次の日の朝。
時間通り天道消防署に着き、新編成の特別救助隊の任命式を終えて、すぐにミーティングを始める。
ここで他の隊員と初顔合わせとなる。
第2小隊は、隊長の岩田、副隊長の虎央、機関員の城田、救急救命士も兼ねる堤、それに鈴木、
朱鷺の6人編成になっている。

初めてのミーティングでは、経歴を含めた簡単な自己紹介をするが、ほとんどの隊員が消防吏員
として10年近い経験を持っており、まだ3年しか経っていない朱鷺がずばぬけて若いのが分かる。

しばらくは、出場経験の浅い朱鷺にシフトした訓練を実施せねばならない。
…あいつ、吐くほど鍛えて、生意気な鼻をへし折ったる。
意地悪く、含み笑いで訓練計画をまとめていると、
「次野」
机の向こうから岩田が声をかける。

「はい」
「訓練計画が出来たら、打ち合わせしよか」
手書きの計画表を持って、隣の小部屋に入る。

「これですけど」
「うん?」
岩田はひと目見て、虎央の考えがわかったらしい。
「ずいぶん弓立にシフトした計画やな」

「この面子では弓立が飛びぬけて若く、経験も浅いんで」
「まあ、心配するほど、弓立は使えんヤツと違うで」
「へぇ」
岩田は、名前にたがわず実直で真面目な男だ。その岩田が冗談でそう評するわけはない。
虎央は意外そうな顔をする。

「いや、ホンマて。けど…」
「けど、なんです?」
次の言葉を促がすが、虎央にはなんとなく岩田の言いたい事がわかる。

「トラ、おまえ、ゆうべ弓立と会(お)うたんやろ。どうやった?」
「どうも、こうも」
くだけた岩田の言葉に、虎央は机に頬づえをついて、大きなため息。
「玄関入って2歩で、衝突したわ」

「ハハ。せやろな」
笑う岩田に、虎央はゆうべの事を話して聞かせる。
「…弓立の言いそうなこっちゃ」
「もう俺、腹がたって。けど、俺の方が年上やし、有間署長の顔をたててガマンしたんや」
「そうか」

岩田は頷いて、優しい目で虎央を見つめる。
「弓立て、どんなヤツや?」
慌てて目をそらして、訊く。
「まだ救助隊員として経験は浅いけど、よう努力してる。若いだけあって体力もあるしな。特に、
新しい機器の操作は誰よりも早く覚えて、使いこなしてる」
「うん」
「けど、クールっちゅうか。他の隊員と一線を画してるトコ、あるな。飲みに誘っても来(け)えへんし」
「生意気なガキや」

「せやな」
虎央の言葉に、岩田は軽く笑う。
「けど、思い出してみい。俺らもさんざんそう言われて、一人前になったやないか。今度は俺らが
弓立を一人前にする番や」
「う…ん」
あいまいに頷く虎央に、
「有間署長への恩返しやと思って。な」
有間の名前を出されたら弱い。虎央はしぶしぶ頷く。

「ほな、そういうコトで。それと、今後はパソコンで計画表は作るように。時間のムダや」
「えっ」
岩田はそう言うと、虎央に反論の隙も与えず、立って部屋を出て行く。
「かなぁんで」
残った虎央は、ガックリ、椅子に座り込んだ。



東京の宿舎から引き上げてきた荷物を朱鷺のマンションに運び込んで、同居生活は始まる。
荷物といっても、ほんの身の回り品だけ。あとは実家に送ったので、たいした量はない。
「ただいま」
カギはもらったので、自分で玄関を開けて入る。すぐ右が虎央、左が朱鷺の部屋だ。
10畳ほどのフローリングの部屋にはベランダがついていて、見晴らしは最高にいい。部屋の中
にはベットのかわりにマットがひとつ。それに机と椅子、クローゼットがあるだけの、シンプルな
部屋だ。
だが、どうせ寝に帰ってくるだけの部屋なので、これで充分といえる。

虎央は荷物を部屋に置くと、リビングへ行く。
「おっ」
リビングには朱鷺がいる。ちょうど夕飯を食べ始めたところのようだ。
「帰ってたんか。今日はなに食ってんのや?」
刺激的な匂いに鼻をひくつかせて、虎央は訊く。

「豚キムチです」
答えて、朱鷺はひとりで食べる。
同居の条件に、家賃は単身者用宿舎なみでいいと言われたが、家事はそれぞれでする事、それに
お互いの生活には干渉しない事を約束させられた。
もちろん、食事の用意も例外ではない。朱鷺は自分の分だけ用意して、ひとりで食べる。

