いけない事だと知りつつ、由貴は古い本にはさんであった写真をポケットにしまう。そして、ヒマがあれば取り出して見る。
色褪せた古い写真に写っているのは、まだ若い瑛朗と女性だ。瑛朗は今の由貴と同じくらい、二十歳前後だろうか。一緒に映る女性は、瑛朗よりも少し年上に見える。

瑛朗と女性は笑顔で並んで写っている。親密な雰囲気だ。
さらによく見れば、写真が撮られたのはアパートの一室のようだ。家財道具もほとんどなく、質素な生活ぶりがわかる。
・・・この写真の人がお母ちゃんやとして、先生とはどんな関係なんやろ。
写る若い瑛朗と、女性との関係が気になる。

写真の瑛朗は今よりずっとやせていて、顔色もよくない。そう言えば岸川に、瑛朗はこれでなかなか苦労人で、小説が認められるまでは食うや食わずの生活をしていたと聞いた事がある。その頃の写真だろう。それでも、笑顔は明るい。
・・・先生とお母ちゃん、恋人同士やったんか?

数葉の写真を繰る手が、最後の一枚で止まる。そこには半裸の瑛朗が女性の肩を抱いて、ほほに唇を寄せる姿が写っている。
・・・やっぱり。
この一枚を見るたびに、冷たくて重いかたまりが、由貴の胸に生まれる。
桐生と関係を持ち自分を抱く瑛朗だが、その昔女性とつき合っていたとしても、何の不思議もない。

写真の裏には瑛朗の字で日付と”大好きな由紀(ゆき)さんと”と記してある。由貴の母親と同じ名前だ。
・・・由紀て書いてある。お母ちゃんで、間違いないんか。
もう一度、写真の女性を凝視する。
「ユキ」
「はいっ」
キッチンで手元の写真に集中していた由貴は、いきなり背後から瑛朗に呼ばれて声が裏返る。

「おまえ、なに持ってんね?」
手に持ったままの写真を、瑛朗はのぞきこむ。隠そうとするが、それより早く瑛朗は由貴の手から写真を奪う。

「へえ、懐かしい写真やな。この写真、どこで見つけてん?」
写真を見る瑛朗の目がなごむ。
「あの、勝手に見てしもて、すみません。本の間にはさまっとって、それで」
「別に見られて困るモンともちゃうし。構へん」
普通の口調で言って、瑛朗は写真を繰る。

「先生。その写真は?」
訊きたくはない。だが、訊くのは今しかないような気がする。
「ん? これは俺が学生の頃の写真や。高校を出たばかりで、貧乏で、どっしようもないガキやったな」
それは写真を見れば分かる。

「一緒に写ってる女性は?」
「ああ」
瑛朗の次の言葉を、全身耳にして待つ。
「この人は由紀さん。俺の大事やった人や」
やわらかい声に優しい目でそう言う。

「そ、その女性のコト、訊いてもええですか?」
「ええけど」
「聞かしてください」
強い言葉に一瞬、瑛朗は驚いた表情を見せる。が、すぐに目元をなごませる。
「せやな。ユキには言うといても、ええな」
ひとりごちて手近のイスに座ると、静かに話し始める。

「俺と由紀さんが出会(でお)うたのは、20年以上前や。さっきも言うたとおり、当時の俺は貧乏で、学費を稼ぐためにいくつもバイトをかけもちしてた。由紀さんは俺がバイトしてた飲み屋の、常連さんやったんや」
何度も顔を合わせるうちに自然と親しくなって、個人的な事まで話す仲になったらしい。
「そのうち俺がアパートの家賃払えんようになって、追い出されて途方に暮れてたトコに声かけてくれたのも、由紀さんやった」

五つも年上で姉さん気質で面倒見のいい由紀と、住む場所のなくなった瑛朗は、由紀のアパートで同居を始める。
「これは、一緒に暮らしてた頃に撮った写真や」
「そ、その女性は、今なにしてはるんですか?」
言葉と一緒に心臓が口から出てしまいそうだ。それでも、由貴は訊く。

「さあ? 2年くらい一緒に暮らしてんけど、由紀さんが仕事辞めたのと同時に引っ越していって、そのあと音信不通や。どこでなにしてんのか、全然わからへん」
「そ、」
背中に、冷たい汗が流れる。
「そうですか」

「そう言えば由紀さんも俺に野菜食べさせようと、躍起になっとったな。ユキと由紀さんと、名前が同じやと、やるコトも似てくんのかいな」
「僕は”ユキ”と違います、”ユタカ”です」
上機嫌な瑛朗の言葉に、由貴は激しく反応する。

「・・・ああ、せやったな」
にが笑いして、瑛朗は由貴の頭を軽く撫でると写真を持ってキッチンをあとにする。
ひとり残った由貴は、瑛朗に触れられた頭に自分の手を乗せる。呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。

