玄関の呼び鈴は、続けざまに何度も鳴らされる。由紀と顔を見合わせて、仕方なく立って玄関に行く。
いつの間にか、外はうす暗くなっている。玄関の灯りを点ければ、刷りガラスの向こうに大きな男のシルエットが映る。

「はい。どちらさまです?」
忙しなく呼び鈴を押す男にひと声かけて、由貴は玄関の引き戸を開ける。
「あっ」
瑛朗が、立っている。息を切らし、額に汗をうかべて必死の形相をした瑛朗が立っている。

瑛朗は由貴の姿を認めると、一瞬だけ嬉しそうな表情をうかべたが、次の瞬間にはまた真剣な顔に戻る。そして、ものも言わずに由貴の腕をとると、外に連れだそうとする。
「ちょ、先生。離してください」
「アカン」
由貴の抵抗を許さない、本気の声だ。

「先生、落ち着いて」
「アホ! 落ち着いてられるか!」
大きな声に、身をすくめる。瑛朗は気難しくて神経質だが、由貴に対して声を荒げた事は一度もなかった。こんな必死な声を聞いたのも初めてだ。
「いきなりおらんようになって! 連絡先もわからんで! 岸川に言うて居酒屋のオーナーから住所聞き出して! 3日かかったわ! まったく」
間近に顔を寄せる。
「俺が、どんだけ心配したと、思てんね!」

「由貴ァ、どないしたん?」
玄関先の騒ぎを聞きつけて、奥から由紀が顔を出す。
「ちょ、あんた! うちの子に、なにしてんの!」
腕をとられて顔色をなくす由貴と息を切らした瑛朗とを見て、そのまま裸足で玄関におりると二人の間に割って入ろうとする。

「嫌がってるやろ! 離してや!」
「ちょ、おばちゃん、やめてんか」
「おばちゃんやて! 自分かておっちゃんのくせに! ストーカーか! 警察呼ぶで!」
「ちゃうわ! アホか!」
言いながらもみ合っていたが、由紀はピタリと動きを止めてまじまじと瑛朗の顔を見る。

「あんた・・・もしかして、瑛朗、くん?」
「え? 由紀さんなん?」
「ウソッ!? なんで瑛朗くんがここにいてんの!?」
「由紀さんこそ」
思いがけない形での、20年ぶりの邂逅だ。お互いにひと言も発さずに見詰め合っていたが、先に由紀が大きく笑う。つられて瑛朗も笑う。

「なんで瑛朗くんが由貴と知り合いなんか分からへんけど。ひとまず上がって、それから話をしよか。由貴、あんた急いでお腹にたまるモン、作ってや」
「はい」
この中で一番人生経験が長いだけあって、由紀は良策を提案する。由貴は毒気が抜かれて冷静になった瑛朗の顔をチラリと見ると、玄関から上がった。



由紀は急いでお腹にたまるモノをと言っていたので、ありあわせの材料で夕飯を作る。ナスとカボチャのみそ汁にゴーヤチャンプルもどき、ゆがいたオクラ、キュウリの梅肉ぞえを用意する。いずれもこの庭で採れた夏野菜だ。
夕飯が出来るまでの間、瑛朗と由紀は近況を報告しあっている。

離れていた20年の年月を思わせない、親密な様子だ。気難しくて人づき合いが悪いはずの瑛朗が、由紀の前では青年のような笑顔をうかべている。

「ほな、いただきます」
揃って手を合わせてハシを取る。今ある材料で即席に作ったので、ほとんど野菜中心のメニューになった。由貴はひと口ひと口、慎重にハシを運ぶ瑛朗の顔を見る。
「あの、先生、お口に合います?」
「ああ。美味い」
本当に嫌な時にはダメ出しをする瑛朗だが、黙々と食べている。由貴はホッと胸をなでおろす。

「由貴が瑛朗くんの家政婦やて、ホンマやってんな」
そんな二人の様子を見て、由紀は感心したように言う。
「ああ。半年くらいか。最初は通いやってんけど、今は住み込みで世話してもろてる」
「ふうん。なあ由貴、瑛朗くん野菜嫌いでたいへんやろ?」
「いや、ユキのおかげで、たいぶ食べるようになったんやで」
瑛朗と由紀のやりとりには、気を許した者同士の空気を感じる。だがそれは恋人同士というより、仲の良い姉と弟のように感じられる。

「ユキ!? ユキて、由貴のコトか?」
「ああ。そう呼んでんね。けど、ユキが由紀さんの子やったとは。ビックリや。最初に会(お)うた時、イヌマユタカて名乗るさかい」
「そ、それは、コイヌマルて言うたつもりが、イヌマと間違えられて、それで」
あるいは最初からちゃんと”小犬丸”と名乗っていれば、珍しい苗字だけにもっと早く由紀の関係者だと気づいたかもしれない。

「で、なんで由貴は、瑛朗くんの部屋を黙って出てきたん?」
外国暮らしが長いからか、由紀はズバリと訊いてくる。
「瑛朗くんに言いづらいコトでも、お母ちゃんと一緒やったら言えるやろ? なんで?」
「そ、それは、」
瑛朗も由紀も、ウソや誤魔化しを許さない真剣な目をしている。

訊くなら今しかない。由貴は腹をくくる。
「あの、お母ちゃんと先生は、20年前に一緒に暮らしてたて、聞きました。僕が生まれる直前まで、ですよね」
「ええ。そうや」
あっさり認める。
「ほな、僕のお父ちゃんは、先生、なんですか?」

