「…そう」
あや菊に、林の死を告げる。あや菊は鏡の前で小さくつぶやいたっきり、黙ってしまう。
「俺あての文を持ってたさかい、番屋から俺に知らせが来たんや」
ちらりと、横に座るあや菊の顔を見る。あや菊の横顔からは、感情は読みとれない。

琰は吐息をつくと、立ち上がり、ポンと肩に手をのせて、部屋を出ていこうとする。
「…なんで、」
「え?」
「なんで、林さまは死んでしもたの? なんで…」
「姐さん」

膝をついて、顔をのぞきこむ。きれいに紅を塗った口元が歪んで、わなないている。
「俺への文には、用事があってしばらく来れんて、書いてあった」
琰は懐から文を取り出す。
「ここや」
そして、文の内容をもう一度見ようと、行灯にかざす。

「ここに…、え?」
しばらく行灯にかざしていると、墨で書かれた字のほかに、薄く字が浮かんでくる。
「これは」
もっとよく字を浮かびあがらせようと、琰は行灯の火のすぐ近くに文をかざす。

”藩米の価格が、不正につけられてる 相場よりかなり低い 大黒屋が故意に操作してるのか 
番頭(ばんがしら)の岡崎さまも仲間か 調べてみる”
浮き出だ文字で、そう書いてある。
そうか、林さまは米相場の不正を暴こうとして、殺されたんや。
琰には合点がいく。

「お琰さん」
あや菊は険しい顔になった琰と、琰の持つ文とを交互に見て、言葉を待っている。
「林さまは、死んだんとちゃう。殺されたんや」
「殺された?」
「自分の命が危ないの知ってて、こんな方法で…」
「林さまは、殺されたんか!」

強い力で、琰の腕をつかむ。指の関節が白く浮き立って、爪が琰の腕にくいこむ。
「殺されて、捨てられてたんかっ!」
「あや菊姐さん」
林の命を不当に奪われた憤りが、あや菊の細い身体の中で渦巻いて、いまにも突き破って
きそうだ。
だが、あや菊は叫び声もあげず、号泣もせず、ただじっと琰の腕をつかんでいる。

「…あんたに、頼みがある」
しばらく、あや菊はそうしていたが、息を整え、低く言って琰の腕を離す。
「世の中には、晴らせぬ恨みを晴らしてくれる仕事人がいるそうやな」
立って、化粧箱の一番奥から、布包みを出してくる。
「5両ある。仕事人に頼んで、林さまの恨み、これで晴らしてほし」

「仕事人なんて、そんな、おるかおらんか分からん人間に、大事な金を」
この金はきっと、あや菊が必死で貯めた金だ。数え切れないほどの男の欲望を受けとめ、
身体も心もすり減らしながら、貯めてきた金だ。
それがわかっているだけに、簡単には受け取れない。

「かまへんのや」
あや菊はもう決めているようだ。もう一度、布包みを押しつける。
「お願いやさかい」
もう、断れない。琰は小さく頷いて受けとる。大事に懐にしまい、立ち上がる。
あや菊に背中を向けた時にはもう、仕事人”女郎蜘蛛”の顔になっていた。



神社の祠へと仲間を呼び出す。丈吉、お駒、三鶴、堀口、それに琰の5人は、うす暗い祠の中に
座る。
「ダンナ、林さまを殺した下手人は?」
丈吉が堀口に水を向けると、いつも以上に不機嫌な顔で、
「下手人もなんも。新月藩では事故死で片付ける腹づもりのようや」
「アホな」
「なんで」
林は明らかに殺されていた。死体を見ている琰も丈吉も、納得がいかない。

「奉行所には、そう届出があった。これ以上の詮議は無理や」
武士には武士の規律がある。新月藩の役人が林の死を事故で処理してしまえば、町奉行では
手が出せない。
「林さまは、殺されたんや」
琰は文字の浮き出た文を見せる。

「そこには、米相場の不正を暴くため、大黒屋を調べるて、書いてある。おまけに、蔵屋敷番頭の
岡崎てやつもグルやないかて」
「確かに、この文を見れば、その林てお侍が米の相場に疑問を持って、調べてたことがわかる。
けど、」
お駒が慎重な声で訊く。
「けど、それだけでお侍を殺すか? 別に理由のあったんと違うか?」
「林さまは誰かと諍(いさか)いをおこすような人とちゃう。恨みをかうような人とちゃうんや」

