次の日、昼四ツ(=午前10時)すぎに秋月屋に行く。あや菊は風呂と飯も終わり、昼見世の
仕度をしているところだ。
「あんた、今日は来(こ)おへん日やなかったん?」
「あや菊姐さんに、会いに来てん」

腰巻ひとつで化粧をする横に、琰は座って、
「…仕事人から、連絡が来た」
「えっ」
あや菊は一瞬、手をとめる。

「林さまの恨み、晴らした、て」
新月藩、蔵屋敷番頭の岡崎も、堀口の手で引導を渡された。
「そう」

つぶやくように言って、短く息を吐く。
そして、化粧箱の奥から何枚もの紙片を出す。手近の煙草盆をひき寄せ、1枚破って中に
入れる。
「姐さん、それ…」
林から来た文だ。あや菊は大事にしまっておいたそれを、1枚、また1枚、破って入れていく。
薄い紙片は炭にあぶられて、あっという間に灰になっていく。

「ええんか?」
「ええねん」
最後の1枚を燃やして、
「さ、これでお終い。あんたも、早よ忘れてまい」
さっぱりとした声で言うと、再び忙しく手を動かして化粧を始める。

あや菊が本当に林のことを忘れられるかどうか、琰にはわからない。だが、化粧の下にすべての
感情を隠して、これからも秋月屋のあや菊として、生きていくだろう。

「せや。俺、新月の新米、食うたで。美味かったわ」
そんなあや菊の姿が、ほんの少し哀しくて、琰は明るい声で言う。
「あんたのこっちゃ、5合は食うたんやろ」
「そんなに食うかいな。せいぜい4合半や」
「たいしてかわらへん」
軽口をケラケラ笑い飛ばす。

「うん。あや菊姐さんは、笑てるほうがええ」
「アホ。口説いてるつもりか? 子供のくせに、生意気や」
琰の鼻をはじいて、立ち上がる。
「さ、きばって稼ぐで」
キレイに化粧をして、髪を高く結って、きらびやかな上衣を身につけて、あや菊は胸をはって
張見世に出ていく。

その堂々とした後ろ姿を、琰は惚れ惚れと見送った。



花街の門をくぐり、橋を渡れば丈吉が待っている。
「丈さん」
「行こか」
声をかければ、頷いて歩きだす。琰も並んで、川沿いの道を歩く。

川の両岸にある土手には、曼珠沙華がいまを盛りと咲いている。
「丈さん、この花、なんて花か、知ってるか?」
立ち止まって訊けば、首を振る。
「曼珠沙華や。極楽に咲く花て、意味なんやて」
「そうなんか」

「あや菊姐さんは、この花は、地獄の業火に焼かれる女郎の姿に見えるて、言うてた」
腰をおろせば、丈吉も隣に座る。
「俺も、きっと、地獄の業火に焼かれるんや」
一面の曼珠沙華の紅い花は、ごうごうと炎をあげて燃えさかっているように、琰には見える。
自分の手を燃やし足を燃やし、上衣に燃えうつって、髪を燃やし…。

「…っ」
きつく、自分の肩を抱いて目をつぶる。
「琰」
呼ばれて、丈吉の顔を見る。なんとも苦げに眉根を寄せている。
「かんにんや、琰。俺が、おまえを仕事人にしたばかりに、こんな業を背負わせてしもて」

仕事をするたびに、琰は手を震わせ、おののき、息も出来なくなる。何度仕事をしても、同じだ。
そんな琰の姿を知っているからこそ、丈吉は琰を仕事人にしたことを悔やんでいる。
「丈さん」
「けど、他に生きる道はないんや。俺たちは、仕事人として生きるしか」

「わかってる」
丈吉の懊悩とした気持ちが、痛いほど伝わってくる。
丈吉が自分を仕事人にしたのは、生き延びて欲しかったからだ。あの時はほかに方法がなかった。
琰とて充分にわかっている。後悔はしていない。だから、気に病む必要はないのだ。
悲痛な声でつぶやく丈吉に、琰はうっすら微笑む。

「わかってるんや」
「俺も、一緒に地獄におちる」
顔をあげ、まっすぐに琰の目を見て、丈吉は言う。
「地獄でも、一緒や」

「おおきに」
琰は固く握りしめた丈吉の手の上に、自分の手を重ねる。
「丈さんが一緒やったら、地獄も俺には極楽とかわらんわ」

「琰」
丈吉は空いた方の手で琰の頭を抱き寄せる。
指で髪をすき、耳元で何度もかんにんと言う。

一瞬、あたりが日の光に包まれる。曼珠沙華が、キラキラと光を反射して紅く輝いている。まるで、
極楽の雲の上にいるような、そんな美しい光景だ。
…俺にとって、丈さんがおるトコが、極楽なんや。
琰はその気持ちを伝えるかわりに、丈吉の肩に自分の頭を預ける。

暖かい風が、二人の間を吹き抜けていった。


                                              ―おわり

  2011.12.03(土)


    
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