琰が秋月屋に泊り込んでいることをどうやって知ったのか、珍しく惣一郎は泊まりであや菊につく。
そして、明け六ツ(=午前6時)ごろ、起きて勘定を済ませて帰ろうとするが、
「おや、困った」
「若旦那、どないしはりました?」
「いや、サイフを忘れてきたようや。すまんが、誰ぞ店まで来てくれへんか」
「そんなコトなら」
と、琰が呼ばれる。

「お琰さん。若旦那について、お勘定もろてきてんか」
「ああ」
なんのことはない、付け馬だ。
花街での遊興費は現金払い。もし払えなければ、家まで付いていって、代金をもらってくる。それが
付け馬だ。
他に男衆は何人かいるというのに、まっさきに琰に声をかけるあたり、お仙はよくわきまえている。

付け馬に行くのに、朱け色の上衣はないだろうと、地味な上衣に着替えて、惣一郎と一緒に夜明け
前の薄暗い道を歩く。
「お琰さん、かんにんな。寝てたんやろ」
「かまへん」
「秋月屋の仕事は慣れたか?」
「ボチボチや」
道々、惣一郎はなにかにと琰に話しかけるが、琰はいつも通り、愛想もない。

「ここや」
夜が明けるころ、惣一郎の家、大阪一番の米問屋である大黒屋に着く。
大きな通りに面して、いくつも大八車が置いてあり、そのまわりを何人もの使用人が忙しく立ち
回っている。
「遠慮せんと、どうぞ」
気後れしそうなほどの、大きな店構えだ。だが、惣一郎は平気な顔で入っていく。琰も、後に付いて
入る。

「若旦那、お帰りなさいまし」
すぐに奥から番頭然とした男が飛んでくる。
「ああ、ただいま」
「この方は?」
初老の男は、惣一郎の後ろに立っている琰を上から下までながめて、そう訊く。

「秋月屋のお琰さんや。僕のお客さんやさかい、丁重にな」
「へえ」
「お琰さん、こっちや」
促がされるまま、草履を脱いで奥へとあがる。黒く磨きあげられた廊下をいくつも折れて、ようやく
惣一郎は歩みを止めて、障子をあける。
「ここで、待っててんか」

「俺、勘定だけもろたらええんやけど」
「まあまあ」
穏やかに言って、惣一郎は琰を部屋に残して行ってしまう。
けったいなコトになったと、仕方なく琰は部屋に入り、どっかり胡坐をかく。

ここは客をもてなすための部屋なのだろう。飾ってある軸や置いてある装飾品は、一見して高価な
物ばかりであることがわかる。
開け放たれた障子からは、中庭が見える。築山のある、枯れた風情の庭だ。
さすがに大きな米問屋やと、妙なところで感心する。が、付け馬に来ただけの自分をこんな客間に
通して待たせるなんて、何を考えているのだろうと、いぶかしくも思う。
それとも、これも総一郎の遊びだろうか。

「お待たせ」
吐息をついたところで、総一郎が声をかけて入ってくる。そして、その後から使用人が膳を持って
何人も入ってくる。
「なんや?」
「お琰さん、朝飯まだやろ。食べて行かへんか?」
嫌も応もなく、琰の前に膳が並べられる。そのどれもが手の込んだ料理だ。
「僕もご相伴させてや」

まんまと総一郎の謀(はかりごと)にのったようで面白くないが、飯に罪はない。
「いただきます」
琰は箸をとって食べ始める。
「なんぼでもお代わりしてや。仰山食べるんやろ」
「あや菊姐さんに、聞いたんか」
2杯目の飯を遠慮なくお代わりする琰に目を細めて、総一郎は言う。
「せや。お琰さんは、菩薩の顔して餓鬼の食欲や、てね」

「そうか」
事実だから仕方がないが、総一郎にはあまり自分のことを知られたくない。
総一郎は、表面では粋(すい)な遊びをする優しげな若旦那だが、そのじつ、目的のためには
手段を選ばないような、怖い人間のようだ。
こうやって自分と飯を食べるために、周到に用意をしているあたり、油断のならない人物のように、
琰には思える。

