虎央が考えるよりも早く、隊長である岩田が指示を出す。
「次野、弓立は引き続き救助活動! 俺、城田は再度固定にかかる!」
だが、この状態で固定できるのを待っていたら、間に合わないかもしれない。
「副隊長」
ペダルカッターを操作していた虎央は、呼ばれて朱鷺の顔を見る。
「僕が、車両内に入って”重し”になります。その間に、要救助者を車外に」

「アカン」
確かに、その方法なら救助する時間はかせげそうだ。しかし、下手したら朱鷺が車両もろとも落下
してしまうかもしれない。
「そんな危ないコト、アカン!」
上司としてバディとして、そんな危険な方法をとらせるわけにはいかない。

「虎央さん」
だが、名前を呼ばれて、ハッとする。朱鷺は、大丈夫、僕を信じてと、目で訴えかけている。

一瞬、先日の事を思い出す。朱鷺に、自分に対する想いを信じられないと告げた、あの日の事を。
そして、そう告げた後の、朱鷺の哀しい顔も。
朱鷺にあんな顔を、哀しい思いをさせた事を、虎央は後悔していた。あの日以来、気がつけば朱鷺の
事ばかり考えている。
虎央の中で、朱鷺の存在がいつの間にかこんなにも大きくなっている。

「虎央さん」
二度呼ばれる。朱鷺の目は、真剣そのものだ。
「よし、やれ」
…朱鷺を信じる。虎央の心は決まる。朱鷺の目を見て、虎央は小さく頷く。
朱鷺も小さく頷くと、素早く助手席側の後部座席へと乗り込む。

朱鷺のとった行動に、周りで作業していた隊員はどよめく。
「弓立!」
「俺が許可したんや! 俺が責任とる!」
岩田が何か言うのを制して、虎央は声を張り上げる。とにかく一刻も早く作業を終えて、要救助者も
朱鷺も、安全に車外に出さねばならない。そのためには、話している時間も惜しい。

「ペダル、切断完了! 今から要救助者を車外に救出します!」
虎央は車体に振動をかけないよう、細心の注意をはらいながら、運転席側の男性を車外に救出
する。
「大丈夫ですか?」
救急救命士の堤が声をかけるが、男性は返事をしない。待機していた救急車のストレッチャーに
乗せて、意識のレベルを確認したりバイタルをとる。

「弓立、ええぞ。ゆっくり出て来(き)い」
車内から男性は救出されたが、いまだ朱鷺は車内に残ったままだ。
男性が車外に出だことで、さらに車体のバランスがくずれている。固定する作業も完了していない
ようだ。

「せやけど。僕まで出たら、車が川に落ちてまいます」
「ええから」
とにかく、一刻も早く朱鷺にも車外に出てほしい。虎央は後部座席に座る朱鷺に手を伸ばす。
「早よ」

「男性の意識が回復しました!」
後ろから堤の声が聞こえる。最悪の状況はまぬがれたようだ。現場にホッとした空気が流れる。
「な。もうええ。よう頑張った」
「はい」
虎央に頑張ったと言われ、朱鷺は照れたようにうつむく。そして、車外に出ようと腰を浮かしかけて、
「あ、せや」
もう一度、腰をおろす。

そのとたん、車はズルズルと川に向かって動き出す。
「うわっ!」
このままでは、車ごと朱鷺が落ちてしまう。

「朱鷺っ!」
虎央は悲痛な叫び声をあげて、朱鷺の腕に手を伸ばす。朱鷺もまた、虎央の腕を掴もうと、必死に
なって自分の腕を伸ばす。
ふたりの指先が触れて、手が触れて、きつく握りあって。
コマ送りのような、ゆっくりとした動きでそこまで見定めると、虎央はあらん限りの力をふりしぼって、
朱鷺の体を引っこ抜く。

