同級生の野上に想いを寄せていて、さっき告白して、その場で失恋して。
それからどうやって帰って来たのか、よく憶えていない。気がつけば玄関の前に立っている。
”恋愛の対象とは違う、親友や”という言葉が、また頭にうかぶ。その場は野上の優しさに触れて、必死で笑顔をうかべたが、今になって胸の奥が痛んでくる。

痛みを伴う喪失感に、胸を押さえる。ため息をついて、目頭も熱くなる。
「くそっ」
手のひらで目を押さえて、大樹は玄関を開ける。

「おう、おかえり」
と、そこには琢己が立っている。風呂を使ったのだろう。いつものTシャツに短パン姿に戻って、首からタオルをかけている。
「た、ただいま」
まさか琢己がいるとは思っていなかったので、とっさに表情をつくれない。大樹は顔を伏せて、急いで自分の部屋に入る。
明かりを点けて、ヘルメットを机に置く。大きくため息をついて、ベッドに腰かける。そのまま横に倒れる。

”親友や”。また、野上の言葉を思い出す。残酷な言葉だ。ごまかす事も揶揄する事もせず、真摯な態度で返事をくれた野上の優しさが、大樹には分かる。
だが、今はその優しさすら、大樹の心を乱す。頭では潔く野上を諦めようとしているのに、心が執着をみせる。胸が痛くて苦しくて、どうにもならない。どうすればいいのか、大樹には分からない。

「ぐっ、う」
背中をまるめて口を押さえて、嗚咽がもれないようにするのがやっとだ。
「大樹」
その時、部屋の外から、琢己に呼ばれる。息を殺して気配を断つ。
「大樹。栓ぬき、どこあるか知らんか?」

「水屋の、引き出しにあるはずや」
何度も深呼吸して、ようやく声が出る。
「それが、あれへんね」
「真ん中の、右の奥や」
「ちょお、一緒に探してくれへんか?」

「ったく」
ティッシュで鼻をかんで、目のあたりを強くこすって、しぶしぶドアの外に出る。
琢己の顔を見ないように、先に立ってキッチンに行くと、水屋の引き出しを開けて栓ぬきを出す。
「あるやないか」
「ああ。ホンマやな」
「ほな」
「まあまあ」
テーブルに栓ぬきを置いて自分の部屋に戻ろうとする大樹の前に、琢己は立つ。

「おまえ、二十歳過ぎてんのやったな」
「せやけど」
「一人で飲むのも寂しいさかい、一緒に飲まへんか?」
「はあ?」
大樹には、どうして急に琢己が自分と一緒に飲もうと言い出したのか分からない。気まぐれな琢己の思いつきだろう。あるいは、ツマミを作らせようという魂胆かもしれない。

「アホか」
「せっかく、美味いビールが手に入ったんやけどな。まあ、お子ちゃまにはビールは早いか」
分かりやすい挑発だ。顔を見れば、アゴに手をあてて嘲笑をうかべている。
「ビールくらい、飲めるわ」
まんまと挑発に乗って、ビールを飲む羽目になる。

二十歳になったばかりで、数えるほどしかアルコールを飲んだ事のない大樹だが、今夜は琢己にすすめられるまま、いくつも杯を重ねる。
顔が熱くなり体が熱くなって、ソファに座っていられなくなる。酔いが自制心をマヒさせて、心の痛みを思い出させる。
気がつけば、床に直に座って、涙をボロボロ流している。

「なんれ、俺、泣いてんね」
ロレツもまわらない。ほほが熱くて、胸が痛い。
「なんれ、あんたの前れ、泣いてんね!」
「泣きたいからやろ」
琢己もまた床に直に座っている。顔をグチャグチャにして嗚咽をもらす大樹に、涙の理由を聞くわけでもなく、ただ黙って横に座っている。

「男やのに、大人やのに、なんれ泣いてんね!」
「男やろうと大人やろうと、泣きたい時には泣いてええねん」
「俺は、あんたの前れは、泣きたくないんや! 絶対、絶対、からかうやろ!」
「アホか」
ビールのビンを置いて、ティッシュを引き寄せる。

「泣くだけの理由があって泣いてる人間を、からかうワケ、ないやろ」
ティッシュを大樹の顔にあてて、鼻をかませる。
「俺は、あんたが嫌いや!」
「さよか」
「片づけもせん、献立に注文つける、ゲームばっかりして得体が知れん」
「はいはい」
足を投げ出して、両手を大きく振る。それを上手に避けながら、琢己は大樹の顔をぬぐう。

「もう! 嫌いて、言うてるやろ! いらわんとけ!」
「はいはい」
頷いて、琢己はティッシュをゴミ箱に入れる。振り向いて、顔を覗き込む。
「俺はおまえのコト、嫌いでもないで」
言って、ニッコリ笑う。