「俺は、その林てお侍を知ってるわけとちゃうけど、」
三鶴が遠慮がちに、口をはさんでくる。
「藩米が蔵屋敷に納められたら、あとは米問屋に商ってもろて、売れた分だけ代金をもろてんの
やろ。なんぼ蔵屋敷番やいうたかて、直接商うわけとちゃう。せやさかい、なんぼなんぼで売れ
ました言われたら、それを信用するしかないんとちゃうか?」
「けど、林さまは米の価格に不審をいだいた。それで調べて、」

そこまで言って、あっと思いつく。
林の持っていた数字でびっしりの書きつけ。あれは、米の相場と価格を調べたものではなかった
かと。
「ダンナ、あの数字の書きつけ」
「ああ」
堀口も同じことを思ったようだ。

「小間物屋。おまえはここ最近の米相場の動きと、価格を調べろ」
「へえ」
「師匠は番頭、正確には蔵屋敷番頭やな。その岡崎を」
「はい」
三鶴とお駒に指示を出して、堀口は、
「俺は新月藩の蔵屋敷を調べる。あっさり事故で処理したのが、どうも気にかかる」
「ほな、大黒屋は俺が」
言った琰の顔を、皆が見つめる。

「俺が依頼を受けた。俺の仕事や。ええな、ダンナ」
堀口に念を押せば、ぐっと口元を結んで頷く。皆もそれで納得したようだ。
ひとり、またひとり、祠を出て夜の闇に溶けていく。

最後に、琰と丈吉が祠から出る。
「琰」
星明りの下、丈吉が琰を呼ぶ。その声には、いくぶん憂慮の色がある。
「大丈夫や」
琰と大黒屋惣一郎との関わりを知っているだけに、穏やかではないのだろう。そんな丈吉の心配を
掃うかのように、琰は低く、だが強く答えた。



ふらりと大黒屋の店先に顔を出して案内を請えば、すぐに惣一郎が出てくる。
「いやぁ、お琰さん。よう来てくれたな」
満面の笑みで迎えてくれる。
「最近、若旦那お見限りやさかいな。あや菊姐さんに言われて、ご機嫌うかがいに来たんや」
「ホンマか?」
上機嫌で奥に通してくれる。
「なんにせよ、顔が見れて嬉しいで」

こっちこっちと、奥の部屋に案内される。途中、蔵のいくつも立ち並ぶ庭に面した廊下を通る。
いずれの蔵の戸も開け放たれ、大量の米俵が運び込まれている。
「ちょうど新米が入ってきたトコや」
立ち止まってその様子を見る琰に、惣一郎は横に立って説明する。
「それで忙しくてな。秋月屋にも行けんかったんや」

「今年は豊作のようやな」
「ああ。春先からの天候が安定してたさかいな。せや、お琰さん、新米食べて行かへんか?」
「せやな。呼ばれてこか」
琰の返事に、惣一郎はすぐに飯の準備を言いつける。

飯が炊けるまでの間、琰は手水(ちょうず=トイレ)を借りるフリをして、大黒屋の邸内を歩く。琰の
生まれ育った灘屋よりも大きな店(たな)だが、総じて造りは似ている。
琰は足音も気配も消して、ひとつの部屋に入る。そこは店の主人家族が住まう一角にある部屋で、
豪奢な調度品が飾られている。どうやら、惣一郎の部屋のようだ。

文机の上には、ぶ厚い帳簿が出してあり、ほかに書面、印鑑のたぐいが置きっぱなしになっている。
さらさらめくると、日付と数字が細かく書きつけてある。どうやら売買の動きを記録したもののよう
だが、どうもおかしい。
普通、売買の記録は店の出入り口にある帳場で管理され、そこにある大福帳に記録されるはずだ。
それが、惣一郎の部屋にある。

…裏帳簿か。
と、表に人の気配がする。琰は素早く帳簿の1枚を切り取り、書面と一緒に懐にしまう。
「それはアカン」
琰が衝立の後ろに身を潜めたのと、惣一郎が誰かを伴って部屋に入ってきたのと、ほぼ同時だ。
「いまは一番忙しい時期です。派手な動きはアカン」

「新月藩の蔵屋敷番は、もっと自分の取り分を増やせて言うてるんやろ。せやったら」
「岡崎さまには、まだいろいろ働いてもらわなあきまへんね」
新月藩と、蔵屋敷番頭の岡崎の名前が出たことで、琰は静かに聞き耳をたてる。

