瑛朗は自分の父親、かもしれない。

家事をしていても瑛朗の仕事を手伝っていても庭いじりをしていても、その事が頭を離れない。
・・・先生が僕のお父ちゃん。先生と僕の関係は背徳。
同じ言葉が呪文のようにぐるぐると回る。そして、ため息の数が多くなる。

「ユキ」
「は、はい」
呼ばれて慌てて返事をする。また、ぼんやりしていたようだ。
「お呼びですか?」
掃除をする手を止め、リビングにいる瑛朗のもとへと急ぐ。

「ああ。なんぞ甘いモンが食べたい」
ソファに長い足を乗せて本を読んでいる瑛朗は、顔も上げずに言う。
「棒アイスでよければ、冷蔵庫にありますけど」
「プリンがええ」
瑛朗は自宅ではアルコールをいっさい飲まないかわりに、甘い物を欲しがる時がある。いつもは何かしら用意しておくのだが、あいにくプリンの買いおきはない。

「ほな、コンビニで買(こ)うてきます」
「コンビニスイーツもええけど、ほら、こないだ岸川がお土産で買(こ)うてきたプリン、あったやろ。あれがええ」
有名なパティシエが作る特別なプリンだ。確かに、あれは美味しかった。だが店までは遠く、電車でなければ行けない。

「時間、かかりますよ」
「構へん」
どうしても食べたいようだ。食に関しては絶対に譲らない瑛朗に、ひとつため息をつく。
「ほな。行てきます」
「ああ。ついでに焼き菓子もいくつか買(こ)うてきてや」
財布を持って帽子をかぶり、由貴はマンションを出る。

電車に乗っている間に携帯電話で場所を調べる。地下鉄の駅の出口で迷ったが、無事に店まで着いてプリンを買う。目的を達成して、ホッとして店の中を見回す。
有名なパティシエがつい最近オープンした店は、シックな色合いの壁紙と床材で、余計に商品が引き立つような工夫がしてある。

使ってある素材も斬新だ。桃やオレンジはもちろん、イチジク、トックリイチゴまである。ショーケースの中に納まった洋菓子は、必要最小限のデコレーションでありながら最大限の魅力が引き出されている。どれも本当に美味しそうだ。
・・・ああ、せや。今度、こんな風に盛りつけて先生に出そか。いや先生やったら、もっと派手なんがええかな。
料理人のクセで、つい彩りや盛りつけに注目する。そしてそんな時でも、由貴は瑛朗の事を考えている。

・・・アホやな。
にがく笑って、店から出る。とたんに街の喧騒が戻ってくる。
思えばこんな風に電車に乗ってどこかに出かけるのは、本当に久しぶりだ。由貴の生活圏は瑛朗のマンション周辺、せいぜい半径100mくらいになっている。その狭い範囲の中で、だいたいの用事は事足りる。
久しぶりに出た街には、多くの人がひしめき合い足早に歩いている。

この街の早いテンポについていけず、由貴は店の裏手にある公園のベンチに座る。そこは街路樹の木陰になっていて、いくぶん暑さはしのげる。大きな通りから1本入った所にあるので、人の流れも緩やかだ。
・・・人が、いっぱいいてるな。
老若男女、いろんな人が歩いている。一人で、二人で、集団で、押し黙って、笑いあって、なかには不機嫌な顔で歩く人もいる。

・・・なんで、先生なんやろ。
この街にはこんなにも多くの人がいるのに、どうして父親かもしれない瑛朗を好きになってしまったのだろう。
もう何度したかわからない自問を、もう一度してみる。もちろん、納得のいく答えは出てこない。

・・・勝手に好きになって、勝手に悩んで、苦しんで。全部、僕が悪いんや。
諦めてしまえば、こんなに楽な事はない。だが、簡単には諦めきれない。
「帰ろか」
成就する想いではないから、どこかでケジメをつけなけらばならない。今の由貴は、それを先延ばしにしているだけだ。

つぶやいて立ち上がる。帽子をかぶり直して、公園から出る。と、
「由貴くん。おまえ、由貴くんとちゃうか?」
聞いた声に、思わず足を止める。
「あっ」
由貴がプリンを買った店の裏口に、男が立っている。男の姿を認めた瞬間、由貴は顔色をなくす。

「やっぱり由貴くんや」
背の高い男は、まっすぐ由貴に近づいてくる。
「久しぶりやな」
「は、はい。お久しぶりです、滝本さん」
由貴は滝本と呼んだ男の顔を、まともに見られない。

