ビールを2杯しか飲んでいないにもかかわらず、少し酔ったみたいだ。
それは、自分が救助隊を志願した理由と朱鷺の理由とが同じことを、有間の話で知ったのが原因
かもしれない。
同じ特別救助隊員であること以外、まったく接点がないと思っていた朱鷺と、予想もつかないところで
繋がっていたなんて。

マンションに戻った虎央は、朱鷺の部屋の前に立つ。
「弓立、開けてくれ」
そして、初めてドアをノックする。
「いてるんやろ。話があるんや」

「なんです」
ドアを開けた朱鷺は、明らかに不機嫌な顔をしている。
「話があるんや。ちょお出てきてんか」
「嫌です。僕に干渉せんといてください」
「ええから」
そのまま部屋に引っ込もうとした朱鷺の腕をつかみ、強引にリビングまで連れてくる。

「座れ」
ソファに座らせ、買ってきた缶ビールを目の前に置く。
「なんです。強引な」
虎央とビールとを交互に睨みつけて、朱鷺は腕を組む。
「さっき、有間署長と会(お)うてきた」
朱鷺の向かいに、虎央は座る。
「10年前の12月24日、阪神高速1号環状線であった事故。あの時、俺も出場してたんや」
「え」

そっぽを向いていた朱鷺は、一瞬、驚いた表情を見せる。
「そう。…現場で、俺はおまえの両親を助けられんかった。ホンマ、すまんかった」
虎央は机に手をついて、深々と頭をさげる。
「もっと俺に救助スキルがあったら…。あんな悔しい思いしたくないさかい、俺はレスキューに志願
したんや」

「謝ってもろたかて、両親がかえってくるわけと違う」
低い朱鷺の声に、虎央は顔をあげる。
「話て、これでっか? もう放っといてください」
「いや。有間署長に言われた。俺もおまえも、同じ事故が原因で、命を助けたくて、レスキューに
志願した。縁があるんや、根っこは同じなんや」
「そんなコト」
また、朱鷺はそっぽを向く。

「ほら。そうやって、すぐ俺を否定する。おまえ、ホンマ生意気やな」
「生意気やて」
「そう。どう考えても、素直やない。なまじ優秀やさかい、性質(たち)悪いわ」
「ほな、言わせてもらいますけど」
組んだ腕をほどいて、朱鷺は身を乗り出す。

「副隊長のやり方には、納得できません。東京式かなんか知りませんけど、都市型災害は予想を
こえるスピードで進化してんのでっせ。1分1秒が惜しい。もっと効率優先で考えたらどうです」
言って、ビールの栓を開けて、グッと飲む。
「ほな、おまえの考えを聞かしてもらおやないか」
虎央は自分も缶ビールを開けて、グッと飲む。

それから、どのくらい飲んで、どのくらい意見を戦わせていたのか。
気がつけばビールの空き缶がいくつも並んで、虎央は床にじかに座っている。
朱鷺も床に座って、ソファにつっぷしている。
「おい、おい」
足で小突いても返事がない。どうやら、本格的に寝ているようだ。

「しゃあないな」
小さくため息をついて、四つん這いで近づく。
「そんなトコ寝てると、カゼひくで」
「ん…」
生返事しか返ってこない。

仕方なく、虎央は朱鷺の腕をとって、肩を中にいれる。
「よっ、と」
かけ声をかけて立ちあがる。間近に、朱鷺の寝顔がある。
いつものきつい目も、閉じていれば意外に幼く感じる。
…こいつ、まだ子供なんやな。

苦笑して、歩き出そうとしたところで、空き缶につまずいてバランスをくずす。
「おわっ!」
そのまま、派手にころんでしまう。どうやら虎央も相当酔っているようだ。

「イ、テテ…」
「な、なんや」
とっさに朱鷺をかばったものの、衝撃で目をさましたようだ。
ふたりは朱鷺が下になる形で、床に倒れている。

「ああ、かんにん。大丈夫か?」
「なんやもう…早よ、どいてください」
さっき見せた幼い顔は引っ込んで、もういつもの顔に戻っている。
きっと朱鷺は、こうして他人に弱みを見せないよう、気をはって生きてきたんだろう。

「な、」
そう思った瞬間、無意識に朱鷺を抱きしめている。
「なんや」
「ええから。黙って」
弱くもがく朱鷺の体を、さらに強く抱きしめる。

強く抱きしめられて、朱鷺はあきらめて力を抜く。
「…」
「…」
お互いの、呼吸音しか聞こえない。お互いの体の温かみが、シャツを通して伝わってくる。
「おまえ、温ったかいな」
「…」
「こうしてると、安心する。…おまえは、どうや?」
「…わかりません」

腕をついて顔を見れば、横を向いている。酔っているのか、それとも別の理由があるのか、朱鷺の
顔はほんのり赤らんでいる。
「そうか」
虎央は、朱鷺の頭を軽く撫でて、体を起こす。

「重かったな。かんにん」
朱鷺に手を貸して、立ち上がらせる。
「あと片しとくさかい、早よ寝ぇ」
背中を向けたままそう言えば、朱鷺はしばらく佇んで、それから自分の部屋に入っていく。

