琢己の言う”オトナのおつき合い”には、もちろん体の関係が含まれる。

キスすら未経験で初心な大樹にとって、琢己との行為は刺激的で魅惑的だ。その一方で、本人は恋人ではないと言っているが、叔父であり敬愛する彬と琢己が深い関係にある事や、同性と肌を合わせて快感を共有する事に、後ろめたさを感じている。
それ故、いっそう甘美な”罪の味”がする。
大樹は、その”罪の味”をたっぷりと含んだ琢己をむさぼる事に、夢中になる。

かすかに空気が振動する音で、目が覚める。薄く目を開ければ、隣で眠っていたはずの琢己が自分の携帯電話を見ている。
「琢己さん」
半覚醒のかすれた声で呼べば、顔を上げて苦笑する。

「かんにん。起こしたか?」
「いや。…メール?」
「ああ。仕事や」
ベッドをおりると、床に放り投げておいた下着を拾って穿く。

「まだ寝とけ」
額に軽く口づけて、部屋を出て行く。琢己には寝ておけと言われたものの、一人で眠るベッドには違和感がる。大樹は大きなあくびをして、ベッドからおりる。
自分も下着を穿こうと探すが、どこにも見当たらない。仕方なく、直接短パンを穿いてリビングに行く。

琢己は和室に置いたパソコンに向かって、下着姿で作業をしている。きっと、翻訳原稿の訂正依頼が入ったのだろう。海外のクライアントが多い琢己には、時差の関係で夜中でもメールがひんぱんに来る。

「起きてきたんか?」
大樹の気配に気づいて、琢己は背中を向けたまま声をかける。
「琢己さん、俺の下着穿いてる」
「え、ああ。ホンマやな」
生返事をする琢己の近くに座る。

「明日、ガッコやろ。寝とき」
「せやけど。なあ、邪魔せえへんから、見といてええ?」
そう言う大樹を瞳だけで見ると、勝手にしいとつぶやいて、また画面に集中する。その横顔は、真剣そのものだ。

普段の琢己は表情豊かで、気持ちがすぐに顔に出る。笑ったり怒ったり意地悪な顔をしたり照れたり、くるくると変わる。
良く言えば正直、本当のところはワガママでガンコな琢己に、大樹は振りまわされっぱなしだ。
だが、いつの間にかそれが嫌ではなくなっている。あんなに一緒にいるのが苦痛だったのに、今では姿が見えないと不安になってしまう。

唇を重ねるたび、肌を合わせるたびに、ジワジワと琢己の温かさが体にしみ込んで来ている。この、胸の奥にともって揺らめいている、温かい炎の正体を、大樹は知っている。
「大樹。ヒマやったら、コーヒー煎れてんか」
「ああ」
それくらいは造作もない。立ちあがってキッチンに入り、濃い目のコーヒーを煎れる。ついでに、買い置きしてあるクッキーも持って来る。

「ほれ、口開けて」
「おおきに」
画面から目を離さず口だけ開けた琢己に、大樹はクッキーを食べさせる。
「も、いっこ」
「ほれ」
「あ~ん」
調子に乗って、目を閉じて口を開けた琢己に、クッキーを口でくわえて顔を寄せる。

「ん。ん?」
お互いの口にクッキーは溶けて、二人は唇を重ねている。そのまま、大樹は口を開いて、琢己の舌に自分の舌を絡める。
充分に味わって、濡れた唇を離す。

「エロいキス、憶えて」
とがめるような、揶揄するような口調で言って、軽く口づける。
「ええ子にしとき。も、ちょっとで終わるさかい」
大樹としては、もう少しキスを楽しみたかったが、仕方なく畳に横になる。ほおづえをつく大樹の頭に手を置いて、琢己はクシャクシャにかき乱す。

「琢己さんなあ」
「ん?」
時おりコーヒーを飲みながら画面に集中している琢己に、大樹は声をかける。
「なんで、この部屋におるんや?」
「今ごろ訊くか?」
顔は正面を向いたまま、琢己は苦笑する。

言われてみれば、どうして琢己が大樹に小言を言われながらも、この部屋に居続けるのか、真面目に訊いた事はない。
「なあ、なんで?」
「せやな。居心地がええから、かな」

確かに、几帳面でキレイ好きの彬が暮らすこの部屋は、どこも清潔で片づいている。おまけに、食事も自分の好物が出てきて、掃除や洗濯、ゴミ捨てなどの雑事にはいっさい係わらなくてもいい。仕事はネット環境さえ整っていればどこでも出来るので、心配ない。
「彬さんが、居るからか?」
そのうえ、好きな相手のそばにも居られる。

「彬は、出張出張で、ほとんど居てないやないか」
忙しく手を動かしながら、
「俺はおまえと一緒に居るの、けっこう楽しいし、居心地がええ」
さらりと言う。

その言葉を聞いた瞬間、大樹のほほは赤くなる。琢己もまた、自分と一緒に居るのが楽しいと感じてくれているのが嬉しい。
「けど、もう潮時かもしれんな」
「え」
低いつぶやきに、顔を上げる。琢己は画面を見つめたまま、コーヒーを口にする。