「ダッ!」
勢いこんで、そのまま地面に倒れこむ。
「…う」
背中から地面に叩きつけられた痛みで、呼吸ができない。
ようやく目を開ければ、間近に朱鷺の顔ある。
「大丈夫でっか?」
「おまえ…」
無事だ。助かった、助ける事が出来た。安堵の息がもれる。

「アホか! 無茶して!」
と同時に、朱鷺のとった行動に対して、急に怒りがこみ上げてくる。
「ええやないですか。要救助者を救出でけたし」
だが虎央の怒りもどこ吹く風、朱鷺は平気な顔でそう言うと、虎央に手を貸して立ち上がらせる。
「車も、落ちてまへんで」
「やかましわ!」

あのまま、朱鷺が車ごと川に落ちていたら…。
想像するだけで、胸がえぐられる。朱鷺を失いたくない一心で、必死になって朱鷺に手を伸ばして。
いまも、まだこんなに心臓が早鐘を打っている。
なのに、朱鷺は冷静な顔だ。これでは、まるで自分だけバカみたいではないか。
「だいたい、なんで車に戻ったんや」
虎央は不機嫌な声のまま、一度車外に出かかった朱鷺が、車内に戻った訳を訊く。

「ああ。これ目ぇについて」
そう言って、朱鷺は右手を上げる。その手には、きれいにリボンのかけられた紙包みが握られて
いる。
「子供さんへの、プレゼントかと思て。水に濡れたらイヤやろ」
「おまえ…」
あの状況で、そこまで要救助者の気持ちを思いやる余裕があったなんて。
あとは二の句が継げない。あきれたとも、感心したとつかない吐息が、虎央の口からもれる。

「ふたりとも、大丈夫か?」
そこに、岩田が声をかける。
「ああ」
「大丈夫です」
「そうか。ほな、すぐ撤収にかかれ」

「よし」
答えて、歩きだそうとした虎央は、よろけてしまう。さっき朱鷺をかばって、足を痛めたらしい。
「次野」
「僕が、」
だが、岩田が手を貸すより早く、朱鷺は虎央に肩を貸し、腰に手をまわしてしっかり立たせる。
「副隊長を支えます」

「そうか…頼むで」
虎央と朱鷺の顔を交互に見て、フッと笑うと、岩田はその場を離れて行く。
「ほな、行きまっせ」
岩田の後ろ姿を見送る虎央を促がして、朱鷺は歩き始める。
「ああ」
虎央は頷いて、朱鷺に体を預けて歩きだす。

「さっきのお礼。まだ言うてなかったな」
耳元で朱鷺の声がする。
「おおきに。虎央さんに助けてもろたの、二度目や。ホンマ、おおきに」
「なんや。らしない」
朱鷺らしくもない愁傷な声で言われた言葉に、虎央はからかうような明るい声で言う。

「虎央さんは、僕のヒーローや。僕の命だけやなく、心も救ってくれた」
「うん」
おまえかて、俺の心を救ってくれた。俺のヒーローや…。
そう言いたいのをグッとこらえて、
「けど、なんやさっきの。なにが”僕が支えます”や。プロポーズか」
わざと、揶揄するように言う。

「だ、誰がおっちゃんにプロポーズなんか」
とたんに朱鷺は顔を赤くする。そこを突っ込まれるとは思わなかったのだろう。
「お節介で、口が悪くて、ガンコで、IHクッキングヒーターも使えんで」
「それを言うなら、おまえは生意気で、意地っ張りで、25歳児やないか」
「あなたは、たれ目でアヒル口で」

「アヒル口はええやろ」
思わず立ち止まって、顔を見る。
朱鷺はじっと虎央の目を見ると、
「…けど、めっちゃ好きや」
言って、にっこり笑う。

…まいった。
初めて朱鷺が見せた全開の笑顔に、虎央の胸は高鳴る。
そして、朱鷺の気持ちに応えるように、肩を組む腕に力をこめて、きつく朱鷺の体を抱きしめる。

今夜のミゾレ雨を、虎央はもう冷たいとは思わなかった。


                                                おわり


  2012.02.01(水)


    
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