久しぶりに帰った自宅の部屋で、大樹はランニングに短パンという格好でベッドに寝そべっている。自宅は高層階にあるので、窓を開ければ昼間でも風が通って涼しい。
仰向けのだらしない格好でウチワを動かしながら、大樹は天井を眺める。
…あいつ、彬さんの恋人やったんか。

先日、合宿で免許を取った帰り、彬の部屋に立ち寄った。予定では琢己も彬も不在のはずだったので、メールで知らせもせず部屋に入った。
誰もいないと思っていたがリビングに人の気配があって、近づけば琢己と彬の艶めいた声が聞こえて。

実際に行為そのものを見たわけではない。ただ、ドアの外から声と雰囲気とを感じただけだ。だが、琢己と彬の関係は疑いようもない。
…恋人、やったんか。
そう考えれば、辻褄はあう。彬は琢己を部屋におくほど気を許しているし、琢己は彬にベッタリと甘えている。単なる友情では説明のつかない感情のやりとりが、大樹の目から見ても伺える。

どこか中性的な雰囲気を持つ琢己はともかく、彬まで同性愛者だったとは。同性の野上に恋をした自分は、そんなところまで彬に似たのかと、大樹はため息をつく。
そして、気づく。飲んで大泣きした夜、琢己は大樹の涙の理由を訊こうとはしなかったが、野上に失恋した事を察して、あえて何も訊かなかったのではないか、と。

「うわっ」
思い当たれば、今さらながら恥ずかしい。自分にビールを飲ませたのも、大泣きする自分の横にいてくれたのも、酔いつぶれた自分を介抱してくれたのも、大樹が野上に失恋した事を知ってのうえでの優しさだったとしたら、恥ずかしくてまともに顔が見られない。
大樹は枕で顔を覆って、ベッドの上で何度も寝返りをうつ。

「大樹ぃ」
そこに自分を呼ぶ母親の浩子の声が、キッチンから聞こえる。
「ちょお、コッチ来て」
「なんや」
早く行かなければ、カミナリが落ちる。大樹は乱れた髪を手ぐしで整えて、キッチンへ行く。

「なんぞ用か、お母ちゃん?」
「なんぞ用かとちゃうわよ。あんた休みやからてゴロゴロ、ゴロゴロ。夕飯の支度くらい手伝(てつど)てよ」
「はいはい」
そんな事かと頭をかいて、自分用のエプロンをつけて夕飯の支度を手伝う。

「じき、お父ちゃんも帰ってくるし。あんた、エビの背わた、取ってんか」
「了解」
冷蔵庫にアサリとイカが入っていたので、一緒に軽く炒めてガーリックバターで味つけして出すつもりだろう。大樹はイスに座ると、黙々と背わたを取る作業を始める。

「ところで、あんた」
「なんや?」
夕飯の材料を切りながら、浩子は背中を向けたまま訊く。
「例の件、忘れてへんやろね」
「例の?」
一瞬思い当たらずに訊きかえせば、包丁を持ったまま振り向く。

「彬ちゃんにつき合(お)うてる人がいてるか、いてへんか、探る件や」
「うわ、お母ちゃん、包丁危ない」
「ホンマに、この子は」
包丁を引っ込めて、腕を組む。

「で、どうなん? 彬ちゃん、つき合(お)うてる人、いてるの?」
「それは」
瞬間、緊張感のない琢己の笑顔がうかぶ。
「いてへんよ」
同性の恋人がいると、正直に浩子に言えるわけがない。

「ホンマか? 部屋に遊びに来る人とか、電話やメールしてる人とか、ホンマにいてへんの?」
遊びに来るどころか、押しかけてきて居座っている。
「彬さんは仕事が忙しいさかい、まだそんな気にはならへんのと違うかな」
「あの子の趣味にも、困ったモンや」
「え」
浩子の不満げなつぶやきに、思わず背わたを取る手がとまる。

「彬さんの趣味、て?」
「仕事に決まってるやろ。ホンマ、仕事と結婚するつもりかいな、あの子は」
大げさにため息をついて、浩子は再び夕飯の支度にとりかかる。
「ところであんた、いつまでここにおるねん。学校は、ええんか?」
「う…ん」
休みはまだ1ヶ月近くあるが、後期の準備をするのに、そろそろ大学に顔を出さねばならない。
琢己がいると思うと、彬の部屋に戻るのは気がひける大樹だった。



それでも背に腹はかえられず、次の日には彬の部屋に戻る。もしかしたら琢己は自分の部屋に帰っているかもしれないと、淡い期待をこめて、玄関のドアを開ける。
「よお、おかえり」
やっぱり、いる。ドアを開けてすぐ、それも下着姿でいた琢己は、大樹の顔を見ると軽く手を上げる。

「た、ただいま」
とっさに表情をつくれず、大樹は目を伏せて口の中でそう言うと、さっさと自分の部屋に入る。ある程度、覚悟して戻って来たとはいえ、やはり顔を見ると平静な気持ちでいられない。
荷物を置いて、ベッドに腰かける。胸に手をあてると、心臓が早鐘を打っている。
…平気や。あいつは俺が彬さんとの関係に気づいたて、知らんはずや。普通に、冷静に、してればええんや。
そう思いながら、何度も何度も深呼吸する。少しは気持ちも落ち着いてくる。