「けど、あんたもうまいこと考えたな。藩米を高くで売って、藩への支払いは少なくする。差額は
あんたのまる儲けや」
「蔵屋敷番には、偽の手形見せとけば、実際の金額なんぞわからしまへん。それに、岡崎さまの
ような、金で言うことをきく役人をつくっとけば、なにかと便利ですやろ」
「それを、あの若侍は」
「林さまやろ。余計な詮索して」
「岡崎も、あまりわからんコト言うようやったら、いつでも俺が始末する」
「その時は、頼みますよ。本多さま」
ククと、のどの奥で惣一郎は笑う。やはり、林を殺した黒幕は惣一郎だった。

その事実(こと)を悟った瞬間、おさえきれない凶暴な気が、一瞬だけ琰の身体からもれる。
「誰や!」
それに敏感に反応したのか、本多と呼ばれた男が声を荒げる。

この男の放つ殺気、抜き身の刀を突きつけられているかのような、冷たいこの感じ。
…こいつ、なんなんや。
いま自分は丸腰だ。男に刀を抜かれたら、無傷で逃げきる自信はない。それほど、男の殺気は
桁違いだ。
男の腕がどうこうというのではない。人を斬って、血を流させて、命を奪うという事に対して、なんの
ためらいも持たない。男からはそんな危ない臭いがする。

いま動くか、いま走るか。時をも凍る数瞬が過ぎる。
琰は、しずかに呼吸を整える。その時、
「若旦那。食事の用意が出来ましたで」
廊下から、使用人が声をかける。

「わかった。いま行くさかい」
惣一郎がそう答える。男からの冷たい殺気も消える。
「ほな、本多先生」
襖を開けて、部屋から出て行く。

足音が消えるのを待って、衝立の後ろから出る。珍しく、手にはしとどに汗をかいている。
間違いない、林を殺したのは、いまの本多と呼ばれた男だ。惣一郎の言葉づかいからして、
侍くずれの用心棒だろう。
何度か深く息を吐いて、琰は自分の中にある憤りを押し殺した。



なにくわぬ顔で廊下を曲がれば、惣一郎から声をかけられる。
「お琰さん、探したで」
「広いさかい、迷ってしもた」
惣一郎について客間に戻ると、手の込んだ料理と、つやつやに炊けた新米が琰の前に運ばれて
くる。

「いただきます」
手を合わせて、さっそくかき込む。新米特有のふくよかな香りと甘みが、噛むほどに口のなかに
ひろがる。
「美味い米や」
思わず、ほほが緩む。

「せやろ」
琰の笑顔に、惣一郎はますます目を細める。
「新月藩の米や。新月は水がええさかい、ええ米が獲れる。江戸では高値で取引きされるんや」
「へぇ」
一瞬、息が詰まる。が、惣一郎には気取られてないはずだ。

「仰山食べてや。仰山炊けてるで」
「ええんか。米は商うモンなんやろ」
「お琰さんは特別や。ホンマ、気持ちええほど食べんねやな」
「美味い米やしな。けど、なんぼ美味い米でも、豊作やったら値が下がるんとちゃうか?」
3杯目をおかわりしながら、訊いてみる。

「そう思うやろ」
だが惣一郎はいたずらっぽく笑うと、得意げに教えてくれる。
「そら仰山あるモノの値は下がる。けどな、米はちゃうねん。なんぼ豊作やからて、あんまり米の
価格が下がったら、米でお扶持をもろてるお侍が困るやろ」
武士は決まった石高の扶持米で生活している。米の価格が下がれば、それこそ死活問題だ。

「それはそうやな」
「せやさかい、米は現物取引やなくて、先物取引になってんのや。米が収穫される前に、すでに
米の価格は決まってる。相場で決まった価格で手形を切って、現物の米を買う。それなら、米の
不作豊作に限らず、価格は安定するやろ」
「俺には難しすぎて、ようわからん」
正直な感想だ。

「せやな。実際、お上(かみ)かてようわかってへんのや。わかってるんは、、商人(あきんど)
だけや」
「なら、価格の操作も、商人ならできるんか?」
「お琰さん」
惣一郎の目が、怪しく光る。ぞくりと一瞬、さしもの琰も総毛立つ。

「前、言うたな。儲けを出すのが商人や、て。けど、」
ここで、惣一郎は表情を緩めて、
「どんな方法を使(つこ)てもええわけとちゃう。まっとうな商いで儲けなアカン」
「若旦那の言うとおりや」
「お琰さんは、ホンマに頭のええ人やな」
ニッコリ笑ってみせる。その笑顔に、琰はだまされなかった。




  2011.11.30(水)


    
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