今ドコに住んでんね?」
「はあ、それが困ってますねん」

虎央は岩田隊編成のため、急に大阪に呼び戻されたので、バタバタで東京の宿舎を引き払い、
いまはウィークリーマンションに仮住まいをしている。
ただ、いつまでもそこに居るわけにもいかず、すぐには単身者用の宿舎も空かないので、住む
ところが定まらず困っているのだ。

「そうか…」
有間は少し考えて、
「そういうコトなら、俺が紹介したるわ」
言うなり、席をたって電話をかけに外に出る。

「OKやて」
ほどなく戻って来た有間は、満面の笑みでそう言うと、さっそく虎央の携帯電話に情報を送る。
「住所と電話番号はそれや」
「はあ」
虎央は送られた情報を確認する。そこは、天道消防署からほど近い、閑静な住宅街にあるマンション
のようだ。

「署から近いんは助かりますけど、あんまり家賃の高いトコは、ちょっと…」
「それは心配いらん」
「へ?」
「今から行ったらええわ」
「はあ」

まったく話がみえないが、せっかく有間が骨を折ってくれたのだから、行くだけ行ってみなければ
ならない。
「この弓立(ゆんだて)て人が、大家さんでっか?」

「え、弓立?」
今度は岩田が困惑した顔をする。
「弓立て、もしかして弓立朱鷺(ゆんだてとき)でっか?」
「せや」
有間はひとり大きく頷く。

「タケ、知ってる人か?」
「ああ。弓立は明日から編成される俺の隊の隊員や」
「え、ほな、特別救助隊員なんか?」
「半年前に研修終えて、うちの署に配属されたばっかりや」

「そう。俺の知り合いの息子で、今は広いマンションにひとり住まいや。次野、おまえ弓立と同居せえ」
「えっ」
驚いて有間の顔を見るが、しごく真剣な表情をしている。有間の中では、もう決まった事らしい。

虎央自身、納得いかない部分もあるが、署から近い好立地条件に加えて、同じ隊の、増してや
ペーペーの新人と同居なら、苦手な家事いっさいを押しつけられるかも、と姑息な計算が働く。
「ほな、せっかくの有間署長からのご紹介ですさかい、行くだけ行ってみますわ」
ニンマリ笑って、そう答えた。





  2012.01.04(水)


    
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