琢己にゲーム関連の翻訳をしているかと訊けば、していると簡単に認める。友人の野上が会いたがっていると言えば、あっさり承諾する。
「いつでもええさかい、連れて来たらええ」
「ほな、キレイに片づけるさかい、絶対散らかすなや」
何度も何度も言って、丁寧に掃除機をかける。

次の週末に野上を招く。例によって彬は出張で居ないので、事前に友人を招く許可はとっておく。初めて部屋に招く野上のために念入りに掃除をし、夕飯も用意する。
「いらっしゃい」
約束の時間ぴったりに呼び鈴が鳴る。すぐに玄関ドアを開ければ、野上が爽やかな笑顔で立っている。
「どうぞ」
「お邪魔します」
靴を揃えて中に入る野上を、リビングに案内する。

「やあ、いらっしゃい」
Tシャツに短パンという格好は頼むからやめてくれと懇願して、彬のカットソーに綿パンを着せておいた琢己は、愛想よく笑って野上を迎える。
「初めまして。僕、真島くんの同級生で、野上高史いいます」
「朱藤琢己です」
緊張した面持ちであいさつをする野上に微笑んで、琢己は右手をさし出し握手する。

「朱藤さんにお会い出来るやなんて、光栄です。思ってたより、ずっとお若い方で、ビックリしました」
「おおきに。まあ、座って。お茶でも飲みながら話そか」
だらしない琢己しか見た事のない大樹は、大人気ない言動で野上をガッカリさせてしまうのではないかとハラハラしていたが、思っていたより普通に野上と接する。

「へえ。ほな朱藤さんは、子どもの頃は海外で生活してはったんですか?」
「父親の仕事の関係で、イギリスに5年、アメリカに10年おってん。母親が言うには、日本語より英語を先に話してたらしいわ」
「ちなみに、お父様の仕事てなんです?」
「英文学の研究者で、小説の翻訳も手がけてる。今は大学の文学部で、学生を教えてるわ」
「ほな、教授でっか?」
驚いたような野上の言葉に、ニッコリ笑う。

その話は大樹も初めて聞く。
「ほな、なんで大学は文学部に行かへんで、彬さんと同じ工学部へ?」
彬は琢己を大学の同級生だと紹介したが、琢己の環境や経歴から考えると、父親と同じ文学部に進むのが妥当なように思える。
キッチンで耳をそばだてていた大樹は、夕飯の準備をする手をとめて、思わず訊いてしまう。

「俺もそう考えんコトもなかったんやけど。日本に来て、ゲームやマンガやアニメのサブカルチャーに触れて、開眼したんや。OH! COOOOOOOL! てな」
「ああ、日本のサブカルは、世界に誇れる文化ですさかい」
そのあたりの事情にはうとい大樹からするとあまりピンとこない理由だが、野上は納得して大きく頷いている。

「ほんで、自分もそれを発信する側になりたい思て、工学部に進んだんや」
それが今ではゲームや攻略本の翻訳を仕事としているのだから、初志は貫徹している。どう見てもチャランポランな琢己が、そんな高い志を持って仕事を選んでいたとは。
大樹は少なからず驚く。

「あっ。ほな、機械関係の専門用語にも詳しかったりします?」
「ああ。工業系機械の取扱説明書や手順書なんかを訳すコトもあるし」
「それは好都合や」
ますます野上は瞳を輝かす。
「ほら、真島、例の英文の資料」
「ああ」
野上に言われて、訳すのに手間どっている英文資料の事を思い出す。

「朱藤さん。実は僕たち授業で発表する資料を作ってんのですけど、英文の資料訳すのに手間どってるんですわ」
「へえ、どれ?」
野上はカバンからタブレット式端末を出して、資料を表示する。
「ああ。これは専門用語がようけあるさかい、けっこうやっかいやな」
「下訳は出来てんのでっけど、概要がつかめへんで」
「ちょお、見して」

わざわざ立って、琢己は野上の隣に座る。小さな画面を覗き込むように文字を追う琢己と野上の距離は、自然と近くなる。肩は重なり、顔も触れんばかりだ。
「お、俺も教えてもろてもええかな」
慌てて大樹はソファの後ろに立って、間に割り込む。

「けっこう複雑な文章やし、まずは腹ごしらえして、それからゆっくり取りかかろか?」
「ええんでっか?」
「大樹も夕飯用意してるみたいやし。野上くんが時間大丈夫なら」
「はい。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる野上を、大樹は後ろから見つめる。
と、ほほに視線を感じる。顔を向ければ、琢己が自分を見ている。大樹と目が合った琢己は、目を細めて、意味ありげに口元を歪めて笑った。



夕飯にはお好み焼きを作る。これなら大人数でも楽しく食べられるし、野菜嫌いの琢己にも野菜を食べさせる事が出来る。チーズ、モチ、青のりやコーンなどのトッピングにお好みソース、マヨネーズも机に置いておけば、食べたい物を食べたい分だけお好みで食べられる。
満腹になるほど食べた後は、資料を訳す作業に入る。さすがに本職だけあって、琢己が入ると難解な英文もたちどころに訳せる。それも、専門用語の羅列してあるだけでまったく意味をなさない日本語もどきではなく、充分に意味の通じる文章になっている。

「おかげさまで、勉強になりました。ありがとうございました」
あらかた作業を終えて、礼を述べる野上に、
「今の学生も、ちゃんと勉強してんねやな」
感心したように琢己は言う。
「当たり前ですやん。学生は勉強が本分やさかい」

