琰は、もう次の日には丈吉の元へ帰り、そこから秋月屋に通い始める。

いつの間にか暑い盛りは過ぎ、秋風のたつ季節に変わっている。
相変わらず、林は2、3日おきに来ては、あや菊と文をやりとりしている。
今夜も琰はあや菊あての文を預り、あや菊に読んで聞かせる。
「もうしばらくしたら、新月の新米がとれます。そしたら、あや菊さんに会いに来ます。新米で
にぎり飯をつくって、会いに来ます。あや菊さんに、腹いっぱい食べさせたい、て」

黙って聞いているあや菊の表情は、ほとんど変わらない。が、目が違う。なんとも言えない、
優しい目をしている。
「…よかったな」
文をキチンと畳んで、あや菊に渡す。

あや菊はそっと受け取ると、化粧箱の奥に大切にしまう。
「林さま、ようやく会いに来るんやな」
「せやな」
その時のことを考えているのだろうか。心なしか、あや菊はほほを染めているように見える。
「けど、女郎相手ににぎり飯持って来るやなんて、野暮な男はいやや」
「ほな、そう返事に書いとくわ」
「えっ」

驚いたように、琰の顔を見る。その目は何よりも雄弁にあや菊の心を物語っている。
「ウソや。ちゃんと、首を長くして待ってますて、書いとくわ」
「なんや、いちびって」
あや菊は琰を小突くまねをすると、立って、開け放された窓から外を見る。

そこからは、煌々と明かりのついた花街と、川を挟んですでに暗く寝静まった街が見える。
「お琰さん。もう少ししたら、新米が採れるころには、あの川の土手に花が仰山咲くねん」
「へぇ」
琰も立っていって、並んで外を見る。

「紅い、曼珠沙華(まんじゅしゃか)の花や。知ってるか?」
細い茎に、紅蓮の炎を思わせる花弁を乗せた花だ。
「キレイな花や」
「キレイか…」
あや菊はつぶやいて、
「うちが生まれたトコは、新月でも山奥の、貧しい村やった。とにかく貧乏でな。年貢の払えん
かわりに、うちはここに売られてきたんや」
あや菊は目の前を流れる川の、さらに向こう、ずっと遠くを見ている。

「毎年、新米が採れるころには、田んぼのあぜ道に曼珠沙華の花が仰山咲いて、それはそれは
キレイやった。あの頃、曼珠沙華は嬉しい花やったんや」
「うん」
「…あんた、なんであの花が曼珠沙華て呼ばれるか、知ってるか?」
「いや」
「極楽に咲く花て、意味らし。…ここは、男には極楽やけど、女には地獄や」
淡々と語る。

「うちには、あの花は極楽の花やなんておキレイなもんやなく、地獄の業火に焼かれる女郎の姿に
見えるわ」
琰は、黙って聞いている。
「けど、今年の曼珠沙華は、少しは違う花に見えるかもしれん」
ほんの少しだけ声の調子をかえて、あや菊は言う。
「そうなると、ええな」
本気で、琰はそう思った。



だが、その夜以降、ぱったり林は来なくなる。米の収穫時期だから、一度国元に帰っているのか、
それとも別の理由があるのか。
ともあれ、3日と開けず来ていた林が来ないことで、あや菊はひどく気落ちしているようだ。心なしか、
後ろ姿が小さく見える。
気にかかるのは琰とて同じこと。しかし、こちらから林を訪ねて行くのは憚(はばか)られる。

そして、7日が経った頃。
前日から出ていた厚い雲が、とうとう明け方には弱い雨を降らせ始める。
「雨か…」
ドンドン! ドンドン!
激しく戸が叩かれる音で、琰も丈吉も完全に目が覚める。

「番屋からの使いや! 開けてんか!」
丈吉が起きて、戸を開ける。走って来たのか、そこには息を乱した男が立っている。
「なんや、朝早うから」
「”お琰さん”という者はいてるか?」

