うすく目を開ければ、壁の隙間から光が差し込んでいる。すでに日は高く昇っているようだ。
どうやら、昨夜はあのまま眠ったようで、何一つ身に着けてはいないが、かわりに丈吉の上衣が
かけてある。
琰はその上衣を抱きしめて、大きく息を吸う。昨夜、暗闇の中で身近に感じた丈吉の匂いがして、
たまらない気持ちになる。

「あ、目ぇ覚めたか」
そこへ、丈吉が入ってくる。どうにも締りのない顔を見られてしまう。
「なんや、ニヤニヤして」
「なんでもない」
「けったいなヤツ」
フッと笑って、椀を出してくる。

「じき飯にするけど、もう少し寝とくか?」
「いや、起きる」
答えて立ち上がり、手早く下帯と上衣を着ける。その間に丈吉は朝飯の仕度をする。

朝飯といっても、昨日の残りの冷や飯に、タクワンの切れ端がいくつかあるだけだ。
「ほな、いただきます」
2人そろって手を合わせ、文句も言わずに食べ始める。
「丈さん、かんにんな。俺がせなアカンのに」
「ああ、かまへん」
琰は外に働きに出ているが、時間がある時には今までどおり家事もする。だから、丈吉に飯の
仕度をしてもらうのは、いくぶん気がひける。

「いうても昨日の残りモンや。それに、」
丈吉は少し声をおとして、
「今朝は、寝かせといてやりたかったんや」
ボソボソと言う。
「丈さん」
そんな、丈吉の気遣いが、本当に嬉しい。

「おおきに」
「アホ。早よ食え」
照れて下を向いてしまった丈吉に、琰はにっこり笑う。
「けど、ホンマ。おまえ少し疲れてんのとちゃうか?」
「う…ん、まあ」
あいまいに頷く。

「そら、今までと寝る時間も起きる時間も違うさかいな。多少は。けど、じき慣れるやろ」
「なら、ええけど。なんぞ食いたいモン、ないか?」
「大丈夫や。…せや」
そこで、ひょいと昨日もらった菓子のことを思い出す。

「丈さん、これ」
たしか袂に入れていたはずと、探れば紙包みが出てくる。と、一緒に預かった文も出てきて落ちる。
「ん、これなんや?」
琰が拾うより先に、丈吉が拾う。

「ああ。それ、ゆうべ渡されたんや」
「へぇ」
秋月屋の女郎、あや菊にと預かって、渡せないまま持ち帰った文だ。丈吉はそれを開いてみる。
読みすすむうち、だんだん表情が険しくなっていく。

「…これ、お侍の文やな」
「せや。林…なんやったかいな」
「そのお侍、おまえとどういう関係や?」
「は?」
関係もなにも、ゆうべ初めて会った男だ。強引に文を預かっただけの男だ。

「この文、酒の席で会(お)うて、菩薩のようにキレイで優しい姿が忘れられん、て。また、会いたいて、
そう書いてある」
丈吉は武士の出だ。琰の読めなかった”候文”の文が読めて、あたりまえだ。
だが、その文の内容が付け文(=恋文)だったことが、丈吉を不機嫌にしている。

「丈さん、違うんや」
「違うもなにも。おまえは酒の席にも呼ばれるんか?」
確かに、何度も呼ばれている。
「おまえは用心棒やなく、女郎まがいのコト、してるんか!」
「そ、」
否定しようとした口は、途中で閉じられる。
自分の感情をモノとして扱われ、秋月屋に来る客の遊びの対象になっているのは、不本意だが
事実だ。
「どうなんや!」

自分でも、そんな扱いをされるのは嫌だ。だが、そのことを丈吉に知られるのは、もっと嫌だ。
「俺は女郎と違う」
「同ンなじや! 酒の席に呼ばれて! 知らん相手から付け文もろて!」
「違うっ!」
「違わへん! おまえは女郎なんか!」
丈吉の言葉が、琰の胸をえぐる。

