半覚醒のぼんやりした頭で、周りを見る。
白い壁、白い天井、独特の匂い。どうやら、ここは病院の一室で、虎央はベッドに寝ているようだ。
ズボンは穿いているが上半身は裸で、おまけに右肩には包帯が巻かれている。
確か、火災現場に行って、要救助者の検索をして。
どうして病院のベッドに寝ているのか、順をおって考えるが、うまく思い出せない。

「くっ、イテテ…」
起き上がろうとしても、右肩が痛くて体が支えられない。
「ったく」
吐き捨てるように言って、力を抜いてベッドに身を預ける。どうやら負傷したのは右肩だけで、それ
以外は大丈夫なようだ。虎央は冷静に、自分の状況を確認する。

「あ、目ぇ覚めましたか?」
そこに、声をかけて、朱鷺が部屋に入って来る。
「大丈夫でっか?」

「ああ。ッテ…」
心配そうな顔をしている朱鷺を安心させるため、大きく頷こうとしたが、右肩の痛みに顔をしかめる。
「無理せんといてください」
「せやな。…俺、どうして病院に?」
虎央が訊くのに、朱鷺は自分をかばって虎央が負傷した事、ここは搬送先の病院で、虎央のケガは
右肩の打撲だけで、明日には帰れる事を告げる。

「そうか。カッコ悪ぅ」
「なに言うてるんでっか」
いつもの、きつい口調でそう言った後、少しだけ表情を和ませて、
「けどホンマ、ありがとうございました。おかげで助かりました」
深々と頭を下げる。

「なんや、気色悪い」
あんまり朱鷺の態度が愁傷なので、つい、そう言ってしまう。
「気色悪いてコト、ないでしょうが」
「せやな」
顔をあげて言う朱鷺に、口元を歪めて笑う。

そんな虎央に短く息を吐いて、朱鷺は枕元の椅子に座る。
「…けど、良かったです」
「ん?」
「ケガ、たいしたコトなくて。ホンマ」
言葉が詰まる。朱鷺は顔を伏せて、額の前で両手の指を組む。
ふたりの間に、沈黙がおとずれる。

きっと、自分にケガを負わせてしまった事を、思い悩んで後悔しているのだろう。
そんな朱鷺の気持ちがありがたくて、嬉しくて、虎央は左手を伸ばして、朱鷺のほほに触れる。

虎央の手がほほにふれた瞬間、朱鷺は反射的に顔をあげる。その目は、心なしか潤んで見える。
「弓立」
…泣いて、いるんか。
ギュッと、胸が傷む。
「朱鷺」

名前を呼ぶ。
朱鷺はゆっくり立ちあがると、半歩進んで、枕元に手をつく。
真剣な朱鷺の顔が、近づいてくる。虎央は何も言わず、目を閉じる。
一瞬だけ、朱鷺の温かみが唇に触れて、すぐに離れる。

今のは、キスだ。朱鷺が自分にキスをした。
だが、驚きも嫌悪感もない。
目を開ければ、耳まで赤くなった朱鷺の顔が間近にある。
「僕。…すんません」
消えいるような小さな声で、やっとそれだけ言う。

「なんで謝るんや」
虎央は、自由に動く左手で朱鷺の頭を抱き寄せる。
「謝らんでもええ」
「せやけど、」
「おまえ、俺に惚れてんのか?」

訊けば、一瞬体を固くして、そして小さく頷く。
「そうかぁ」
あまりに様子がしおらしいので、虎央は何度も朱鷺の短く刈り込まれた頭を撫でる。
そんな虎央の手に安心したのか、朱鷺はされるがままになっている。

「こないだ、初めて副隊長と飲んだ夜。人の体の温かみで安心する、て言うてましたね」
「ああ」
小さいが落ち着いた声で、朱鷺は続ける。
「僕はそんなコト、知らなくて。…初めてやったんです、あんな風に抱きしめられたんは」
「…」
「もっと、抱きしめて欲しいて、思て」
虎央の胸で、朱鷺は短く息を吐いて、
「男相手に、副隊長相手に、こんな気持ち。副隊長は、指環もしてんのに。…僕、変態になってしも
たんやろか? 」

