琰は秋月屋に泊りこみで働き始める。そうそう用心棒の仕事はないので、掃除、洗濯、料理の
手伝い、何でもやらされる。
それに上衣も同じものを着たきりだと具合が悪いとかで、お仙の指図で女郎の着るような派手な
朱け色の上衣を着せられる。
色白だが唇だけは紅い琰がその上衣を着て、黒い細帯を締めれば、それだけで役者絵から
抜け出てきたかのようなあだっぽさだ。
秋月屋には、ますます琰目当ての客が増えて、お仙を喜ばせる。

幾日か経ったころ、夜見世の閉店(ひけ)る時分に、下働きの女に呼び止められる。
「お琰さんに会いたいて、お侍が」
「お侍?」
とにかく、草履をつっかけて表に出る。
と、いつぞや琰に文を預けた林が立っている。

「あんた」
とたんに、丈吉に早とちりをされた嫌な気分がよみがえる。林は林で、琰の格好と迫力に、ギョッと
したようだ。
「…こっちへ」
動けないでいる林の腕をとって、目立たない場所に引っぱって行く。

「先日はどうも」
「どうも、やあらへんで。あんたの所為で、えらい目に遭うたわ」
「はあ、すんまへん」
勢い込んで言えば、素直に頭を下げる。武士のくせに、ずいぶん腰の低い男だ。
あんまり素直に謝られたものだから、琰は出鼻をくじかれる。

「あんた、林さまやったな。あんたの文、あや菊姐さん読めへんて」
「え。受け取ってもらえへんかったんか?」
「そうと違う」
林はガックリと肩をおとすが、、
「あや菊姐さん、読み書きが出来(でけ)へんね。それで」
「そうか」
琰の言葉に、ホッとした表情を見せる。野暮ったいところはあるものの、基本的に悪い人間では
ないらしい。

「林さまの名前、姐さん覚えてたで。大黒屋の若旦那の酒宴で、一回会(お)うただけやのに」
「それは私が新月藩の人間やからや」
「え?」
「あや菊さんも、新月藩の出らし」
「へぇ」
手練手管に長けたあや菊のこと、酒宴の席で調子を合わせただけかもしれない。琰はそう思った
が、純朴そうな林に告げるのは気がひける。

「大黒屋には、わが藩の米を商うてもろてるんや。それで、一度ここに連れて来てもろて」
「その席に姐さんも」
「せや。あや菊さんは、田舎者の私にも優しく笑(わろ)てくれて」
その時のことを思い出しているのか、林は遠い目をする。

「そんなに姐さんのこと気に入ったんやったら、買(こ)うたらええやないか。ここは女郎屋で、あや菊
姐さんは女郎や」
「買いたいわけと違う」
琰の言葉に、林はムッとした表情を見せる。
「ただ、会(お)うて、新月藩の話を聞かせたいだけや」
そして言いにくそうに、
「それに、私は貧乏やさかい、おいそれとはあや菊さんに会えへんね」

「ほな、あや菊姐さんが張見世に出てくるの、待ってたらよろし」
琰は切り口上でそう結ぶ。よく考えたら、林の話を聞く義理は何もない。
「そうしたいのは、やまやまやけど。私もそう自由のきく身と違う」
「さよか」
武士には武士の規律があって、いろいろと制約があるのだろう。いずれにせよ、琰のあずかり
知らぬところだ。
琰は、ほなと背を向けて秋月屋に戻ろうとする。

「お琰さん、また文を頼まれてんか」
「ええ?」
その琰の袖を握って、林は引きとめる。
「あや菊姐さんは、読み書き出来(でけ)へんねやで」
「お琰さんは?」
「そら、多少は…」

林は、背は琰よりもずいぶん低く、お世辞にも美男子とは言いがたい。ひと目みて、真面目なだけ
が取得の男とわかる。
だが、内に秘めた熱意は相当なもので、諦めも悪そうだ。
「”候文”はかんにんしてや」
とうとう、約束させられてしまう。悪い男にみこまれたものだ。

「お、おおきに」
礼を言って、林は大急ぎで矢立てを取り出し、さらさらと書いていく。
「これ。それと、これを」
言って、懐から握り拳ほどの包みを出す。
「あや菊さんに」
「ああ」
琰が頷いて受け取ったのを見て、ようやくホッとしたのか、鼻の下を指でぬぐう。
指には墨が残っていたのだろう、鼻の下に黒く残って、ヒゲのように見える。

「あんた、ヒゲ」
「え、あ、」
ぼんやりした林の顔についた、いかついヒゲや、林の慌てぶりが可笑しくて、琰はにっこり笑う。
なんにせよ、林は憎めない男だった。



預かった文と包みを、部屋にいるあや菊へ持って上がる。
ちょうど前の客が帰ったところのようだ。寝乱れた布団はもちろん、酒や料理を出してもてなした
跡も、きれいさっぱり片付けさせている。
「あや菊姐さん、今ええか?」
「なんや?」
鏡を見ながら、化粧を直している。自分の身体からも、前の客の痕跡を消しているのだろう。
そうして、次の客をとる。

「また、あのお侍が来たで」
「林さまか?」
琰は”あのお侍”としか言わなかったが、あや菊にはすぐ林のことだとわかったらしい。
「これ、預かった」
懐から文と包みを出して、あや菊に渡す。

「うちは読み書き出来んのに」
「俺が読んだるわ」
あや菊の近くにある行灯の前に座ると、琰は林から預かった文を開く。
「新月の田んぼは、そろそろ穂が出るころです。もう少ししたら、こがね色にかがやきます。その
豊かなながめを、あなたに見せてあげたい。包みの中には、新月の米で作ったにぎり飯が入って
ます。食べてください、やて」

琰にもわかるよう、平易な文で書いてある。
あや菊は黙って聞いて、渡された包みを開けてみる。中にはいびつな形の握り飯がひとつ。
目を閉じて、あや菊は匂いをかぐ。
「新月の、匂いがする」
そして、ひと口、ほおばる。
「ああ。懐かしい味や」

そんなあや菊を見て、本当に新月藩の出だったんだと、琰は思う。そして、あや菊もまた、林の
ことを憎からず想っている、と。
「林さまて、ホンマけったいなお侍やな」
「ふふ。せやな。女郎相手に握り飯、やて」
琰とあや菊、同じようにクスクス笑う。

「姐さん。返事すんのやったら、俺が書いたるわ」
「おおきに」
「あや菊姐さん。お客はんが待ってはります」
あや菊がめったに下げない頭をさげたところで、禿が呼びにくる。

「…わかった」
次の客がついたようだ。あや菊は、もういつもの気の強い、一番の売れっ子の顔に戻っている。
「さ、稼いでくるで」
そう言うと、帯をポンと叩いて、部屋を出ていった。




  2011.11.23(水)


    
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