「俺、そろそろ自分の部屋に帰ろかて、思てんね」
「な、なんで?」
いきなり、そう切り出されて、大樹の言葉はもつれる。
「なんで、て。いつもは、だいたい1週間、長くても1ヶ月くらいしかおれへんのに、今回は、ひぃ、ふぅ…3ヶ月もいてる」
コーヒーを、もうひと口。

「これから年末にかけて、仕事も忙しくなるし。おまえかて、ガッコの課題とか実験とか、多くなるやろ」
「そんなん、ちょっと頑張れば問題ない。それより、琢己さんが帰ってしもたら、彬さんが寂しがる」
「いやいや、彬は平気やろ」
言われて、少し前に琢己が不在だった時の事を思い出す。確かに彬は、琢己が何も告げずに部屋から居なくなっても、落ち着いた様子だった。

「なら、食事。食事は、どうすんね。毎日毎食、コンビニ弁当か?」
食い下がる大樹に、琢己は向き直る。
「おまえ、なんで引き止めるようなコト、言うんや?」
「それは」
言葉に詰まる。

「大樹」
黙ってしまった大樹の肩を押す。仰向けにしておいて、琢己はゆっくり体を重ねる。温かくて重い琢己の体に、大樹はそっと腕をまわす。背丈は同じくらいなのに、琢己の体は全体的に細身に出来ている。自分の腕にすっぽりと納まっている琢己の鼓動を、直接、胸に感じる。
大樹はこの感触が、たまらなく好きだ。

「こうしてると、落ち着くやろ?」
「うん」
「人と肌を合わせる心地よさを憶えてしもたら、なかなか忘れられへんね」
大樹の耳の後ろで、琢己は低く続ける。
「特に、おまえは初めてやさかい、余計に執着する。けどな、大樹」
少し、言葉を切って、
「おまえは若いし、これからいろんな出会いがある。恋愛して、恋人同士になって。そんな相手が、きっと現れる。せやから、」

「琢己さんは、俺に飽きたんか?」
琢己の言葉には、自分との”オトナのおつき合い”を終わらせようという気持ちが、透けて見える。
「俺に飽きて、せやから出て行くて、言うてんのか?」
琢己が自分から離れていこうとしている。そう考えるだけで、大樹の気持ちは乱れて、言葉は棘を持つ。自分でも、どうしようもない。

「アホか」
琢己は苦笑して弱くもがくが、きつく抱きしめて離さない。
「俺は、あんたと離れるのは、イヤや」
「せやから、それが執着やて、言うてんね」
「執着とちゃう」
抱き込んで、態をいれ替える。

畳に横たえた琢己の体に負担をかけないよう、大樹はヒザをつき手をつく。
「あんたを想うと、胸が苦しくなる。苦しくて、熱くて、抱きしめたくなる」
口が勝手に動いて、心の奥底にある本当の気持ちをほとばしらせる。
「俺は、あんたが、好きなんや」

”好き”と言った瞬間、胸の奥で揺らめいていた炎が、勢いつけて燃え始める。熱さが胸から体中に広がっていく。
「琢己さんと、心でも繋がりたい」
だが、大樹の熱さとは正反対に、見上げる琢己の顔には、感情が表れていない。無表情だ。
大樹の肩に手をかけて、押しのける。尻もちをついた大樹の下から這い出し、パソコンの前にアグラをかく。顔には眉間にシワが寄っていて、口はしぶく閉じられている。

「琢己さ…」
「好き、とか、言うなや」
熱くなった大樹の体が一瞬で凍りつくほど、声は冷たい。
「重たいんや」
画面を見つめたまま、吐き捨てる。

「俺の気持ち、迷惑なんか?」
わざわざ訊かなくても、琢己の固い表情で自分の気持ちを拒んでいるのが分かるのに、それでも訊いてしまう。
「好きになったら、アカンのか?」

「アカン」
エンターキーを、ことさら強く叩く。
「当たり前やろ。俺は年上で、おまけに彬の恋人やったんやで」
「なら、なんで俺に”オトナのおつき合い”をしよて、言うたんや!」
ヒザをついて、手首をつかむ。
「俺に抱かれて、グシャグシャのトロトロになって、もっともっと、て!」
いけないと、頭では分かっている。だが、琢己に自分の気持ちを拒絶された心が、強い言葉を叩きつける。
「あんたが言い出しっぺや! あんたが始めたコトなんやで!」

「そうや!」
吠えて、大樹の顔を見る。
「俺が始めたコトやさかい、俺が終わらせる」
つかまれていた手首を、振りほどく。
「近いうちに出て行く。おまえも、忘れろ」
睨まれて、次の言葉が出ない。琢己の声は本気だ。

「もう知らん!」
これ以上その場に居る事に耐えられず、大樹は立ちあがると逃げるようにリビングをあとにした。




  2012.12.05(水)


月とハリネズミ へ    
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