「ちゃんと、お前に言うときたいことがある」
「なんや」
胡坐をかいていたのも、わざわざ座り直す。
「おまえ、俺ンとこ来て2年経ったな。いくつンなった?」

「歳か? 21か22か、そのくらいやろ」
いきなり何を訊くのか、琰には丈吉の言いたいことがわからない。
「急に、なんや?」

「俺が22の頃は、鍛冶屋の修業をしていた。厳しい親方やったけど、おかげで今は鍛冶屋として
生活できてる」
「うん」
その話は、以前聞かせてもらったことがある。修業は辛かったけど、厳しく仕込んでくれた親方に
今は感謝していると、丈吉は話していた。

「で、おまえや」
「俺?」
「おまえ、これからどうやって生きていくつもりや」
「どう、て…」
せっかく上機嫌でいる時に、どうして水を差すのか。琰は少し眉根を寄せる。

「俺は丈さんの嫁やさかい、丈さんと一緒に生きていくつもりや。それじゃアカンのか?」
「そりゃ、俺かてずっとおまえと居たい」
「なら、それでええやないか。なにむづかしいコト言い出すねん」
「けど。…俺が死んだら」

「そんなコト、ない」
即座に否定する。
「丈さんが死ぬなんて、ない」
「俺はおまえより十(とお)は年上や。順番を考えてみぃ」
「せやかて、」
「琰」
静かに、だが強く名前を呼ばれて、丈吉の顔を見る。いつもの優しい笑顔はひっこんで、かわりに
仕事人である”毘沙門天”の厳しい顔になっている。

そうだ。丈吉も琰も、裏の顔を持つ仕事人同士。いつ命果てるとも限らない。
「俺が先やったら。…おまえ、どうすんのや?」
「決まってる。丈さん殺したヤツ殺して、俺も死ぬ」

「アホ」
簡単明瞭な、しかしウソ偽りのない琰の言葉に、丈吉は苦笑する。
「おまえは生きなならん。けど、どうやって生きる? おまえ、ひとりでまっとうに生きていけるんか?」

琰が丈吉と暮らし始めて、仕事らしい仕事に就いたことはない。もっぱら飯を作ったり洗濯をしたり
掃除をしたり、家事全般をするのみだ。
時々、こざこざしたことで小遣い程度に金を貰ってくるものの、二人の生活は、丈吉の鍛冶屋としての
稼ぎでまかなわれている。

「金なら、親父が残してくれた。丈さんとふたりでも使いきれんくらいある。せやさかい、」
「そうとちゃう」
琰の言葉に、丈吉は首を振る。
あたりはすっかり日が落ちて、部屋の中も薄暗闇だ。向かいに座る丈吉の表情は見えづらいが、
もどかしい思いは伝わってくる。

しかし、例え話であっても丈吉が死ぬなんて、今の琰には考えられない。丈吉のいない暮らしは、
考えられない。それほど、密接に丈吉に寄り添って生きている。
「丈さん…」

「お客はん。明かり持って来ました」
そこへ、仲居が声をかけて、行灯に火をいれて行く。
「ついでに、酒も頼むわ」
「へえ」

仲居が酒を持って来る。
丈吉はお猪口に酒を注ぎわけると、ひとつを琰の前に置く。
二人ともおし黙ったまま、いくつか杯を重ねる。

「琰」
徳利が空になる頃、いくぶん柔らかい声で琰を呼ぶ。
「おまえが心配なんや」
「それは、わかってる。けど、」
さっきまでの上機嫌は、すっかり消えている。酒を飲んでも、ちっとも酔わない。

「伝助は、おまえの父親は、おまえの行く末を本当に心配していた。せやさかい、おまえがいずれ
自分の命を狙うのわかってて、それでもおまえに金を残した」
「ああ」
「俺がおまえに残せるモンがあるとしたら、おまえがまっとうに生きれるようにするコトだけや。最近、
そう考えるようになった」
琰は、もう相槌すらうたない。

「せやから、」
「わかった」
まだ何か言おうとする丈吉を、琰は低い声でさえぎる。
「わかった。まっとうに生きる道を考える。考えるさかい、」
お猪口を持つ手が、細かく震えている。
「丈さんが死ぬなんて話、もうせんといて」

「琰」
丈吉は、琰の手に自分の手を重ねる。そのまま腕をなぞって、琰のほほへ。
琰は丈吉の大きな手に、自分のほほを擦りよせる。
「もう、言わんといて」

「琰」
たまらず、丈吉は台を回りこんで、琰を抱きしめる。琰もまた、丈吉の背中にしっかりと腕をまわす。
「丈さんがおらん暮らしなんて、嫌や」
「ああ」
「考えるのも、嫌や」
「かんにん」
丈吉は、何度も小さく”かんにん、かんにん”と言いながら、琰の背中をなでる。それで、いくらか
琰の気持ちは落ち着いた。



勘定を済ませて外に出れば、涼しい風が吹いてくる。
「ええ風やな」
「ああ。川の方からや。行ってみるか?」
丈吉の言葉に頷いて、川ぞいの道に出る。辺りには川風に涼を求める人がポツポツいる。
「ちょお、座ろか」
二人はそんな人たちから離れて、並んで土手に腰かける。

幅広の川は、ゆったりと流れている。草の間から、虫の音が聞こえる。
「さっき、」
「ん?」
「かんにんやった」
「ホンマやで」
琰は丈吉を睨むふりをする。

「せっかくのうなぎが、丈さんの所為(せい)でだいなしや」
「ああ。けど、美味いうなぎやったな」
「また来たらええ。また来よ」
「おまえのオゴリならな」
言って、丈吉は気持ちよく笑う。つられて琰も笑う。

いつの間にか、笑う琰の顔を、丈吉はじっと見つめている。
「…なんや? 見とれるほど、ええ男か?」
「ああ」
大真面目に頷いておいて、
「ええ顔で笑うようになった」

「丈さんのおかげや」
「俺の?」
「丈さんに会うまで、ずっとひとりで生きてきた。ずっとひとりで生きていけるて、思てた。けど、」
琰は丈吉の右肩に頭を乗せる。

「けど、もうアカン」
「…俺もや、琰」
自分の名前を呼ぶ丈吉の唇を見つめて、そしてゆっくりと目を閉じる。
優しく肩を抱きよせられて、唇が重ねられる。

丈吉の左肩を押して、草の上に寝かせる。そのまま馬乗りになって、ほほを両手で包んでさらに
深く強く、唇を吸う。
舌で歯牙を割り、丈吉の舌を探り出して、きつく絡める。

「琰…、琰」
衿の合わせ目から入って来て、性急に自分の胸をまさぐる琰の手を、丈吉は困った声で押し
とどめる。
「ここではアカン」

「なんで? 俺、しんぼうでけへん」
濡れた口元をぬぐおうともせずに言う琰に、丈吉はフッと笑いかける。
「うなぎが、効いたんかなぁ」
「そんなん、」
「とにかく、アカン」

言って、琰の下から抜け出ると、サッサと立ち上がる。
「丈さん」
まだ不満顔の琰に手を貸して、立ち上がらせる。
「その気にさせた、丈さんが悪い」
「せやな」
むくれたままの琰の衿元を軽く直しながら、丈吉は頷く。

「ほな、早よ帰ろか」
「知らんわ」
横を向いたものの、並んで歩く丈吉の暖かい眼差しに、いつしか琰の機嫌もなおっていた。




  2011.11.09(水)


    
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