勢いこんで訊いた言葉だが、最後は口の中に消える。しかし、瑛朗と由紀にはしっかり聞こえたようだ。一瞬、顔を見合わせて、次の瞬間には盛大に吹き出す。
「え、あんた、そんなコト考えてたんか?」
「俺が、ユキの、お父ちゃん?」
並々ならぬ決意で訊いたのに、瑛朗も由紀も大笑いして答えてくれない。

「お母ちゃん! 先生も! 笑(わろ)てんと、答えてください!」
思いがけない由貴の激しい声に、ピタリと笑いは止まる。
「由貴。確かに、お母ちゃんと瑛朗くんは一緒に暮らしてた。あんたが生まれる前までや」
真剣な顔で、由紀は告げる。
「けどな、瑛朗くんは、あんたのお父ちゃんと違う。全然別の人や」

「ほ、ホンマですか?」
「母親が言うのやさかい、間違いない。第一、瑛朗くんはゲイやない。なあ」
「せやな」
のんびり緑茶を含んで、瑛朗は頷く。
「俺は女の人には友情は感じても、愛情は持てへん。由紀さんにかてそうや」

「ほな、ホンマに、僕のお父ちゃんと違うんですね」
震える声で念を押せば、揃って大きく頷く。
「良かったぁ」
胸の奥から、安堵の息がもれる。

「由貴。あんた、お父ちゃんのコト、知りたいか?」
訊かれて、由紀を見る。複雑な表情をうかべている。本当は聞きたい。だが由紀にとっては、にがい思い出に違いない。
「いえ」
由貴は少し間をおいて、首を振る。

「そうか。・・・けど、あんたが憂いていたんは、瑛朗くんが父親やからて思てたからなんやな」
「はい」
母親である由紀の口から、瑛朗は父親ではないとハッキリ告げられ、少しは気が晴れる。
「ほなスッキリしたところで、お母ちゃんと一緒に行くか?」

「一緒に、旅行でもするんか?」
呑気な事を訊く瑛朗に、由貴は首を振る。
「僕もお母ちゃんと一緒に外国に行って、向こうで働かへんかて」
「アカン!」
由貴の言葉が終わる前に、瑛朗は反対する。
「ユキは俺とずっと一緒にいるて、約束したやないか。そんなん、絶対アカン」

「瑛朗くん、黙っててんか」
瑛朗の厳しい声に口をつぐむ由貴を見て、由紀は制止をかける。
「由貴、正直に答えてや。お母ちゃんと行きたいか? それとも瑛朗くんといたいんか?」
「それは、」
瑛朗の顔を見る。真剣な顔で由貴の答えを待っている。気持ちは瑛朗と一緒にいたい。父親でないとハッキリしたので、今までどおり一緒にいても何の問題もない。

問題はないが、どうして瑛朗が自分といたいと言ったのか、その真意を知りたい。瑛朗の気持ちが、確かめたい。
だが、由紀の前では訊けない。困った顔で瑛朗を見て、由紀を見る。
「瑛朗くん。あんた、うちの由貴のコト、どない思てんね?」
そんな由貴の様子を見て、また鋭く切り込む。

「好きや。惚れてる」
聞き間違いかと思う程、簡潔な言葉だ。思わず瑛朗の顔を見れば、真剣な顔をしている。
「ウソや」
都合のいい聞き間違をしているだけ。そう思い込んで、由貴は首を振って否定する。
「有名な小説家のセオヒデロで、イケメンの先生が、地味で何の取り得もなくて、歳も倍は離れてる僕のコト、好きな訳がない」

「アホか」
穏やかな声で、瑛朗は続ける。
「ずっと歳が離れとる相手に、おまけに母親の由紀さんの前で、ええ加減なコト言えるか。俺は本気でおまえが好きなんや」
「先生・・・」
そこから先は、言葉が出ない。

「由紀さん。そういうコトやさかい、俺にユキをください」
耳まで真っ赤になってうつむく由貴と、見た事もないくらい真面目な顔で自分を見る瑛朗とを交互に見て、由紀は複雑な表情をうかべる。
「母親としては複雑な心境やけど、瑛朗くんの真剣な気持ち、よう分かったわ。で、由貴、あんたはどうやの?」

「僕、僕は・・・お母ちゃんより、先生と一緒にいたいです」
言い切ったあとに小さく、かんにんとつけ加えた由貴に、ニッコリ笑う
「瑛朗くん。うち今度、向こうで結婚すんね。せやから由貴のコト、よろしく頼んだで」
「ああ」
「泣かせたら、承知せえへんで。お月さんからかて、帰ってくるで」
「わかってるて」

にが笑いして、瑛朗は由貴の顔を見る。未だ由貴は顔を伏せたままだ。
「ユキ。顔、上げてんか」
言われて、ゆっくり顔を上げる。優しい目で自分を見つめている。
「こんな俺やけど、これからもよろしゅうな」
「はい。あ、けど二つお願いしても、ええですか」

「二つ? なんや?」
やわらかく促される。
「一つは、もっと野菜食べてください。僕も調理方法、工夫しますさかい」
「う、わかった。もう一つは?」
「ユキやなくて、由貴て、呼んでください」
どうしても言えなかった事が、ようやく言える。

そんなコトかと瑛朗は笑うと、
「わかった。由貴」
由貴の目を見て呼ぶ。

いとしい瑛朗から呼ばれた名前に、由貴は胸が熱くなるのを感じていた。


                                             おわり




  2013.10.23(水)


    
Copyright(C) 2011-2013 KONOHANA SYOMARU. All Rights Recerved.
inserted by 2nt system