「居酒屋、辞めたんやてな」
「はあ、まあ」
親しげに話しかける滝本に、由貴は生返事しかしない。
滝本は青果を飲食店に卸す会社に勤めている。由貴がバイトしていた居酒屋にも、ひんぱんに出入りしていた。

勉強熱心で博識な滝本から、由貴は野菜や果物の特性をいろいろと教えてもらった。親しくなるにつれて居酒屋の外でも会うようになって、いつしか深い仲になっていた。
滝本は、由貴の恋人だった男だ。滝本とはいい思い出もたくさんあるが、出来れば再会したくなかった男だ。

「けど、意外なトコで会(お)うたな。由貴くんはなんでココに?」
「この店の、プリン買いに」
「ああ。ここのプリン、有名やさかいな。俺んトコも果物卸してんね」
「そうですか」
早くこの場を立ち去りたい。だが、キッカケがつかめない。

「由貴くん、このあと時間あるか?」
「いえ。僕、プリン買(こ)うたし。早(は)よ帰らな」
訊かれて即座に答える。
「そうか。ほな、駅まで送るわ。それくらい、ええやろ?」
「はい」
相変わらず押しが強くて、笑顔がまぶしい。由貴は小さく頷くと、促されて滝本が乗ってきた配達用トラックの助手席に座る。

夕方近いこの時間、駅への道は混雑している。なかなか前へ進まない。
「由貴くんは今、なにしてんね?」
車の中で、滝本はさっきよりもくだけた口調で訊く。
「個人宅で、家政婦みたいな事です」
「家政婦?」
チラリと由貴の顔を見て、滝本は白い歯を見せて笑う。

「そうか。由貴くんはたくさんの人の中で働くより、その方が向いてるかもしれんな。けど、」
前方の信号が赤になる。滝本はゆっくり停まる。
「突然、居酒屋を辞めてしもて、ビックリした」
真剣な顔で、じっと見つめる。
「連絡しても、携帯に出えへんし」

滝本と恋人としてつき合っていたのは半年足らずだ。休日に一緒に出かけたり、一人暮らしの部屋へ行って料理を作ったり、泊まったり。
そんな幸せな時間を過ごしていた時、突然アパートのドアが開いて、若い女が入って来た。
そこから先の事は、思い出したくない。

若い女は、自分は滝本の婚約者だと言い、滝本と一緒にいた由貴を口汚く罵り、暴力までふるった。滝本は、この感情的にわめき散らす女と自分と、二股をかけていたのだと、その時初めて気がついた。
信頼し愛情を感じていた滝本の裏切りに、由貴は逃げるようにその場をあとにする。だが、それだけでは済まない。若い女は由貴のバイト先の居酒屋にまで押しかけて、由貴を罵倒した。

尋常ではない女の様子に、あやうく警察沙汰になるところだったが、居合わせた植松の機転でなんとかその場は収まった。
由貴の性格を良く知る植松は同情的に接してくれたが、他のスタッフとの関係がギクシャクして居づらくなって、結局バイトを辞めた。

だから、滝本とはもう二度と会いたくないし、会う事もないだろうと思っていたのに。
「由貴くんに会えへんで寂しかった。けど、元気そうで良かった」
腕を伸ばし、由貴のほほに触れる。一瞬、由貴は首をすくめたが、ゆっくりとアゴを撫でられる感触に、じっと身をゆだねる。
「今つき合(お)うてる人、いてんのか?」
「・・・滝本さんは、あの人とは?」

「別れた。あのあと、すぐや」
アゴを撫でる手が、首筋から胸へとおりる。
「婚約者やてウソついて、由貴くんを傷つけて、許せへんかったんや。・・・俺は由貴くんとまた会えて、嬉しい」
大きな手でシャツの上から胸をまさぐって、ふいにきつく、柔突器をつまむ。
「由貴くんは、嬉しい?」

「っ・・・こ、困ります」
一瞬、息を詰め、滝本の手を身をよじってさけようとするが、車内は狭く上手くいかない。由貴は半分なみだ目になって滝本を見る。
「困ります、か」
信号が青になる。前方の車からゆっくりと動き始める。
「そんな目エして、ホンマに困ってんのか? それとも誘てんのか?」

「誘うやなんて」
「俺は、誘われてもええんやけどな」
ニンマリ笑って、車を発進する。
・・・この人なら、先生を忘れさせてくれるやろか。
無意識に、そんな考えが頭をよぎる。

「あの、滝本さん」
「なんや?」
呼べば、前を向いたまま答える。
「この車、冷蔵庫ありますよね」

「ああ、あるけど」
「このプリン、入れといてもろても、ええですか?」
そう言った由貴の顔を見て、もう一度、滝本はニンマリと笑った。




  2013.10.16(水)


    
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