「もう知らんっ!」
そのまま、外へ飛び出る。
滅茶苦茶に走って、橋のたもとでようやく停まる。
「ハァハァ…」
荒い息が整うころ、少し気持ちが落ち着く。付け文を渡されたといっても、琰にではなく、あや菊にだ。
琰は預かっただけにすぎない。
だいたいが丈吉の早とちりだ。

ただ、本意ではないにせよ、琰が客の遊びの対象になっているのは事実だ。自分でも面白くない
そこを丈吉になじられ、思わずカッとなって出てきてしまった。
「はぁ」
ため息が出る。このまま、丈吉のもとに帰ろうかとも考えたが、飛び出してきた手前、そんなに
簡単に戻るのもシャクだ。
さりとて、行くあてもない。
琰は途方にくれてしまった。



仕方なく、秋月屋へ行く。
「あら、こんな時分から。珍し」
裏口から入れば、ちょうど朝の入浴が終わったあや菊に声をかけられる。化粧をしていない顔を
初めて見るが、自分と同じくらいの年にみえる。
「女将さんに呼ばれて、早よ来たん?」
「そうとちゃう」

「ふぅん」
上目使いでそう言ったっきり、あとは何も訊いてこない。
「じき飯が出るで。あんたも食うたらええわ」
言われて、まだ朝飯が途中だったのを思い出す。

あや菊ほどの女郎になると、自分専用の部屋を持っている。部屋に琰の分まで飯を用意させ、
さっそく食べ始める。
「あんた、キレイな顔して仰山食うなぁ」
琰の大食らいに、あや菊は驚いたようだ。

「まだ朝飯の途中やったんや」
「へぇ。飯を途中で放り出して、ここに来て食うてんのか? けったいな子や」
「俺、子供とちゃうし。…それに、半分、姐さんの所為やで」
「うちの?」
不思議そうに訊いてくるのに、あや菊あてに預かった付け文を自分あてと誤解されて、飛び出して
来たことを話す。

「あんまり腹が立ったもんやさかい、その文、持って来てないんや」
「そらかまへん。どうせ、うちは読み書き出来(でけ)へんし。けど、」
ここであや菊はにんまり笑って、
「通いの用心棒やなんて、けったいやと思てたけど、妬くような相手がおったからやな」
「言うとき」
丈吉のコトを言われると、自然と口元がほころぶ。

「あんた、ホンマにその相手に惚れてんのやな」
そんな琰を見て、呆れたとも羨ましいともつかぬ声音で、あや菊は言う。
「うん。俺の命や」
「ようまぁ、ぬけぬけと」
空になった椀を片付けると、上衣を脱いで、琰が部屋にいても平気で腰巻ひとつになる。
昼八ツ(=午後2時)には”昼見世”に出るので、身支度を始めたのだ。

「で、あんたが文を預かったお侍て、知ってる人か?」
「いや。初めて見たヤツや」
あや菊の手が舞うように動いて女郎が出来ていくのを、琰は興味深げに見ている。
「確か、新月藩士、林なんたら、言うてたな」

「新月藩の林さま? 林春俊さま?」
「ああ。そんな名前やった」
あや菊は手を止めて、鏡の中から琰を見つめる。
「あや菊姐さんの、情人か?」
「アホか」
一瞬、あや菊の見せた狼狽に琰はそう訊くが、一笑に伏される。

「林さまは、大黒屋の若旦那の酒宴で会(お)うた方や。それもたった一度だけ」
「へぇ」
ただそれだけの相手ではなさそうだが、深くは詮索しない。

「さ、おしゃべりは終わり。きばって稼がな」
化粧をし、高く髪を結い上げ、きらびやかな上衣を身に着けて、女郎のあや菊が出来る。客に
自分を高く買ってもらうことだけを考える、手練手管に長けた女郎だ。
張見世へと胸をはって歩いていくその後ろ姿を見送りながら、どうにも琰は一瞬あや菊の見せた
狼狽の色が気になっていた。




  2011.11.19(土)


    
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