「そうか? 俺はまた、どっかの誰かさんみたいに、家事と小言が本分かと思たわ」
「それは、俺のコトとちゃうやろな」
「さあ?」
後片づけをする手をとめて顔を上げる大樹に、琢己はニヤリと笑う。

「二人は仲ええんやな」
そんな二人の様子を見て、野上は笑いながら言う。
「最初、真島から朱藤さんの話聞いた時、えらい人がおるもんやて、ちょおビビッてましたけど、実際に会(お)うて、話しして、やっぱりすごい人やて思いました」
「すごいの意味がちゃうけどな」
今日の姿を見て、大樹もまた少しだけ琢己を見直したが、口では素直に認めない。

「すっかり遅なってしもた。すんませんでした」
「かまへんよ。また、いつでもおいで」
「はい」
自分を送って玄関まで出た琢己の言葉に、野上は深々と頭を下げる。

「ほな俺、駅まで送って行くさかい」
大樹は自分も靴を穿いて、野上を促がして部屋を出る。駅まで少し距離があるので、自分のバイクの後ろに野上を乗せて送る。
初めて野上を自分の部屋に招いて、食事を一緒にして。おまけに、野上の体温を背中に感じて。大樹の鼓動は早まるばかりだ。

「今日はホンマおおきにな。朱藤さんとも話が出来たし、資料も出来たし」
駅の少し手前で野上をおろす。野上は爽やかな笑顔で礼を述べる。
「それに、夕飯までごちそうになって」
「夕飯やなんて。お好み焼きやないか」
「ソースは自家製やろ? 僕、ああいう甘めのソース、好きやねん」
言いながらヘルメットを返す時に、わずかに指先が触れる。

「そ、そんなに気に入ったんやったら、いつでも食べに来たらええ」
それだけで顔が熱くなる。大樹は顔を伏せて、早口にそう言うので精一杯だ。
「うん。けど、そんな甘えてええんか?」
「ええねん。野上は、特別やさかい」
あっと思った時にはもう、言葉が口を出てしまっている。今まで以上に野上の存在を身近に感じて、胸が熱くなって、野上に対する想いがあふれてしまう。

発せられた言葉そのものには、何も思慕の情はこもっていなかったはずだ。友情の域を越えた言葉ではない。
ただ、ますます顔を赤くして自分の口を手で押さえる大樹の態度が、何よりも雄弁に気持ちを物語っている。

「真島」
低く落ち着いた声で名前を呼ばれて、大樹は横を向く。恥ずかしくてみっともなくて、まともに野上の顔が見られない。
「少し、話しても、ええか?」
「いや、俺、その」
「ちょお、コッチに」
固まってしまった大樹の腕をとって、野上は人通りの少ない方へ歩く。駅の横にある公園まで来ると、大樹の腕を離してベンチに座る。

「真島も、座って」
「う、うん」
促がされて、隣に座る。
「話て?」

「さっき、僕を特別やて、言うてくれたやろ」
一瞬息を詰めて、小さく頷く。
「あれ、どういう意味なん?」
訊かれても、答えられない。野上への想いがあふれてしまったと、友人ではなくもっと特別な存在になりたいと、正直に答えられるはずはない。
大樹は唇をかんで、うつむいたまま何も言えない。

「真島。問い詰めてるワケと、ちゃうねん」
確かに、野上の声は詰問調ではなく、いつも以上に穏やかな響きをしている。
「真島は僕のコト、好き、なんか?」
思わず、顔を見る。野上の目は優しく大樹を見つめているが、ウソやごまかしを許さない真剣な色を帯びている。

「どう?」
もう、隠せない。大樹は観念して、耳まで赤くしながら小さく頷く。
大学に入学して、すぐに野上の存在が気になり始めた。同じ講義を受けるうちに、どちらからともなく声をかけて、急速に親しくなっていった。そして、いつの頃からか、大樹は野上を好きになっていた。

友達で、しかも男同士だから、絶対にこの想いは知られてはいけないと思っていた。知られれば気持ち悪がられる、友達でいられなくなる、嫌われてしまうかもしれない。
そう思っていたのに、簡単に見破られてしまった。
「…かんにん」
大樹は小さな声で、野上に謝る。

「なんで謝んね?」
「せやかて、気持ち悪いやろ。俺がおまえを、」
「真島。顔、上げて」
野上は大樹の手に自分の手を重ねる。驚いて、大樹は野上の顔を見る。

「真島の気持ち、なんとなく気づいてた。僕を見る目や声が、他のヤツとは違うなあて。ハッキリわかった今は、正直混乱してる。けど、嫌やない。気持ち悪いなんて、そんなコトいっこもない」
静かな声で野上は続ける。
「僕にとって、真島は単なる友達とはちゃう。けど、」
ここで、強く手を握って、
「恋愛の対象とも、違う。真島は特別な友達、親友や」

「そう…か」
野上の顔を見つめながら、何度も何度も頭の中で野上の言葉を繰り返す。野上は自分の気持ちを真剣に受けとめて、真剣に考えて、そして真剣に返事をくれた。
「ちゃんと、返事してくれて、おおきに」
野上の優しさに触れて、大樹は最後の気力をふりしぼって笑顔を見せた。




  2012.11.17(土)


月とハリネズミ へ    
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