その夜、やっと見れた琰の笑顔に、惣一郎は上機嫌で帰っていく。
「お琰さん、ええ仕事したな」
いつもは厳しい顔のお仙も、ホクホク顔でそれを見送る。惣一郎からたんまりと祝儀をもらった
のだろう。

「別に、俺は」
「これからも、頼んまっせ」
お仙が琰の無愛想を咎めないのは、こういう狙いがあってのことだ。めったに見せない琰の
笑顔に、客は興味を示し、価値を吊り上げていく。
さすが女郎屋の女将だけあって、抜け目のないことだ。

だが、琰自身は面白くない。
「あや菊姐さん」
だから、惣一郎を見送って2階へ上がっていくあや菊の後を追って、部屋の前で呼び止める。
「なんや?」
「これ」
そして、金平糖の入った紙包みを懐から出す。

「姐さんのモンや」
「アホ」
しかし、あや菊は包みを一瞥しただけで、自分の部屋に入る。
「ちょお、姐さん」
琰も中に入る。あや菊は入って来た琰と向き合う。

「それは、あんたが若旦那にもろたモンやろ。あんたのモンや」
「せやけど。俺、もらえんわ」
「あんなぁ」
ひとつ、前に出る。髪を高く結ってさえ、琰の鼻より下だ。なのに、きつく睨みつけて目線を
はずさない。

「あんたがもろたモン、うちがもらえるわけないやろ。それとも、うちを哀れんでんのか」
「そうとちゃう」
「お琰さん。あんたなぁ、自分の感情がモノみたいに扱われんの、嫌なんやろ」
その通りだ。ずばりと言われてしまう。

「うちら女郎は、感情も身体も、なんもかんもモノとして扱われてる。けどな、逆にそれが金に
なるんやったら、せいぜい高う買(こ)うてもろた方がマシやろ。違うか?」
「姐さん」
「うちは何時かて、自分を一番高う買(こ)うてもらえる方法を考えてる」
本当に言いたいことを知ろうと、琰はじっとあや菊の顔を見る。さっきまでの険のある目では
なく、いくぶん穏やかな目になっている。
そして、その奥には少しだけ哀しい色が混じっている。

「あんたも、せいぜい自分を高う売るコトやな」
「俺は女郎とちゃうで」
「同ンなじようなモンや」
フンと鼻で笑って、あや菊は琰に背を向ける。

「あや菊姐さん…」
「お琰さん!」
しかし、何かあや菊に声をかけようとした琰の声は、階下からの声にかき消される。
「呼ばれてるで。早よ行き」
「ああ」
小さく頷いて、部屋を出る。金平糖の紙包みを、いくぶん素直な気持ちで袂(たもと)にしまえた。



階下に下りれば、下働きの女が寄ってくる。
「表に、なんや怪しいヤツがおるとか」
「わかった」
こんどは用心棒の仕事らしい。琰は草履をつっかけると、そのまま外に出る。
今は夜四ツ(=午後10時)ごろだろうか。そろそろ閉店(ひけ)の時刻だが、まだまだ通りには
女郎を買いに来た男が三々五々と歩いている。

さて怪しいヤツは、と辺りを見回すと、通りの向こうから秋月屋の様子を伺っている男がいる。
琰はまっすぐその男に近づくと、
「あんた」
声をかける。

「え」
近づいてみれば、男は武士のようだ。キチンと髷を結った、二本差し。年は自分より少し上だろうか。
ただ、ずいぶん野暮ったい格好をしており、あまり花街には慣れていないようにもみえる。
「あんた、秋月屋に用があるんか?」
相手が武士であろうが、琰はおかまいなしだ。無遠慮な口をきく。

「いや、私は、」
「女郎を買いに来たんか?」
「い、いや、それは」
「なら商売の邪魔や。早よ去(い)ね」
上から睨みつける。たいていの相手は、これを琰にやられると毒気を抜かれて、素直に言うことを
聞くものだが、この男は違う。

「あなたは、秋月屋のひとか?」
遠慮がちではあるが、しっかりした声で訊いてくる。
「せや。秋月屋の琰や」
思わず、琰は名乗ってしまう。
「私は新月(しんげつ)藩士、林春俊(はやしはるとし)という者や。これを、あや菊さんに」
「あや菊姐さん?」

林と名乗る武士の手には、紙片が握られている。
「あや菊さんに、渡してくれへんか」
「お、おい」
それだけ言うと、強引に琰の手に紙片を押しつけて行ってしまう。

「なんや」
後に残った琰は、手元の紙片に目をおとす。畳み込まれたそれを開いてみると、文字が書きつけて
ある。どうやらあや菊あての文のようだ。
元をただせば、琰は商家の息子。それなりに読み書きソロバンは出来るが、この文は武士の使う
”候文(そうろうぶん)”のため、全部が全部は、わからない。

「しゃあないな」
吐息をついて、また元のように文を畳みなおして、秋月屋に戻る。
とにかく預かったものだからあや菊に渡さねばならないが、あいにくあや菊には泊まりの客が
ついたようで、すぐには渡せない。

明日でもええやろ。
そのうち、仕事の明ける刻限になった琰は、預かった文を懐にしまうと、丈吉の待つ家へと帰って
いった。




  2011.11.16(水)


    
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