数日後、再び神社の祠に集まる。
「小間物屋、どうやった?」
「へえ」
三鶴は頷いて、数字のびっしり書いてる紙を出す。

「これがここ最近の米相場です。で、こっちが小売の価格」
「今年はお米が豊作やて言うてたけど、ちょっとも安くなってないやん」
お駒の言う通り、相場は高値で安定している。当然、小売価格も安くない。
「あんまり米の価格が下がったら、お侍が困るやないでっか」
三鶴が言えば、皆、堀口の顔を見る。

「俺んトコは30俵2人扶持。いまでもカツカツや」
「せやさかい、価格が安定するよう、米は先物取引をしてるんやて」
琰はせんだって惣一郎に聞いた話をして聞かせる。

「難しすぎて、全部はわからしまへんけど」
黙って聞いていた丈吉が、堀口に訊く。
「相場て、いち商人が好き勝手に決めれるもんでっか?」
「それはない」
堀口は低い声で続ける。
「米の相場は、売り手買い手、それぞれの折り合いがつくとこで決まる。手形も切られる。
奉行所も監視してる。いち商人でどうこう出来るモンとちゃう」

「相場はそうでも、手形は違う。これ見てんか」
琰は懐から書面と帳簿を出して見せる。
「若旦那の部屋から持ってきた。米の売買の裏帳簿や」
「こっちは?」
「偽の手形や」

訊いたお駒だけでなく、皆、驚いた顔をする。
「ホンマや。若旦那と用心棒の本多て男が話してた。偽の手形、蔵屋敷番に見せて、支払いを
少なくしてたんや」
にわかには信じがたいが、琰の持ってきた物証を見せられては、信じるしかない。

「番頭(ばんがしら)の岡崎てお侍ですけど」
お駒が言う。
「新月藩て1万5千石の小藩やろ。そのお役人にしては派手な生活してましたで」
「お琰の話からすると、その岡崎も仲間のようやな。せやから、奉行所に事故死で届け出たんや」

「仕事、請けてくれるな?」
確かめるように琰が訊けば、皆、頷く。
「大黒屋惣一郎、用心棒の本多、蔵屋敷番頭の岡崎。この3人や。時刻は明日、夜四ツ
(=午後10時)」

あや菊から預かった大事な金を、琰は1両ずつ並べる。
最初に堀口が、続いて三鶴、お駒が。それぞれ1両ずつ取って祠を出て行く。
最後に丈吉が1両取って、琰の顔を見る。琰は小さく頷いて、残った1両を取って丈吉の後に
ついて祠を出る。

「琰」
歩いて行こうとしたところを、丈吉に呼び止められる。
「なんや」
「あまり、気負うな」

「わかってる」
だが、身体のなかに渦巻く凶暴な気は、静まりそうになかった。



月も風もない、星明りさえも厚い雲がさえぎっている、今夜は真の闇夜。
琰と丈吉は竹林の中に身を潜めて待っている。米問屋の会合に出た惣一郎が、大黒屋へと
帰る道だ。
時刻は夜四ツ。向こうからポツンとひとつ、明かりが近づいてくる。惣一郎の持つ、提灯の
明かりだ。

「いくか」
「ああ」
二人は首のあたりにたゆたわせていた柿茶色の布を、鼻の上まで押しあげる。

仕事が始まる。
まずは、惣一郎と用心棒の本多が充分に近づくのを待つ。あと10間(けん 約18m)、
あと5間…。
そこで、ピタリと立ち止まる。
「どうしました?」
「ネズミが、潜んどる」
さすがに、本多は二人の気配を感じとったらしい。惣一郎を下がらせると、道の真ん中に立って、
刀の柄に手をかける。

自分が立とうとする琰を手で制して、丈吉がゆらりと明かりの中に立つ。
「物盗りか」
言った瞬間、2間もの距離を一気に詰めて、刀を抜いて斬りかかってくる。その速さに、たまらず
丈吉は”正丈”を鞘から半分抜いて、受ける。
続く二の太刀、三の太刀も受けて、スラリと”正丈”を抜く。

「なかなかの腕や」
構えた丈吉に、今度は少し距離をおいて、不用意には踏み込んでこない。
丈吉も、本多の早い攻撃を警戒しているのか、腰をおとして待つばかりで、自分から踏み込んで
いこうとはしない。

琰は、動かなくなった丈吉と本多を見ている惣一郎の後ろに、静かに回りこむ。
闇にまぎれて腕を伸ばし、惣一郎の口を押さえる。
「…っ」
真一文字に、首元を掻っ切る。

手に持っていた提灯が落ち、足元でポゥッと燃える。膝から崩れ落ちる惣一郎の、大きく
見開かれた目と、琰の闇色の目とが一瞬合わさって、離れていく。

「うぅっ!」
丈吉も片がついたようだ。短い断末魔をあげ、本多は倒れていく。

「フーッ」
大きく息を吐いて、丈吉は”正丈”を鞘に納める。そして、まだ立ったままでいる琰の側に来る。
琰の手には、惣一郎の血が付いた短刀が握られている。
「琰」
丈吉に声をかけられ、ようやく息を吐く。短刀を鞘に納めようとするが、手が震えてうまく出来ない。

「もう、ええ」
低く丈吉は言うと、琰の手から短刀を取り、鞘に納める。
仕事の瞬間は、自分でも驚くほど落ち着いていられる。すべての感覚が冴えわたり、こんな
闇夜でも目が見えるほどだ。

だが、仕事が終わったとたん、手が振るえだす。
何度仕事をしても、同じだ。丈吉の声を聞くまで、息をするのも忘れている。
みずからの手で人の命を奪ったことの戦慄が琰の身体にはしり、目を開けていることもできない。

「もうええんや」
丈吉はそんな琰の腕をとって歩きだす。
とにかく、一刻も早くこの場を離れたかった。




  2011.11.30(水)


    
Copyright(C) 2011 KONOHANA SYOMARU. All Rights Recerved.
inserted by 2nt system