・・・間違いない。僕の、お母ちゃんや。
瑛朗と一緒に写真に写っているのは、由貴の母親だ。写真の日付と瑛朗の話からして、ほぼ間違いない。

母親が自分を生んだのは26歳の時。瑛朗よりも五つ年上で2年くらい同居していたのならば、自分が生まれる半年くらい前まで瑛朗と母親は一緒に暮らしていた事になる。
・・・ほ、ほな、先生が、僕のお父ちゃんてコトか?
ヒザから力が抜ける。由貴はその場にうずくまって、動けなくなってしまった。



その日の夜、家事を終えて風呂を使った由貴は自分の部屋に戻る。ドアを閉めベッドまで歩いて、そのままうつ伏せに倒れこむ。
写真の事が頭から離れない。瑛朗と自分の母親が知り合いで、2年近くも一緒に暮らしていて。そのうえ瑛朗の話や写真の日付、母親の歳から考えると、瑛朗が自分の父親の可能性もある。

・・・いや、そんなアホなコト。
もう一度、慎重に計算する。が、何度計算しても、自分が生まれる1年から半年くらい前までは、一緒に暮らしていた事になる。
・・・ほなやっぱり、先生が僕のお父ちゃんなんか?

自分と瑛朗とでは、全然似ていない。自分は男性にしては小柄で華奢な体をしているのに対して、瑛朗は長身で堂々とした体躯をしている。顔も自分が目ばかり目立つ女顔なのに対して、瑛朗は涼やかな目に凛とした口と、誰が見ても男前だ。
性格も自分は内向的で人見知りだが、瑛朗は人づき合いが悪く神経質だ。
まったく共通点は無い。

ただ、味の好みは似通っている。初めて作る料理でも、味に関して瑛朗からダメ出しをされた事はない。
・・・お父ちゃん、なんやろか。
瑛朗から母親との関係を聞いた。大事だった人だと、瑛朗は言っていた。その言葉だけでは、具体的に恋人同士であったかどうかは分からない。
しかし普通に考えて、若い男女が2年近くも一緒に暮らしていて、何もないという事があり得るだろうか。

・・・お母ちゃんの話する時、先生、優しい目エしてはったな。
写真に写る瑛朗と母親の姿が、その写真を見る瑛朗の目が、何よりも雄弁に瑛朗と母親の関係を物語っている。

瀬尾瑛朗こと小説家セオヒデロは、書いた小説がドラマ化や映画化されるほどの売れっ子だ。人気があり男前だがマスコミに姿を現す事をせず、女性とのスキャンダルもない。
もし自分が瑛朗の子どもだとして、それをマスコミが知ったら。
「うう」
考えるだに恐ろしい。由貴の頭の中には”セオヒデロに隠し子発覚!?”、”子どもの母親とは籍も入れず認知もしていない!?”、”人気小説家セオヒデロ、バイ疑惑!?”などなど、派手な見出しが浮かんでは消える。

そこで由貴はハッと気づく。
瑛朗が父親だとしたら、自分たちの関係はどうなる、と。
「あっ」
力なく四肢を投げ出してうつ伏せに寝ていた由貴は、ベッドに手をついて勢いよく体を起こす。

瑛朗と母親の関係が、自分の父親かもしれない事があまりにも衝撃的すぎて、そこまで考えが及ばなかったが、瑛朗と肌を合わせるのは社会的に許されない行為にあたる。
「近親、相姦・・・」
口にした瞬間、背筋が寒くなる。

家事以外、何の取り得もないが、社会的なモラルや秩序は守ってきたつもりだ。年上の同性に惹かれ体の関係を持つ事に後ろめたさは感じるが、悪い事ではない。
だが、実の父親が相手だとしたら、許されない。
・・・僕は、なんてコトを。

気難しくて神経質だが、笑うと目元が優しくなる。家政婦に秘書にと人遣いが荒いが、自分を大事にしてくれる。愛情はなく、ただ欲望を発散するだけと割り切っているはずなのに、自分を抱きしめる腕は温かい。
そんな瑛朗が、たまらなくいとしい。

昔の恋人と一緒に造った空中庭園に、恋人と別れたあとは手を入れる事もなかった。幸せな思い出の詰まったこの庭が荒れはてていくのを見ながら、瑛朗は何を思っていたのか。それを考えると切なくなる。
その大事な庭に、許されて自分が手を入れて、気持ちのいい場所と言ってもらえるまでになって。少しは瑛朗の荒れた心を癒せたのかと思うと、嬉しくて幸せで、なおいとしく想えるのに。
父親かもしれない、なんて。

「どないしよ」
由貴はひとり、途方に暮れていた。




  2013.10.12(土)


    
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