「なんや、それ」
「せやかて、おまえは彬によう似…」
あとの言葉は、大樹の耳に届かない。酔いの回った大樹は、ソファにもたれかかるようにして眠ってしまった。



薄く目を開ける。見覚えのある天井だ。どうやら自分のベッドに寝ているようだ。
確か琢己とビールを飲んで、すっかり酔って。そこからの記憶があいまいで、どうやって自分のベッドまで戻ったのか、まったく思い出せない。
首をめぐらして時計を見ようとするが、とたんに頭の芯が痛む。

「目ぇ、覚めたか?」
枕元に点く小さな明かりの中に、頭が現れる。
「大丈夫か?」
琢己だ。琢己が心配そうな顔をして、上から覗き込んでいる。

「え、あ、俺」
「俺と一緒に飲んでて、つぶれたさけ、部屋まで連れて来たんや」
「へ? あっ」
言われて、琢己の前でボロボロに泣いた事を思い出す。
…俺のどアホ。よりによって、こいつの前で泣くやなんて、みっともない。
断片的に思い出してきた自分の醜態に、大樹は恥ずかしくて顔を上げられない。

「水、持って来るわ」
そう言って、いったん部屋を出た琢己は、ペットボトルを持って戻ってくる。アルコールが抜けかけてノドの乾いていた大樹は、ベッドに座りペットボトルを受けとると、一気に半分近く飲む。
「薬は?」
「いや。大丈夫や。けど、」

次の言葉が出ない。肌布団の端を強く握るばかりの大樹を見て、琢己はひとつため息をつくと、ベッドに腰かける。
「なんや?」
「なんで、俺が泣いた理由、訊かへんね」
「ああ」
形よく足を組む。

「理由を言いたければ、訊かへんでも話すやろ」
「それと、このコトは彬さんには黙っといて欲し」
「飲んで、つぶれたコトか?」
さらに布団を強く握る。
「飲んでつぶれたコトと、泣いたコトや」

「…わかった」
少し間をおいて、琢己は小さく頷く。飲んで泣いた事を彬が知れば、きっと心配のあまり理由を訊くだろう。いかな彬と言えど、大樹が同性の友達に失恋したと知れば、平静な気持ちではいられないはずだ。
だから、琢己が頷いてくれた事にホッとする。

「あの…おおきに」
小さな声で礼を述べれば、目を細めて笑う。
「おまえ、案外可愛いトコ、あるな」
腕を伸ばして、大樹の髪を手でかき乱す。

「ちょ、いらわんとけ」
「早よ寝え。なんなら、添い寝したろか?」
「いらんわ」
「遠慮すな」
無理やり大樹を横にすると、肌布団を肩までかける。

「目え、つぶって。深呼吸して」
素直に従って目を閉じる。肩先に温かい手が置かれ、柔らかく指先だけで叩かれる。遠い昔、大樹がまだ子どもの頃、母親に寝かしつけられる時にされていたのと同じ、落ち着いて、安心できるリズムだ。

だんだん呼吸が楽になって、体が温かくなってくる。枕元に座る琢己が、低く英語の唄を歌っているのが、遠くに聞こえる。
だが、いつの間にか歌声は消えている。眠りかけのぼんやりした頭で確かめれば、目の前に琢己の顔がある。どうやら大樹を寝かしつけるうちに、自分が先に眠ってしまったようだ。こうして息がかかるほど間近に、琢己の顔を見るのは初めてだ。
眠る琢己の顔は、歳よりもすいぶん若く見える。細いアゴや口まわりにも、ほとんどヒゲは見えない。あまり外に出ないので、日焼けしていない肌は白く肌理も細かい。閉じられた瞳は長い睫毛に縁どられ、とおった鼻筋、薄い唇と、やや中性的な顔立ちをしている。

…こいつ、こんな顔してたんか。
「ん」
顔を見つめていれば、眉を寄せて肩を抱く仕草をする。何もかからずに寝ているので、寒くなったのだろう。
大樹は足元の毛布を引きあげると、琢己の肩までかけてやる。

今夜は本当にいろんな事があった。
初めて野上を招いて、夕飯を一緒に食べて、告白して、失恋して。今、思い出しても、胸が痛む。
それでも少しは気持ちが落ち着いたのは、琢己に誘われて、ビールを飲んでつらい気持ちを涙として表わしたからだ。

ボロボロに泣く大樹と、琢己はその理由も訊かず、ただ一緒にいてくれた。
…こいつ、案外ええヤツかもな。
肌布団の中から手を伸ばし、ほほを突つく。
「ん、やめえ」
弱く首を降る。その反応が面白くて、さらに突つく。
「やめて言うてるやろ。おまえ、時々ドSやな、彬」

「え」
彬の名前が出て、手を引っ込める。それでようやく安心したのか、琢己は再び規則正しい寝息をたて始める。

…彬さんが、ドSて、どういうこっちゃ?
その寝顔を見ながら、今の琢己の寝言が気になる大樹だった。



  2012.11.21(水)


月とハリネズミ へ    
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