琰が秋月屋の用心棒として働き始めて、あっという間にひと月が経つ。
最初はどんな荒っぽい事をやらされるのか、不安に思わないでもなかったが、何のことはない、
用心棒といっても酔った客のあしらいや揉め事の仲裁がほとんどだ。
それも日に何回もあるわけではない。
そして、たいがいの揉め事は琰が行けばすぐに収まる。長身で、美形だがニコリともしない琰が
揉めてる現場に行き、ちょっと睨みつけるだけで、たいていの相手は毒気を抜かれてしまうからだ。

「ほな、丈さん。行ってくるし」
「ああ」
丈吉は、琰が用心棒に、それも女郎屋の用心棒になったのをたいそう驚いていたが、辞めろとは
言わなかった。
根っから賛成している訳ではないようだが、今は様子をみているところだろうか。

琰が秋月屋に行くのは日の落ちる頃で、丈吉と夕飯を摂ったあと、家を出る。日増しに暗くなる
時間が早くなるこの時期には、もう見世先の提灯に火が入っている。

暮れ六ツ(=午後6時)には、神棚のそばの鈴の音を合図に”夜見世”が開くので、その少し前に
見世に入る。
その頃には、見世の女郎はそろって正面の通りに面した”張見世(はりみせ)”に入って、客が
つくのを待っている。
秋月屋はいわゆる”判籬(はんまがき)”の見世で、太夫や天神という最上級の女郎はいないが、
かわりに散茶(さんちゃ)と呼ばれる格の女郎をはじめ、20人近くの女郎を抱えている。この辺り
では大きな構えの見世だ。

裏口から見世に入って、最初に女将であるお仙にあいさつに行く。
「女将さん、今日もよろしゅう」
「ああ、お琰さん」
廊下から部屋の中にいるお仙に声をかければ、キセルに煙草を詰める手を止めて、顔を上げる。

「今日もよろしゅうな」
「へえ」
ニコリともしないで頷く。だが、愛想がないのを咎められたことはない。
むしろ、琰が言葉少なで無愛想なままでいるのを、望んでいるフシがある。
「そろそろ忙しくなる時間や。いつも通り、頼んまっせ」
そう言って、煙草を詰める。

見世の表では、賑やかな三味線や太鼓の音が鳴り響いている。そろそろ通りに人波の増えてくる
時間だ。
「お琰さん」
お仙の部屋から奥へと続く廊下を歩いていると、禿(かむろ)が呼びに来る。禿とは、女郎の世話を
しながら、女郎になるべく作法などを学んでいる女の子のことだ。
「あや菊姐(ねえ)さんが、お部屋で呼んではります」
あや菊は秋月屋で一番の売れっ子だ。夜見世が始まってすぐに客がついたらしい。
「ああ」
頷いて、禿のあとをついて2階へ。小さく仕切られた部屋の並ぶ、ほぼ中央の襖の前まで来る。

「あや菊姐さん。お琰さん、連れてきました」
「お入り」
中から応えがあり、禿が襖を開ける。

「なに用や?」
声をかけて入れば、あや菊の傍らに客が座っている。確か、あや菊の馴染み客で、大黒屋惣一郎
といったか。年は丈吉とそんなに変わらないだろう。つるりとした面立ちの、なかなかの二枚目だ。
惣一郎は琰の顔を見るなり、にんまり笑う。

「お琰さん。なに用や、とはなんや」
その場に立ったままの琰を、あや菊はたしなめる。さすがにこの秋月屋一番の売れっ子だけあって、
器量も抜群だが、そのぶん気も強い。
だが、その気の強いところがまた人気の的らしく、あや菊には上客が何人も付いている。

「まあまあ、あや菊。ええやないか」
やんわり声をかけるこの惣一郎もその一人で、大きな米問屋の跡取り息子になる。
「僕が呼んだんや。お琰さんも、立ってんとお座り」
チラリとあや菊の顔を見れば、小さく頷く。琰は部屋の端にどっかりと座る。

「そんな端っこにおらんと、もっとこっちにおいでや」
「ここでええ」
惣一郎に呼ばれたのは、初めてではない。

用心棒として働き始めてまだひと月だが、すでに琰は秋月屋だけでなく、花街の有名人だ。
そこいらの女郎が束になっても敵わないほどの美貌や、誰にも媚びない態度、それにまったく
愛想のないことで、かえって人気がでたのだ。
秋月屋に通うお大尽の遊びに、琰を座敷に呼ぶこと、そして無愛想な琰の笑顔をなんとかして
見ることが加わった。
噂では、琰の笑顔には数両の価値があるとか。まったくけったいな遊びだと、琰自身は思っている。

惣一郎が琰を呼んだ目的もそうだ。だから、余計に無愛想になる。
「そうつれないコト言わんと。酒でも、どうや?」
「いらん。仕事にさし障るさかい」
「お琰さん、若旦那になんて口のききかたや。若旦那、すんまへん」
「かまへんかまへん」
惣一郎はこの場を面白がっているようだ。あや菊の言葉にひらひら手をふって、少しも怒った
ところはない。

「仕事に障るんやったら、しゃあないな」
粋(すい)な遊びをする者らしく、無理強いするようなコトもしない。
「ほな、これを」
かわりに懐から紙包みを出す。
「どうぞ」

促がされ、仕方なく立って行って紙包みを受け取る。
「開けてんか」
「なんですの?」
手元を覗き込んでくるあや菊の目の前で包みを開けると、なかには色とりどりの菓子が入っている。
指でつまめるほど小さな菓子だが、いくつもツンツンと角のたった珍しい物だ。

「これは”金平糖”いうてな。もとは南蛮渡来の砂糖菓子や」
ひとつ、つまんであや菊の口に。
「いやぁ、甘いわ」
「お琰さんも」
そして、同じように琰にもつまんで口に。

さらりとした甘さが舌の上で広がる。
「甘い」
菓子の珍しさと美味しさに、とうとう琰はほほを緩めてしまった。




  2011.11.16(水)


    
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