「ほな、俺は鍋でも」
冷蔵庫を開けて、キッチリ線引きされた自分の領分から野菜や肉を取り出して、水をいれた鍋に
放り込む。
そして、カセット式コンロを出して鍋を乗せる。

朱鷺はチラリと様子を見るが、何も言わない。
オール電化のこのマンションではコンロもIHクッキングヒーターで、虎央には使いこなせない。だから、
食事はだいたいこの方法で鍋物にしている。
同居し始めた頃は、何か文句を言いたそうだったが、1ヶ月も経った今では何も言わない。

だいたい、朱鷺とは同居していてもほとんど一緒にいる事はない。
同じ隊に所属して同じシフトで勤務しているのだから、マンションにいる時間も重なっているのだが、
話す事はおろか、姿を見る事すらない場合が多い。
わずかに気配を感じるくらいだ。

虎央の方から何かにと話しかける事はあっても、気のない相槌をうつのが関の山。明らかに迷惑
そうな顔をして、すぐに自分の部屋に引っ込んでしまう。

消防署で訓練をする時もそうだ。出場がない時間を使って、資器材の使い方を覚えたり体を
鍛えたり、とにかく四六時中、緊張の連続だが、そんな時も仕事として必要最小限の会話はするが、
けっしてムダ口は叩かない。

岩田が言っていた通り、朱鷺は最新の救助資器材を使って要救助者を探す訓練では、先輩隊員
より的確に器材を操れる。
東京でさんざんこの器材を使って訓練していた虎央が、舌を巻くほどだ。
それにロープを使った渡過法や降下法も、他のベテラン隊員と比べても遜色がない。
経験が浅く技術が劣っているのを自分でよく理解していて、工夫して要領よく習得しようとしている
のが、虎央には分かる。

朱鷺の、そんな努力する姿には、好感が持てるし評価もしている。だが…。

今日の訓練は、はしごとロープを使った高所救助訓練だ。ビル火災が発生し2階に取り残された
要救助者を、隊員進入時に架悌したはしごを利用して、ロープに縛着して降下させる手順となって
いる。

まずは、要救助者のいる階にはしごを架け、はじめに虎央が、次に朱鷺が進入する。
「要救助者発見! 応急はしご救助により救出!」
「よし!」
救助隊員の返事は、”はい”ではなく、現場で聞き取りやすいよう”よし”だ。
虎央の指揮で、要救助者代わりの砂袋をロープに縛着する。確保ロープの一端を下に落とし、
待機していた隊員が結索部を持って、はしごを登る。

「降下開始!」
砂袋をはしごから少し吊り下げて、結索部分や支点などに異常がないか確認したのち、降ろし
始める。
だが、上で支える虎央と朱鷺のタイミングが合わない。
「弓立、早い! もっとゆっくり!」
「いえ、このペースで!」

揉めてるうちに、バランスを失った砂袋はクルクル回転し始め、ドスン! ついには落下してしまう。
「次野! 弓立! なにしてるんや! 降りて来(き)い!」
下で見ていた岩田からの怒号がとぶ。
すぐさま降りて、ふたり並んで岩田の前に立つ。

「なにしてるんや。これがホンマの人間やったら、大事故やぞ」
「すんません」
岩田の言う通りだ。虎央は素直に頭を下げる。

「弓立も。次野のタイミングに合わせろ」
「お言葉ですが、」
だが、朱鷺は顔をあげたまま反論する。
「いまの状況で副隊長のペースやったら、緊急時に間に合わんのと違いますか?」

「なんやて」
「現場では1分1秒でも早よ、効率よく救助せなアカンのと違いますか? 1人に時間かけすぎや」
「なに言うてんね!」
さすがに、虎央も黙っていない。
「吊り下げられた要救助者の身になってみ! なんも支えのない空中にロープ1本で浮いてんのや! なんぼ俺らが付いてる言うたかて、不安やないか!」

「せやから、なるべく早よ降ろしたらなアカンやないですか!」
「怖がらせたらアカン!」
「ええかげんにしとけ」
そこで岩田がストップをかける。そうでなければ、お互いつかみかかりかねない勢いだ。

「救助は短時間で、それは間違ってない。けど俺らは特別救助隊や。短時間で、かつ苦痛を
与えずに。それを忘れたらアカン」
「…はい」
岩田の言うことが、一番正しい。ふたりはそろって頭を下げる。

「ったく。…よし、おまえら今日からバディ組め」
「えっ!?」
「副隊長と!?」
驚いた顔を見せるふたりに、
「自分の足らんトコ、分かってるやろ。これは隊長命令や」

隊長命令と言われてしまえば、従わざるをえない。虎央は横目で朱鷺の生意気な顔を見て、
ガックリ肩を落とした。




  2012.01.07(土)


    
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