「琰は俺やけど」
「同心の堀口さまがお呼びや。付いて来てんか」
「ダンナが?」
堀口が、しかもこんな朝早くから、何の用だろう。琰は丈吉と顔を見合わせる。
心当たりはないが、早く早くと急かす男の後をついて、堀口の待つ番屋まで、弱い雨のなかを
丈吉と走る。

「堀口さま、連れて来ました」
腕を組んで、上がりかまちに腰かけていた堀口は、2人の姿を認めると立ち上がる。
「上がれ」
短くそれだけ言うと、草履を脱いで奥へと通じる襖を開ける。続いて奥へ入れば、筵(むしろ)に
覆われた何かが横たわっている。

堀口は片ひざをついて、筵をめくる。
そこには、武士の亡骸が。
「お琰。おまえ、この方知ってるか?」
「…新月藩士、林春俊さまや」
林の、変わり果てた姿だ。

「ダンナ、このお侍、どこで」
きつく口元を結ぶ琰の代わりに、丈吉が訊く。
「葦の原で、今朝方早く見つかったんや。どこぞの藩の方やろうと思たが、新月藩の方か」
「どうして、琰に」
「お琰あての文を持ってた。これや」
堀口が懐から出した文を、琰はひったくるように受けとる。そこには、しばらく用があって秋月屋に
行けないので、あや菊によろしく伝えてほしい旨が書いてある。

「林さまの、死因は?」
読み終わった琰は、低い声で訊く。
堀口は黙って、筵を全部めくる。林の着物の前が、大きく斬られている。それも、たった二太刀。
命を奪おうとして、迷いなくつけられた刀傷だ。林はあっと思うまもなく絶命しただろう。手練れの
仕業だ。

「下手人は?」
武士が殺されたのだ。当然、厳しく下手人を吟味しなけらばならない。
「それは今からや。その前に、新月藩に知らせなならん」
堀口は、さっき琰を呼びに来た男に、蔵屋敷まで行くよう言いつける。そこなら新月藩の人間が
詰めているだろう。

男が出て行けば、番屋の中には琰と丈吉、堀口の3人だけとなる。
「お琰、知り合いか?」
琰は硬い表情のまま、小さく頷く。
「林さまは、俺が働いてる秋月屋の客で、女郎のあや菊姐さんの想い人やった。それが、なんで…」

「かじ屋、この刀傷、どう思う?」
丈吉に訊く。堀口もまた仕事人。丈吉や琰が殺傷ごとに慣れているのを熟知している。
「かなり手練れの仕業です。太刀筋に迷いがない。殺す目的で斬ってる」
「狙われた理由はなんや? 恨みをかってたんか?」

「それはない」
強く否定する。林は腰が低く、女郎や用心棒でさえ”さん”付けで呼ぶ、愚直さだけが取得のような
男だ。恨んだり恨まれたり、そんなことはない。
「懐中物は? なんぞ盗られてるモンは?」
「いや、サイフも持ち物も、ちゃんとある」
丈吉は物盗りを疑ったようだが、それも違う。

「ただ、こんな書きつけが」
そう言って堀口が広げた紙には、ところどころ雨に流れて読めないところがあるが、びっしりと
数字が書いてある。
「これ、なんです?」
「それが、わからへんのや」
「林さまは、藩米を蔵屋敷に収めて、米問屋と交渉する蔵屋敷番やった。自分は”やっとう”は
からきしやけど、ソロバンは達者や、て」
その林が身につけていた物だから、何か意味があるに違いないのだが、それがわからない。

「ともかく、あとは新月藩の役人の仕事や」
切り口上でそう結んで、堀口は立ち上がる。
「朝早よから騒動かけたな」
暗に戻れと言っている。ここいらがシオだろう。
琰は林の冷たい亡骸に手を合わせる。
そして、なんと言ってあや菊にこのことを伝えようか、やるせない気持ちでいっぱいになった。




  2011.11.26(土)


    
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