待ち合わせした橋のたもとに、三鶴(みつる)はほぼ時間どおりにやって来る。
「かんにんな、お琰ちゃん。待ったか?」
「いや」
相変わらず、人の好く笑顔を見せる。
三鶴はとりたてて美形というわけではないが、面立ちが優しく人当たりもいいので、相手に
警戒心を抱かせない。

「待たせたお詫びに、今日はオゴッたるわ」
「ええよ」
「ええから。遠慮はなしやで」
「ほな」

そして、三鶴のよく行く小料理屋に案内される。
「今日はひとりか? 丈兄ぃは?」
奥まった席に、入り口を背にして座らせてくれる。ここなら落ち着いて話もできるだろう。
そんな三鶴の気遣いが、琰には嬉しい。
「ひとりや。丈さんは来(こ)ぉへん」
「珍し。よう丈兄ぃがお琰ちゃんをひとりで歩かせたもんやで」
「俺、子供とちゃうで」

頼んだ料理が並ぶまで、軽口を叩く。
三鶴は丈吉の職人仲間で、弟分だ。そして、琰や丈吉と同じ、仕事人でもある。
だが、裏の顔を持つ人間にありがちな、どこかいびつな感じはまったくない。
本当に、普通なのだ。そこが三鶴の底知れないところだと、琰は思っている。

しばらくは美味い料理を食べながら世間話をしていたが、空の徳利がいくつか並ぶころ、
「で、今日はなに?」
三鶴は本当の目的を訊いてくる。

「なに、て」
「なんもなくて、お琰ちゃんが俺を誘うか? 丈兄ぃもいてないのに」
「せやな」

琰にしろ、言い出す機会を計っていたところだ。ぐい飲みに残った酒を干して、丈吉とした話を
聞かせる。
「…なるほどねぇ」
「丈さんに付いてかじ屋になるのも考えたけど、それはアカンて言われるし。師匠にもスジは
ええけど、小唄は趣味にしとけ言われるし」
「せやから、俺に」
琰は大真面目な顔で頷く。

「確かに、自分の食い扶持くらい自分で稼げるようにならんとアカンな。お琰ちゃんは見かけに
よらず、大飯食らいやさけ」
「見かけによらず、は余計や。けど、ホンマ、真剣やねん」
「真剣かぁ」
空になったぐい飲みを、手の中で遊ばせながら、三鶴は黙ってしまう。

三鶴とて、琰を知って親しくつき合い始めて2年たつ。
琰の性格から考えて、丈吉や自分のような職人は無理だろう。芸事を教えるのも、お駒の
言うとおり、愛想もこそもないので無理。いまさら商家に奉公するのも無理。
丈吉相手にはくるくるとよくかわる表情も、他の者の前ではとたんに無愛想になってしまう。
なまじ顔立ちが半端なくキレイなだけに、余計いけない。

「う~ん」
「鶴やん」
すっかり頭を抱え込んでしまった三鶴に、琰は手を合わせる真似をする。
「もう鶴やんしかおらへんね」

「…ひとつ、心当たりがないコトもないけど」
「え、ホンマ?」
とたんに、琰は身を乗り出して訊いてくる。
「心当たりて、なに?」

「けど、丈兄ぃがうんて言うかどうか…」
言いしぶる三鶴に、
「丈さんは俺自身で決めろ言うてたで」
「う…ん」
そう言う琰の顔を、三鶴はじっと見つめる。そして、しばらく考えたあと、
「ほな、行くだけ行ってみるか」
ぐい飲みを置いて、立ち上がる。

「え? 今から?」
「せや。善は急げ、てね」
人の好く笑顔を見せ、勘定を済ませて小料理屋を出る。

「今時分から行くんか?」
後から付いて歩く琰が訊くのも無理はない。三鶴と待ち合わせをして小料理屋に入ったのは
夕刻。そこでさんざん飲み食いして、いまはとっぷり日も暮れている。
いかな琰とて、人や店を訪ねる時間でないことくらいわかる。
「もう遅いし。大丈夫なん?」
「大丈夫や」
しかし、三鶴はいっかな平気な顔で、スタスタと先を歩いて行く。