「ごちそうさま」
「はい。腹一杯になったか?」
「おかげさんで」
一刻も早く、勘定をもらってここを立ち去りたい。

「俺、もう戻らなあかんのやけど」
「え? もうか? まだええやないか」
「大飯食らいがたたって、いいようにコキ使われてんね」
「ホンマか? ほな、こっちへ」
琰の言葉に気持ちよく笑って、総一郎は立ち上がる。やはり無理強いするようなことはしないようで、
いくぶんホッとする。

こんどこそ勘定をと、後をついて奥へ。いくつも立派な蔵の並んだ、広い庭に面した廊下に出る。
「大きな蔵やな」
「ああ。ここの他に、まだいくつか水路ぞいにあるけどな」
「大きな商いや。藩米も扱こうてんのやろ」
琰の問いに、総一郎は腕を組んで大きく頷く。

「大阪だけやない。近畿、紀州、いろんなとこから米が集まってくる」
「ほな、米は好きなだけ食べれんのやな」
「それは違う」
総一郎はわざわざ琰に向き直る。

「僕ら米問屋にとって、米は商品や。集まった米を蔵に預って、相場をみて、売って利益をあげる」
「ふぅん」
「藩米かて、そうや。余った年貢米預って、藩のお役人の代わりに売る。売った代金を、藩の
お役人は江戸屋敷や藩に送金する。お互い、持ちつ持たれつなんや」
琰には難しいことはわからないが、そんな商いをしているからこんなにも羽振りがいいのかと、
少し納得する。

「あんた、根っからの商人(あきんど)なんやな」
「お琰さんに褒めてもろて、なんや嬉しいわ」
まんざらでもない表情で笑うが、
「商人は、儲けてなんぼ、利益をあげてなんぼや。僕は金を使うのも好きやけど、儲けるのは
もっと好きなんや」
次の瞬間には、油断のならない目でそう言う。

「変な話になってしもたな。かんにん。…こっち、来てんか」
だが、すぐにいつもの柔和な顔に戻って、庭へと琰を誘う。
草履を借りて付いて行けば、ひとりの男が座っている。男の前には肩幅くらいある鍋が置いてある。その底は丸みを帯びており、男の方をむいて斜めに取り付けてある。

「始めてんか」
「へえ」
惣一郎の言葉に男は頷いて、鍋を固定している枠の横から出ている木の棒を回し始める。すると、
鍋も回り始める。鍋の中には何か入っているのか、とたんにサーサーと小石がぶつかるような音が
し始める。

「なんや?」
「ん? これな、金平糖作ってんね」
「金平糖を?」
惣一郎にもらった、あの珍しい砂糖菓子だ。

「近くで見てみるか?」
近くに行けば、鍋が下から熱せられているのがわかる。男は様子を見ながら、鍋の中に柄杓
(ひしゃく)で何かをくんで入れている。
とたんに、甘い匂いがあたりにただよい始める。

「金平糖の角な、あれ、ああやって熱い鍋の中に砂糖を煮詰めた蜜打って、ひっついてはがれて、
大きくなっていくそうや」
「へえ」
「最初はけし粒くらいの核から始まって、あっちひっつき、こっちひっつきして、金平糖て出来るん
やて。10日以上かかるそうや」
「そんなに」
素直に驚く。

「珍しい菓子やけど、あんた、自分とこで作ってたんやな」
「なに言うてんね」
金平糖の出来ぐあいを見て、惣一郎は頷く。と、男は鍋をまわす手をとめる。
「せんだって、お琰さんが気に入ったようやさかい、京から職人に来てもろたんや。…おおきに」
鍋の中から、出来たての金平糖をいくつかもらって、紙に包む。

「これ、お駄賃や。持っておいで」
自分と朝飯を食べるために秋月屋に泊まって付け馬をさせ、自分を喜ばせるためにわざわざ
京から菓子職人を呼んでいる。
そして、にこにこ笑って金平糖を差し出している。

これが、大黒屋惣一郎という男なのだ。
「おおきに」
嫌いではない。だが、好きにはなれなかった。




  2011.11.23(水)


    
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