…あいつが、彬さんの恋人。
もう何度考えたか分からない事を、もう一度考える。琢己と彬の関係がただの友達ではないと知って、大きなショックを受けたのは事実だ。だが、自分もまた同性に恋をしていたからだろうか、敬愛する彬の恋人が同性の琢己だと知っても、不思議と嫌悪感はない。
それに普段の親密な様子を見ていると、納得も出来る。

とにかく、琢己と彬が恋人同士である事は、母の浩子には絶対に知られてはならないし、また自分が気づいている事も隠し通さなくてはいけない。
「フウ」
それにしても、だ。何故、琢己なのだろう。彬は長身で凛とした顔立ちをしていて、性格も几帳面だし仕事も出来る。学生時代から女の子にモテモテだったとか、今でも見合いの話がひっきりなしだとか浩子は言っているが、あながち大げさな話ではない。

そんな彬が、どうして琢己を選んだのだろう。琢己はよく見れば中性的な雰囲気の整った顔立ちだが、性格はガンコで意地悪で子どもっぽい。おまけに偏食で片づけも出来ない。

…けど、時々、優しいな。

「おい、大樹」
ドアをノックされる。琢己の事を考えていた時に琢己から声をかけられて、心臓が飛び上がる。
「なんや?」
それでもそれを気取らせないよう、大樹は低い声で返事する。
「メシ、まだやろ。食うか?」
「メシ?」

語尾を上げて、部屋から出てキッチンに行く。大樹の予想に反して、キッチンもリビングも、琢己が寝泊りしている和室も、キチンと片づいている。おまけにテーブルの上には、鶏肉をトマトソースで煮込んだ料理が並べられていて、美味しそうな匂いを漂わせている。
「これ、あんたが?」
部屋を見回して、最後に琢己の顔を見る。
「まさか」
琢己は口元を歪めて笑うと、水屋から自分の皿と大樹の皿を出す。

「今朝まで彬がおったんや。また出張に行ってしもたけど、料理を作り置きしといてくれたんや」
「ああ、さよか」
どおりで、一分の隙もないほど部屋が片づいているはずだ。
「せっかくの彬の手料理やさかい、早よ食べよ」
促がされてテーブルにつく。

夕飯を食べる間、琢己はしきりに大樹に話しかける。免許を取るための合宿は楽しかったかとか、もう公道を運転したかとか、車を買うつもりなのかとか、いろんな事を聞きたがる。久しぶりに大樹に会えて、嬉しがっているようにも感じる。

大樹はそんな琢己の話に生返事ばかりする。落ち着こう、冷静でいようと頭ではしているのだが、まともに琢己の顔が見られない。琢己もそんな大樹の態度が不思議だったのだろう。
「せや、免許取得のお祝い、せなアカンな」
明るく言って、冷蔵庫からビールを出してくる。

「俺、ビールは」
酔わされて大泣きした、にがい思い出がよみがえる。
「カンパイだけや。それくらい、ええやろ」
押し切られて、グラスになみなみとビールを注がれる。
「ほな、免許取得、おめでとう。カンパ~イ!」
「おおきに」

飲み干せば、すぐに2杯目を注ぐ。
「予定より短い期間での免許取得、おめでとう。カンパ~イ!」
「は?」
「路上一発合格、おめでとう。カンパ~イ!」
「はあ」
「学科は2回落ちたけど、合格できて良かった。カンパ~イ!」
「ほっとけ」
と、乾杯だけでずいぶん飲まされる。

飲んではいけないと思っていても、つい雰囲気に流されて、結局顔をまっ赤にしている。
「よしよし」
そんな大樹を見て、琢己は意地悪な笑みをうかべる。
「おまえはグニャグニャになってからが、おもろいさかいな」

「また、俺を酔わせて。なにする気イや」
自分では精一杯警戒しているつもりだが、ロレツがまわっていない。
「なんも。ただ、今から訊くコトに、正直に答えてや」
「それは、出来ません」
「まあまあ。おまえ、休みの間に、なんぞあったんか?」

「なんもありません」
「ほな、なんで俺の顔をまともに見いひんね」
「見てます」
いつもはタメ口の琢己に対して、ですます調の丁寧な言葉を使っている事からしておかしい。だが、すっかり酔っている大樹は、自分でそれに気づいていない。

「強情やな。ほな、体に訊くか」
妖しく目を光らせると、立って大樹に近づく。腕を取って立たせて、床にうつ伏せにすると、背中にまたがる。
「ちょ、なにすんね」
威勢がいいのは口だけで、体はアルコールでまったく自由が利かない。

「なに、て。コチョコチョ、すんね」
嬉しそうに言うと、大樹のわき腹をくすぐる。たまらず体を揺すって抵抗するが、琢己の指からは逃げられない。
「正直に言うたら、すぐやめたる」
「イヤ、イヤや」
痛みはある程度ガマン出来るが、くすぐったいのはガマンできない。おまけに今はアルコールが入っている。

しだいに大樹の中で正常な判断力が低下してくる。
「もう、やめてて。俺、あんたの秘密、知ってんね!」
「へえ、秘密? なに?」
「せやから、あんたと彬さんが恋人て」

そこまで言えば、ピタリと琢己の動きがとまる。グシャグシャの顔で琢己を見上げれば、眉間にシワを寄せている。
…ああ、しもた。
その硬い表情を見て、大樹は力なく床にうつ伏せた。




  2012.11.28(水)


月とハリネズミ へ    
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