しばらく黙ってついて行くと、川向こうにやけに明るい一角が見えてくる。そこに近づくにつれ、
賑やかな声や音が大きくなっていく。
三鶴は橋を渡り大きな門をくぐって、中へ。

大きな通りに面して、何軒もの建物がひしめきあっている。こんな遅い時間だというのに、
煌々と明かりが照らされ、ひっきりなしの人通りだ。そのどれもが男、男、男。
そして、建物の中、太い木枠に囲まれた籬(まがき)から白い手を出して誘う女、女、女。

「鶴やん、ここは…」
「ああ。花街や」
そう。三鶴が琰を連れて来たのは、女郎屋の建ち並ぶ花街だ。
三鶴は慣れた様子で人ごみを避けながら、さらに奥へ。その一角では一番立派な造りの
女郎屋の前でようやく止まる。

「ここや」
”秋月屋”と提灯のかかったこの女郎屋は、男の笑い声や女の嬌声で、うるさいほどに
賑わっている。
「お琰ちゃん、こっちこっち」
琰に手招きしておいて、三鶴はひょいと角を曲がり、秋月屋の裏口とおぼしきところに来る。

「女将さん、いてますか? 小間物屋の三鶴でっけど」
そこで案内を請えば、ほどなく中に通される。
「ええか、お琰ちゃん。俺がええて言うまで、顔あげたらアカンで」
案内された奥の部屋で並んで待ちながら、三鶴は琰をキチンと座らせる。
妙なことになった、と半ばあきれながらも、琰は素直に言うことをきく。

ほどなく人の気配がして、襖が開けられる。
「おや、三鶴さん」
声をかけて、小柄な女が入ってくる。年の頃なら50くらいだろうか。髪には白いものが混じって
いるが、なかなか如才ない目をしている。
「女将さん、ご無沙汰です」
「ほんまやで。商売の方はどうや?」
「はぁ、ボチボチです」

三鶴とは旧知の仲らしく、気安くあいさつしている。
「で、今日は?」
「へえ。まえ女将さん男手が欲し、言うてたでしょ?」
「ええ」
「この子、どうです? お琰ちゃん、顔あげて、女将さんにあいさつしてんか」

ようやく許しがでる。
琰はゆっくりと顔をあげ、正面に座る女の目を見る。
「こ、こりゃあ…」

女の目が驚きでいっぱいに開き、そして細められる。一瞬、息を飲んだのがわかる。
「琰や」
名前だけ告げる。もちろん愛想笑いなぞしない。

「いや、驚いた」
女はようやく息を吐く。
「私も長らく女郎屋をしてるけど、こんなキレイな子、ついぞ見たコトないわ」
「ですやろ」
女の言葉にウソはないだろう。三鶴はにっこり笑う。

「どうです。女将さんとこで、使(つこ)てもらえまっか?」
「そりゃ、あんた。この子やったら、イチもニもなく」
「お琰ちゃんはこの通り、上品な言葉も使えんし、愛想笑いも出来(でけ)まへんけど」
「かまへん。せやな、明日からでもおいで」
どうやら、雇ってもらえるようだ。

「お琰さん、いうたな。私はここの女将でお仙(せん)や」
「よろしゅう」
ほっとして、つい笑みがこぼれる。

「あ、あらまぁ」
と、海千山千のはずのお仙が、目をそらしてしまう。
「よかったな、お琰ちゃん。ほな女将さん、おおきに」
三鶴はもう一度、丁寧に頭を下げると、琰を伴って部屋を出る。

「明日からやて。ホンマ、よかったな」
「う…ん」
働く場所ができたのはいいが、なんとなく素直に喜べない。
「なんや。嬉しないんか?」
「いや、そやないけど。ここて女郎屋やろ。俺、ここでなにすんね?」

「ああ、そうか。言うてへんかったか」
三鶴はわざわざ立ち止まり、
「ここの用心棒や」
言って、にっこり笑った。




  2011.11.12(土)


    
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