…弓立を抱きしめるやなんて、なんで。
並んだ空き缶をキッチンに捨てて、手を洗おうとする。その手には、ほんのさっき抱きしめた朱鷺の
体温が、まだ残っている。
思えば、もうどのくらい人肌の温かさを感じていないだろう。

…結局、寂しいだけなんやろな。
虎央は口元を歪めて笑うと、わずかに残った朱鷺の体温を洗い流そうと、冷たい水で何度も手を
洗った。



それ以降、朱鷺は少しだけ変わる。以前のように、何でもかんでも突っかかってはこない。虎央の
言う事を聞いて、自分でいいと思えば取り入れるし、納得できなければトコトン訊いてくる。
だから訓練の時も現場で救助活動をする時も、少しずつではあるがバディとして息が合ってくる。

「隊長。今月の活動報告まとめました。メールに添付しましたさかい、確認願います」
「おう」
特別救助隊の仕事は、現場に出て実際に救助活動をする事のほかに、資器材を使っての訓練や
体を鍛える事、それと意外に事務仕事も多い。
事務仕事の効率化をはかるため、極力パソコンを使うよう命令された虎央だったが、秋風がたつ
この時期になって、ようやく操作に慣れてきたようだ。

「早かったな。助かるわ」
岩田は送られてきた活動報告書に目を通すと、印刷して立ち上がる。
「ほな、部長に報告に行こか」
「はい」

並んで廊下を歩きながら、岩田はもう一度、書類に目を通す。
「おまえ、パソコンだいぶ慣れたな」
「はい。そらもう、弓立から嫌っちゅうほど叩きこまれましたわ」
「ハハ」
最近、そうやって朱鷺が虎央と話す姿を多くみかける。

「弓立も、少し変わったな」
「そうでっか? 相変わらず生意気でっせ、あの25歳児は」
「25歳児、て。…おまえの言う事、少しは聞くようになったんやろ」
「少しは」
「現場でも息が合(お)うてきた。ええこっちゃ」
「う…ん」

岩田の言うとおり、朱鷺とは以前よりずっと話しやすい雰囲気になっている。
マンションでも、ふたり別々だと効率が悪いので、家事は交代でするようになったし、食事も一緒に
摂る事が多くなった。
すぐに自分の部屋に引っ込んでいたのが、リビングで新聞を読んだり、時には資格試験の勉強を
して、資格所有者の虎央に質問したりもする。

ただ、時おり、ふたりで居ても沈黙する瞬間がある。会った当初のような、気詰まりな沈黙ではなく、
いつまでもその場に留まりたいような、そんな沈黙だ。
そして、決まってそんな時、朱鷺は虎央を見つめている。
一度だけ抱きしめた、朱鷺の体の温もりを思い出させるような、温かい眼差しで。

…あの目は、一体。

トゥー、トゥー、トゥー。
その時、出し抜けに信号音が鳴り響き、火災入電中との放送が入る。虎央と岩田が急いで隊に
戻り、いつでも出場できるよう身支度を整えた直後に、正式な出動命令が出る。
「第2小隊、出場!」
火災現場への出場なので、救助隊員も防火服をまとって救助車に飛び乗る。

無線による情報では、木造アパートの2階が燃えており、逃げ遅れた人がいるかもしれない、との
こと。
夕闇せまる時間帯に、救助車のサイレンを鳴らして現着すると、すでに第一出場の消火隊による
放水が始まっている。

「居場所が確認できてない人がいますか?」
現場の指揮官に聞けば、火元となった2階の部屋の住人が確認できていないらしい。
「俺、城田、鈴木は表から進入! 次野、堤、弓立は建物背面から3連はしごで進入準備!」
「よし!」
返事をして、岩田から指示された場所に散る。

どうやら火元はアパートの台所らしく、表は盛大に火の手が上がっているが、建物背面はそうでも
ない。
「3連はしご、用意!」
表からの進入は困難と判断して、虎央は伸梯を指示する。火元の窓に届いたのを確認して、手斧を
持って登っていく。

「天道消防署です! 誰かいてますか!」
返事はない。虎央は少し開いた窓から中を確認する。台所のコンロ付近が、一番火勢が強い。
二番手に登ってきた朱鷺に頷いて、まず虎央から部屋に入る。
部屋の中は煙がもうもうと立ちこめ、ほとんど先が見えない。虎央は続いて入って来た朱鷺とともに、
身をかがめて検索する。

「いたか!」
「いません!」
要救助者が見つからない。しかし、これ以上この部屋にいるのは危険だ。留まるか引くか。難しい
判断を迫られる。

その時、岩田から無線が入る。
「部屋の住人の無事が確認出来た。すぐ退出しろ!」
「よし!」
返事をして、朱鷺と顔を見合わせる。朱鷺も住人の無事がわかって、ホッとしたようだ。

そして、部屋から出ようと、朱鷺がはしごに手をかけた瞬間、
「あっ!」
「弓立っ!」
バリバリバリッ。朱鷺の上に、天井が焼け落ちてくる。
虎央は考えるよりも早く体が動いて、朱鷺をかばって自分がガレキの下敷きになる。

「副隊長! 副隊長!」
…あー、やってもうた。
自分を呼ぶ朱鷺の声を遠くで聞きながら、虎央はそのまま気を失ってしまった。




  2012.01.14(土)


    
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