「そんなコト、ない」
朱鷺からキスをされたとわかっても、自分に惚れているとわかってでさえ、不快な気持ちは微塵も
わかない。
むしろその反対の、温かい気持ちでいっぱいになる。

自分でも不思議だが、気持ちにウソはつけない。
「おまえの気持ち、嬉しいで。ウソとちゃう」
「ほな、もっと好きになっても、ええんでっか?」

虎央は答えるかわりに、力いっぱい朱鷺を抱きしめる。
腕の中で、朱鷺はようやく聞こえるような小さな声で、
「おおきに」
何度もつぶやいていた。



翌日、朝一番で検査を受けた後、退院する。医者から診断書をもらって、その足で天道消防署に
向かう。まずは、今回の事故の報告書を作らねばならない。それに、医者からは3日間の静養を
言い渡されたので、その間の勤務シフトも隊長である岩田に相談しなければならない。

消防署に着いたのは午前9時前。ちょうど、昨日勤務した自分の隊と、今日勤務する他の隊との
引き継ぎが終わったところだ。
事務所に行けば、朱鷺を含めた他の隊員はもう帰ったようだが、岩田はまだ残っている。
「隊長、ただいま戻りました」
「おお」
声をかければ、パソコンから顔を上げてにっこり笑う。

「もうええんか?」
「はい。ご心配おかけして、申し訳ありませんでした」
「たいしたケガやなくて、ホンマ良かった」
「悪運だけは強いようですわ」
「ハハ、せやな」

ケガが軽度である報告は受けていたが、岩田も虎央の元気な姿を見て安心したのだろう。嬉し
そうに笑う。
「診断書が出てますが、3日は安静にせえと」
「そうか。ほな、その間の勤務シフトと訓練計画、打ち合わせしとこか」
岩田は立ち上がり、虎央を促がして隣の部屋へ移動する。

「すまんな。忙しい時に」
「ホンマやで」
あらかた決めた後、虎央はもう一度、頭を下げる。
「けど、たいしたコトなくて、良かった。弓立も心配してたで」
「ああ」
岩田から朱鷺の名前を聞くと、ドキリとする。

だが、動揺を気取らせないよう、口元に手をもってくる。
「ケガしたおまえを、弓立が降ろしたんや。目の前でおまえがケガしたの見て、だいぶショック
受けてたみたいで」
「うん。ゆうべ、病室まで来とったわ」
「もう顔真っ青でな。そない心配やったら、顔見て来(き)いて、行かせたんや」
「そうやったんか」

「弓立のあんな顔、初めて見たわ」
岩田の言葉に、ゆうべの朱鷺の顔を思い出す。
穏やかな顔、泣きそうな顔、耳まで真っ赤になった恥ずかしそうな顔。そのどれもが、自信たっぷりの
冷静な顔とかけ離れた、初めて見せる顔だった。

「せやな」
そうつぶやいたっきり、遠い目をした虎央に、
「トラ。弓立になんぞ言われたんか?」
岩田は訊く。
再び、ドキリとする。

「いや。ケガさしてすんませんでした、て言うてたくらいで」
まさか、好きと言われたなんて、本当の事は言えない。虎央はしきりに顎を指で掻く。
「なんで?」

「いや。ならええねん」
なんでそんな事を訊くのか、逆に訊いてみるが、岩田はチラリと虎央の顔を見て、あとは何も
言わない。

「ほな。勤務明けのトコ、引き留めてかんにんな」
切り口上で結んで、勢い良く立ち上がる。
「イテテッ」
とたんに、ケガをした右肩が傷む。虎央は右肩をおさえて、顔をしかめる。

「大丈夫か?」
心配して、岩田も立ち上がって虎央の顔を覗きこむ。
「大丈夫や」
強めの口調で言って、顔を伏せる。

「…気ぃつけや」
「ああ、かんにん」
短く吐息をついた岩田の顔を見ずに、虎央は大股に部屋から出て行った。




  2012.01.18(水)


    
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